サイトアイコン 市井の話題書厳選

『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、人間関係に迷う生き様を描いた小説の漫画版

『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、人間関係に迷う生き様を描いた小説の漫画版

『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、人間関係に迷う生き様を描いた小説の漫画版です。他人の前では道化に徹し、本当の自分を誰にもさらけ出せない男の、幼少から青年期までを男の視点で描いています。

『人間失格』は、太宰治さんの代表作の一つであり、それを底本に比古地朔弥さんが漫画化。

秋水社で制作し、学研パブリッシングから刊行されたものです。

青空文庫によると、人間失格は、新潮文庫、新潮社から刊行。


初版発行日が1952(昭和27)年10月30日で、1985(昭和60)年1月30日には100刷改版されています。

そして、1998(平成10)年3月5日時点で136刷。

出版の文芸作品としては天文学的な数字です。

Wikiによれば、累計発行部数670万部を突破。夏目漱石さんの『こころ』と何十年にもわたり累計部数を争っているといいます。

長編文芸作品はハードルが高そうだと思われる方は、本書を含めて漫画化されたものが何冊か出ているので、それをまず読まれればいいのではないかと思い、今回ご紹介させていただきます。

主人公の名は大庭葉蔵。

東北の田舎の金満家の家に生まれ、何不自由ない「ほしのもと」に見えるものの、実は世間への不安やおそれをかくし、道化を演じながら成長。

東京で酒、たばこ、買春、共産主義活動などを経験。

女給と心中をはかったり、子連れの編集者と同棲したり、純粋でうたがうことを知らぬ少女と結婚したりするが、結局最後は破綻。

モルヒネ中毒で廃人となるも、晩年は片田舎で女性とひっそり暮らすことになります。

夏目漱石さんの『坊っちゃん』と同じで、太宰治さん自身の経験が入っている半自伝ともいわれています。

たとえば、太宰治さん自身がマルクス主義からの「脱落」組でした。

本書は、底本がすでに著作権の法的な保護期間を過ぎて、青空文庫からファイルをダウンロードして読むことができます。

本書については、マンガ図書館Zで無料で読むことができます。


マンガ図書館Zの無料リストは固定的なものではないので、無料期間のうちに読まれることを勧めします。

スポンサーリンク

『人間失格』のストーリー

『人間失格』の本文は、第一~第三の手記で構成されています。

第一の手記から、本書を元に要約します。

第一の手記

第一の手記は、葉蔵の少年時代のことが綴られています。

主人公の大庭葉蔵は、人間の営みが理解できません。

食事をすることも、親に口答えすることも、本音と建前を使い分け、人が人を欺くことも。

そのため、生活の中で人と関わることが恐怖でしかありませんでした。

家族でさえ、何を考えているかわかりません。

葉蔵は、人間に対する絶望を隠してやり過ごすことを考えました。

思いついたのが、本当の自分の気持ちを押し殺して「道化」を演じることでした。

何でもいいから、笑わせておけばいいのだ、と。

あまり勉強したつもりはないのに、学校では成績が優秀でした。

しかし、周囲に尊敬されるのは苦痛なので、それも悩みのタネでした。

そこで、学校でも道化を演じることにしたのですが……。

第二の手記

中学で、うすぼんやりしたクラスメートの竹一にそれを見破られます。

葉蔵は、その「失敗」を過度に恐れました。

竹一にまとわりついて、自分の道化をバラさないか監視したい。

もしくは道化ではなく本当だったと思わせたい。

葉蔵は無理やり自宅に竹一を招きます。

そして、耳垂れを取ってあげます。もちろんご機嫌取りで。

竹一は言います。「お前はきっと女に惚れられるよ」

竹一は、絵の批評が独特でした。

ゴッホの絵を「お化けの絵」といい、モジリアニは「地獄の馬」と評しました。

その批評を聞いた葉蔵は思いました。

「彼らには人間という化け物に痛めつけられた自分を、恐怖の幻影を、道化などでごまかさずにありのままに描いている。だから自分もそうしてみよう」

竹一が描いた「おばけの絵」は、ひた隠しにしていた恐ろしく陰惨なものが表現された真っ黒な絵でした。

「お前はすごい絵描きになる」と、竹一から言われました。

竹一から言われた2つの予言。

結果的にあたります。

葉蔵は、高等学校に通うため、上野の桜木町にある父親の別荘に住むことになりました。

相変わらず世間に馴染まず、学校にも愛着を得られません。

街へ出ても、いつも人間に怯えてビクビクおどおどしていました。

そんなときに、画塾で一緒の堀木正雄と交友が始まります。

堀木によって覚えた、酒と煙草と「淫売婦」。

それらが、人間への恐怖を一時的にでも紛らわせることができる、よい手段だということがわかってきます。

もうひとつ、堀木に紹介されたのは、共産主義の集まり。

葉蔵はマルクス主義に傾倒したわけではないけれど、日陰者の雰囲気が心地よいと思いました。

なぜなら、自分は自分を生まれた時からの日陰者のような気がしていて、世間から指差される人にあいと、自分は必ず優しい心になるといいます。

しかし、そのへんから葉蔵の生活には変化が生じます。

父親が仕事の引退を決め、上野の別荘を処分することになりました。

葉蔵は本郷の下宿に移り、父親のツケがきく店もなくなり、とたんに金に困るようになります。

それでも、その頃の葉蔵には、特別な好意を寄せる女性が3人いました。

一人は下宿の娘、一人は共産主義運動の「同志」、そしてもうひとりは、カフェの女性・ツネ子でした。

三人目とは一緒に暮らすようになります。

広島出身で、夫は獄中。

葉蔵は彼女の侘しさに惹かれましたが、そんな自分が怖くなり、傷つけられないうちに早く別れたいと考えます。

しかし、彼女に対しては、生まれて初めて「好き」という感情が。

しかし、葉蔵いわく、「弱虫は、幸福をさえおそれるものです」

生きることに疲れ切っているツネ子と、世の中に対する恐怖やわずらわしさを抱える葉蔵。

結局、彼女とは心中をはかりますが、葉蔵だけが生き残ります。

不起訴にはなりましたが、自殺幇助で取り調べも受けます。

おまけに、取調べ中に結核の芝居も見透かされ……。

自己愛の強い葉蔵にとって、自分の道化を見破られるくらいなら、十年の刑を言い渡されたほうがマシだったと思うぐらい惨めな気持ちになりました。

第三の手記

「自殺幇助」は不起訴になったものの、それが原因で高等学校は放校に。

身元引受人になった葉蔵の父親の太鼓持ち的な人物の家も、再スタートするための場所ではないと思った葉蔵は、堀木にも邪険にされ、結局自分は一人ぼっちであることを知ります。

ところがここでまた女性と知り合います。

堀木のカットを担当している女性編集者・シヅ子は、甲州生まれで夫と死別した女の子の連れ子ありの女性でした。

葉蔵は、はじめて男妾のような生活を始めますが、結局ここも去ります。

きっかけは、シヅ子の娘・シゲ子の願い事が、「本当のお父ちゃんが欲しい」と知ったときでした。

つつましい幸福を求めるいい親子に対して、自分のような馬鹿者が、この間に入って二人をめちゃくちゃにしてはいけないと思ったのです。

この頃、堀木は漫画家として売れ始めた葉蔵に、わざわざやっかみを言いに来ます。

「世間」を主語に「善意の批判」をぶりますが、葉蔵は堀木の見苦しいヤキモチを聞きながら、「わけのわからぬ世間という大海は、個人のつらなりであったのだ」と気づきます。

そんな頃、今度は行きつけのバアの向かいの小さなタバコ店のヨシ子と知り合います。

処女のにおいがするヨシ子とは、結婚をします。

今度こそ、葉蔵にとっては生まれて初めて手に入れた安定と幸福な生活でした。

葉蔵は次第に人間らしさを取り戻していきました。

人を疑うことを知らない純な心のヨシ子と暮らすうちに、自分もやっと道化を手放すことができるかもしれないと考え始めたのです。

ところが、ヨシ子の人の良さが災いして、出入りする商人に襲われてしまいます。

「怒りでも無く、嫌悪でも無く、また、悲しみでも無く、物凄く、それも墓地の幽霊などに対する恐怖でもなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかも知れないような、古代の荒々しい恐怖感」と表現されるほどのショックを葉蔵は受けました。

以来、2人の間はギクシャクし、ついにある晩、彼女が「やる気で」密かに用意していた睡眠薬ジアールを用いて、ふたたび自殺未遂を起こしました。

それによって喀血するなど体も弱り、モルヒネ中毒となって最後は迎えに来た引受人によって精神病院に収監されます。

そこで葉蔵は、「人間、失格」だと感じさせられるのでした。

退院後は故郷に引き取られますが、老女に犯され一緒に暮らすようになります。

実年齢では27歳なのに白髪がめっきり増えたので40歳以上に見られると語り、第三の手記は終わります。

あとがき

実質的なエピローグです。

バーのマダムが、葉蔵について語ります。

彼が抱えていた悩みや苦しみは、私たち誰しもが秘めているそれとそう変わらないものだったのではないか。

道化を演じたり女や博打にはまったりすることも、実は特別ではないのです。

すべては父親が悪い、といい、葉蔵のことを「神様みたいないい子」と語り、小説は幕を閉じます。

毒親による自己肯定感喪失が契機だったのでは?

太宰治の『人間失格』は、なぜ人気があるのか?

あるサイトには、こう書かれています。

太宰治の「人間失格」は超ロングセラーの小説であるが、その人気の理由は次のようなものである。 この小説独特な感情移入し難い主人公と丁寧に描かれた人間の後ろ暗い感情たちによって、リアリティのある不気味な人間が私たちの前に出現する。(https://kakuyomu.jp/works/16816700426727125306/episodes/16816700426727287772)
私は、少し違う見解です。

といっても、どうして人気があるか、についての論考はできませんが、少なくとも私の実感は、「感情移入し難い」という人物評とは180度異なります。

つまり、むしろ自分を見るような感じがしました。

といっても、私は主人公のように機転を利かせて、人から好かれるアドリブはできません。

女性が絶え間なくあらわれるほど、モテもしません。

しかし、それ以外のところは、なんとなくわかります。

たぶん、毒親のもとに育ち、自己肯定感が低かったのではないでしょうか。

『気づけない毒親』(高橋リエ、毎日新聞出版)は子を圧迫する毒親の6つの傾向をまとめ支配されている人生の克服を希う
『気づけない毒親』(高橋リエ、毎日新聞出版)は、昭和世代で戦後後遺症とも言うべき「ねばならない」という強迫観念から子を圧迫する、毒親の傾向と対策についてまとめています。「自分の親に限って」とは考えず、自分のこととして考えてみませんか。

それに加えて、知能が高かったから、その前提で不器用に生きるのではなく、それなりに道化でやり過ごせていたので、「世間」ときちんと向き合いながら自分を鍛えていく機会を逸してしまったのかもしれません。

まあ、運も悪かったでしょうね。

第三の手記に出て来るシヅ子とは、もうちょっと暮らしてみても良かったと思いますが、トシ子は不運でした。

いずれにしても、論より証拠で読まれることをおすすめします。

以上、『人間失格』(太宰治/作、比古地朔弥/構成・作画、学研パブリッシング/秋水社)は、人間関係に迷う生き様を描いた小説の漫画版、でした。


人間失格 (名著をマンガで!) – 太宰治, 比古地朔弥


人間失格 – 太宰治


【中古】 人間失格 / 太宰 治, 比古地 朔弥 / 学研プラス [単行本]【宅配便出荷】 – もったいない本舗 おまとめ店

モバイルバージョンを終了