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『保険屋本格派』(目見薫著、市井文化社)は、1980年代前半に大学を卒業した著者が代理店として独立するまでを描いた読み物

『保険屋本格派』(目見薫著、草野直樹編集、市井文化社)は、1980年代前半に大学を卒業した著者が代理店として独立するまでを描いた読み物

『保険屋本格派』(目見薫著、市井文化社)は、1980年代前半に大学を卒業した著者が、代理店として独立するまでを描いた読み物です。他の業界では聞き慣れない雇用形態や保険募集方法、「みなとみらい」以前の横浜の町並みについても紹介されています。

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金融ビッグバン以前の損害保険業界

『保険屋本格派』は、『新卒の代理店研修生試行錯誤記』というサブタイトルがついているAmazonKindleです。

1980年代前半に大学を卒業したての著者が、港町横浜にある損害保険会社支社に代理店研修生として入社。

修了するまでを述懐した読み物です。

その意味では、「懐かしのメロディ」、懐メロ的な業界探索モノとしての興趣があります。

保険業界は1990年代前半まで、比較的おだやかな競争の中で共存する状態でした。

たとえば、生命保険と損害保険の棲み分けが行われていただけでなく、各損保会社は同じ保険料率で同じ保険商品を販売していました。

ということは、大きな資本の会社が看板や財力にものをいわせて小さな会社にはできない独自のサービスによって顧客を囲い込み、小さな会社をつぶすということがなかったわけです。

こうした業界各社の安定経営を行わせるために、さまざまな行政指導や保護を行う構造は、「護送船団方式」などと呼ばれていました。

それが、アメリカの要望を受けた橋本龍太郎内閣によって、1996年に「日本版ビッグバン」という金融政策を打ち出し、保険を含めた金融界全体が自由競争への道筋を徐々につけられました。

まず、1996年の「日米保険協議」に基づき保険業法が改正され、生命保険会社は損害保険会社の、損害保険会社は生命保険会社の子会社を作り「異業種」に進出できるようになりました。

たとえば、日本生命はニッセイ損保(現ニッセイ同和損保)を、東京海上は東京海上あんしん生命(現東京海上日動あんしん生命)を設立しました。

ただ、この段階では、生保系損保会社は傷害保険を扱わないし、損保系生保会社も医療保険を扱えませんでした。つまり、旧来からあった生保と損保の棲み分けはまだ残っていました。

それが、1998年に損害保険料率が自由化され、外資系損保会社がリスク細分化型自動車保険の販売をはじめたため、同一料金同一商品で共存共栄だった損保も、いよいよ価格競争が始まることになりました。

そして、2001年1月には「自由競争」の総仕上げとして、全ての保険会社が医療保険や介護保険など第三分野の保険商品を扱えるようになったのです。

生命保険会社は生命保険、損害保険会社は火災保険や自動車保険を扱うという独自性はありますが、医療保険や介護保険については、両社が競合するわけです。

たんなる業界の垣根が壊れただけでなく、これによって保険会社は次々合併を繰り返して大きな資本になりました。

東京海上火災と日動火災海上が合併して、東京海上日動へ。

安田火災海上保険と日産火災海上保険の合併に加えて、大成火災海上保険との合併と日本興亜損害保険との株式交換が加わり損保ジャパンへ。

三井海上火災保険と住友海上火災保険が合併し、さらに、あいおい損害保険及びニッセイ同和損害保険と経営統合して三井住友火災海上へ。

第三分野を、損保会社まで含めて扱えるようになったことは、加入者にとって選択肢が広がり、保険会社にとっても新たな販売商品ができることで営業活動が活性化されるという見方ができます。

ただ、それは一方で保険会社間の販売競争を必然的に激化させ、しかも合併による市場制覇主義、収益第一主義のきらいは否定できません。

一方、損害保険会社には、代理店という販売員制度があります。

個人、もしくは法人が、損害保険会社と代理店契約を締結して、損害保険会社に代わって保険募集(営業)を行うのです。

飲食店で言うフランチャイズ店のようなものですが、1980年代の「護送船団方式」時代は業界ものどかで、高齢者が趣味と実益を兼ねて、知り合いに保険に入ってもらう個人代理店も少なくありませんでした。

そうした個人代理店は、事務所も持たず、保険会社を事務所代わりにして電話を使い、ときにはノベルティ(顧客に渡す粗品)などももらって仕事をしていました。

いわゆる「日勤さん」という人たちですが、保険会社としても、その人達の顔が見えるので管理しやすく、まあ「給料のいらない外務員」として便利な存在でした。

その頃は、個性的な代理店が自由に仕事ができたのですが、金融ビッグバン以来、代理店も合併や再編の動きが加速し、小さな個人代理店はすっかり姿を消してしまいました。

本書は、そんなのどかな頃の損害保険会社と代理店の日常的な活動や人間関係の物語です。

他業種にとっては「メーカー」と「販売店」にあたる保険会社と代理店の関係は、現在も基本的に変わることはあません。

また、現在にもあてはまる保険という可視化しにくい商品の募集方法についても、実体験に基づき詳細に描かれています。

横浜港町ガイドブックの一面も

舞台となっているのは、横浜市中区。

JR京浜東北線の桜木町と関内駅の間にある馬車道通りというところです。

横浜中華街にもほど近く、東京とはまた一味違う町並みです。

横浜は、みなとみらいを契機に再開発が進みましたが、当時の横浜の町並みについての描写も出てきます。

 間内駅からは馬車道通りを経由する。馬車道通りは、1869年、町田房造という人が我が国で初めて「あいすくりん(アイスクリーム)」を売ったとして有名だ。何しろ「あいすくりん」発祥の地を記念して「太陽の母子像」というものも建てられているくらいだ。1989年の「横浜博覧会」を機にして、「横浜馬車道アイス」とその名もズバリの名物もある。また、我が国のガス事業の最初の設置施設であるガス灯も馬車道通りに始まったといわれている。
(中略)
 馬車道は、歩道が四つ角にぶつかる毎に支柱にはモダンな絵が埋め込まれている。町並みを演出する彩りとしては趣味の良い印象を持った。文明開化の香り高い馬車道には、下岡連丈という画家から写真家に転向した人の写真館が建ち、その碑が現在も残っている。オランダ船の銀板写真に感銘を受けたというから、長崎に感じる雰囲気もここにはあるのかもしれない。

さりげなく、横浜港町ガイドブックになっているわけです。

KindleUnlimitedなら読み放題リストに

媒体は、AmazonKindle。

つまり電子書籍です。

KindleUnlimitedなら、読み放題リストに入っています。

表紙は横浜中華街なのでわかりやすい。

よろしかったらダウンロードしてみませんか。

以上、『保険屋本格派』(目見薫著、市井文化社)は、1980年代前半に大学を卒業した著者が代理店として独立するまでを描い読み物です、でした。


保険屋本格派: 新卒の代理店研修生試行錯誤記 (市井アーカイブノベルズ) – 目見薫, 草野直樹

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