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この夢をこころに ぼくの青春讃歌(加山雄三著、講談社文庫)は、3代目光進丸ができたときに半生を振り返った書籍のKindle版

この夢をこころに ぼくの青春讃歌(加山雄三著、講談社文庫)は、3代目光進丸ができたときに半生を振り返った書籍のKindle版

この夢をこころに ぼくの青春讃歌(加山雄三著、講談社文庫)は、3代目光進丸ができたときに半生を振り返った書籍のKindle版です。著名な両親に生まれ、若大将シリーズで脚光を浴びながらも、多額の借金や大怪我を繰り返した人生を語り尽くします。

加山雄三といえば、私はまず頭に浮かぶのが若大将。

1日5食で大学の体育会系。

老舗のすき焼き屋の一人息子の設定です。

同じ湘南を愛する慶応出身者でも、どこかに影がある石原裕次郎とは明らかにキャラが違います。

出発点となった映画会社の違いもあるのかもしれません。

父親(上原謙)も、母親(小桜葉子)も往年の名優。

学校時代も優秀な成績で、作家も歌手もこなすシンガーソングライターの草分け。

俳優としては1960年代の東宝の看板。

あまりにも華やかなイメージを積み上げてきましたが、苦労知らずのボンボンというわけではなく、過去に、大きな借金を背負ったり、けがをしたりもしています。

1970年親子経営のパシフィックホテル茅ヶ崎が倒産、債権処理後の借金2億800万円。

1974年の正月に北海道のスキー場で圧雪車に轢かれて大怪我、スキー場とホテルやリゾートマンション経営の着工前にバブル崩壊。3代目光進丸が炎上……

並の神経なら、もう耐えられないでしょう。

若大将でブームで東宝ドル箱スターになったときは、色々な人が寄ってきてチヤホヤしました。

ところが、借金を抱えたら、その人たちはみんないっせいに離れていきました(世間なんてそんなもの)。

そのとき、離れずに残っていたのが、夫人の松本めぐみさんだったといいます。

加山雄三は、かつて出演していた番組のタイトル通り「ゆうゆう」、つまり泰然自若な若大将の人生なのです。

いかなることが原動力かは分かりませんが、私はそんな加山雄三の強さに憧れます。

本書は、そんな加山雄三の半生を自らが振り返っています。

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結局は「人生、ヤルかやらないか」

本書は、まず第一章には、高校、大学を経て東宝に入るまでが書かれています。

中学の頃から船が好きで、商船大学に入りたいという希望があったことが書かれています。

しかし、他者の船を設計したり操縦したりするよりも、自分が船を作る財力を持ったほうがいいと考えます。

大学時代は、アサヒビールや三菱商事に就活したものの、友人から、「お前はサラリーマンなんかできない。のれん(有名な両親)があるのだから、それで勝負した方がいい」といわれて俳優になったそうです。

第二章以降は、見出しを見ただけで、膝をポンと打てるような啓蒙的なことが書かれています。

第二章 若大将ふう夢の育て方
夢を持ち続け、育て、実現したよろこび
いつでも、どんなときにも思い続ける
思いたったら、即行動にうつす
「あれぐらいオレもやれるよ」と言っていないで、とにかくやってみる
男の井戸端会議は、情熱を薄めてしまう
ここぞというときには「背のび」も必要
荷が重いのではない、自分の力が足りないのだ
運命は性格なり 感謝する心をもち、好かれる人間になる
他力本願で、夢は実現できない
他人の生活をうらやましがるばかりではダメ
張りつめるだけでなく、気楽な気持ちも必要だ
幸せに涙する人間こそ、すばらしい 夜考えるな、朝考えろ 心にレジスタンスを持て
見方、考え方をちょいと変えれば、夢も広がる
グチはじょうずに発散してしまうに限る
とにかく「いま」に全力をつくしてみる

内容は、だいたい想像がつきますよね。

自分の経験を例に出して、「人生、ヤるかやらないかだ」と言っています。

結局、そこに尽きるのです。

加山雄三さん自身は、仏教の影響、自業自得とか、努力しなければ結果は見込めないんだ、といった教えの影響を受けていますね。

母方のおばあさんが、曹洞宗で修行したそうです。

「張りつめるだけでなく、気楽な気持ちも必要だ」というのは、仏教では「中庸」といいますね。

「他力本願で、夢は実現できない」という見出しについて、「浄土真宗は他力本願といってるじゃねえか」と突っ込まれる方もおられるかもしれませんが、それは世間によくある誤解です。

浄土真宗の他力本願というのは、浄土にいくときの話で、現世でのその時時の努力はむしろ求めています。

決して、他人のふんどしで相撲を取れとか、他人に依存しろなどとは言っていません。「増悪無礙」といって、悪事も戒められています。

むしろ、「努力して真面目に生きろ。その結果、自分はいかに間違いだらけのチンケな力不足の人間だとわかるだろう。でも、それでも浄土に行けるように念仏を信じていればいいのさ」という教えですから、他人のふんどしどころか、自分の力の限界までまずは頑張れよ、と言っているわけですよ。

でも、莫大な借金や大怪我を乗り越えてきた加山雄三さんが、身をもって語ることなら、説得力があります。

人生の活路に、決して王道はない、ということなんですね。

示唆に富んだ啓蒙力のある生き様

以前も、加山雄三さんについては何度か記事にしてきましたが、2018年に3代目光進丸が火災で燃えた時、その栄華とイバラの生き様をまとめました。


1960年代 若大将シリーズ大ヒット、年2本というペースで全18本→多額のギャラが入る、も
1970年親子経営のパシフィックホテル茅ヶ崎が倒産
→債権処理後の借金2億800万円→ドサ回りで頑張る、も
1974年の正月に北海道のスキー場で圧雪車に轢かれて死にかける→
療養中、75年後半から76年にかけ若大将がリバイバルブーム
→回復後のコンサートは大盛況、借金は完済。
差押えの光進丸も「赤紙」が剥がされて晴れて加山氏の物に、も
スキー場とホテルやリゾートマンション経営の着工前にバブル崩壊
またコンサートや営業で頑張る→「光進丸」が炎上

要するに、“お坊ちゃん”として生まれたけれど、山あり谷ありの人生である、ということです。

しかも、その谷は、いくら芸能人だからといっても、あまりにも桁外れに大きな額の借金。

それを乗り越えたのは、悪気を知らないお坊ちゃんの鈍感力、とまとめる人もいますが、少なくとも決していい加減な人生ではないと思います。

それどころか、わたしたちにとっても、たいへん示唆に富んだ啓蒙力のある生き様だと思いました。


この夢をこころに ぼくの青春讃歌 (講談社文庫) – 加山雄三

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