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ザ・女の難病子供をあきらめた私の本当の気持ち(暮林せな著、ユサブル)は、不妊やお子さんを亡くした女性の「心の真実」

ザ・女の難病子供をあきらめた私の本当の気持ち(暮林せな著、ユサブル)は、不妊やお子さんを亡くした女性の「心の真実」

ザ・女の難病子供をあきらめた私の本当の気持ち(暮林せな著、ユサブル)は、不妊やお子さんを亡くした女性の「心の真実」を考える漫画です。愛する人のために子を残したい、という不妊治療が実らなかった時、心にどう折り合いをつけた描かれています。

『ザ・女の難病 子供をあきらめた私の本当の気持ち~不妊地獄の果てに~』は、暮林せなさんが描いた漫画でユサブルから上梓しています。

『私の人生を変えた女の難病Vol.3』にあたり、『スキャンダラス・レディース・シリーズ』というシリーズ名がついています。

この記事は、Kindle版をもとに解説しています。

夫との間に、不妊治療の末にやっとできた子供が流産。

同じ病院の女性患者が慰めてくれるものの、彼女には生まれて5ヶ月の赤ん坊がいることで、「なによ、自分には子供がいるんじゃない」と、いったんは遠ざけます。

その後も根気よく不妊治療は受けるものの、医師から絶望的な診断を受け、子供は断念せざるをえないことに。

そこで入院していたいつぞやの女性患者になぐさめられ、気を取り直しますが、実はその女性患者は……

妊娠・出産というのは、ネットでも極めてデリケートな話題です。

Web掲示板やYahoo!のコメントは、とくに高齢出産は間違いなく炎上必発テーマになっており、ネガティブな発言には、おおむね大きく3つの傾向があります。

  1. ダウン症や染色体異常のリスクを懸念する
  2. 高齢出産でない出産経験者が上から目線でコメントする
  3. 子どもがいない人の嫉妬も含めて「子どもが可愛そう」と説教する

まあ、いずれももっともらしいのですが、要するに「子供ができた(生まれた)人に対するやっかみ」と断言していいと思います。

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小松みゆきが49歳で出産したことが話題になっています。新しい生命の誕生を祝う一方で、茶化したり嫉妬したりするコメントもネット上にはあります。でも、さすがに「歳をとった親から生まれた子どもが可愛そう」というのはヘイトスピーチ以外の何物でもあり

だって、その人が妊娠しようが出産しようが、世間の人には何の関係もない話ですからね。

羨ましいんですよ。

でも、おめでとうとはいいたくない。

あやかりたいとも言えない。

あやかりたくても、あやかれなれない人もいるから。

でも、あやかれないからと言って、上掲の3つをもっともらしく浴びせかけるのは、どうなんでしょうか。

自分の心が寂しくなりますよ。

だったら、どうすればそうならずにすむのか。

それを考えさせてくれるのが、この漫画です。

本書は2023年3月2日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

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人間の価値って、なにを残したかじゃないと思うよ

物語の主人公は友美(ともみ)。夫は達也(たつや)といいます。

3年間の懸命な不妊治療でできた子を流産。

達也の母親が、病院に面会に来て「大変だったわね。でも、まだ若いんだから直ぐにできるわよ」

これは、決して悪意はありません。

しかし、流産したばかりの友美本人には気に触ります。

「残念だったな」と夫の達也が声をかけても、「一人にしてくれ」というありさま。

となりが産科で、赤ん坊の鳴き声が聞こえるのもこたえます。

「私だって、さっきまで、ここに赤ちゃんが生きていたのに……」

泣いている友美に、ティッシュを差し出す産科患者の今井育子さん。

一瞬、友美は「この人も私と同じ?」と思いましたが、看護師に「今井さん、ちゃんと授乳してます?」と言われているのを聞いてがっかり。

「赤ちゃん、いるんですね」

「うん。今5ヶ月なんだけど、私に病気が見つかっちゃって、もうすぐ手術なの。おっぱいあげられないから、胸が張って苦しくて。おっぱい飲ませてあげたいんだけどね」

これがまた友美を刺激します。

「やめてください。私にそんな話するの」

声を荒らげた友美に、夫が声をかけます。

「帰ろう」

沢山の人が、当たり前のように妊娠して子供を生んでいくのに、どうして私は母親になることができないんだろう、と悩む友美。

夫は、「もう諦めないか、子供は」と言いますが、友美は聞き入れません。

「ここで諦めたら、今までの努力が全部無駄になるじゃない」

小さな公園林を指して言います。

「仕事辞めてなかったら、「ここの木はうちの会社が植えたのよ」って言えたのに」

不妊治療のため、友美は仕事も諦めたのでした。

そこまで犠牲を払ったのだから、私の子を生みたい。

友美は、改めて思ったのです。

その後、最新の治療ができる病院に転院。

しかし、不妊治療に対して、夫は以前に比べると消極的になり、夫婦間では口論すら起こるようになりました。

病院では、不妊の原因を腹腔鏡で検査することになりました。

夫は「何もそこまで」といいますが、友美は「子供を残せなかったら、私は何のために生まれてきたかわからない」と言います。

しかし、検査の結果は、最悪でした。

「残念ながら、子宮・卵巣・卵管の入り口すべての癒着がひどくて、手がつけられませんでした」

「でも、癒着は手術してもらえるんですよね」

「大変な手術になるんです。これ以上、体に負担をかけることはおすすめできません。夫婦二人で生活を楽しむことを考えられては?」

友美は、目の前が真っ暗になりました。

どうしていいかわかりません。

屋上で泣いていると、いつぞやの今井さんが、またティッシュを差し出しました。

「偶然ね。私、病気が再発して、ここに移ってきたの。子供とも、また離れ離れなの。この前はごめんね、無神経なこと言って」という今井さんは、髪の毛が抜けてバンダナを巻いていました。

今井さんは、ずっと病院にいると気が晴れないから、ちょっとだけ病院を抜け出そうと提案します。

そして、公園林に。

「よく知ってたわね、こんな穴場」

「昔、仕事で通ってたの。仕事もやめて、何年も不妊治療頑張ったのに、諦めるしかなくて……。このまま母親になれないんだったら、私には何も残っていない。何のために生きてるんだろうって」

「そんなことないよ。人間の価値って、なにを残したかじゃないと思うよ。この木を植えたのがあなたじゃなくても、この花がきれいに咲くのを願ってたでしょ。私も、子供に会えなくても、いつも抱きしめてあげたいって思う。心の強い子になってほしいと願う。私が願っているその想いが、私なんだと思うの。」

私もそんなふうに思えるだろうか。大切な人への想いが、私なのだとしたら……と考える友美。

退院すると、夫には、不妊治療の断念を伝えます。

「達也の赤ちゃんが欲しい。その気持が、いつの間にか自分だけのためになっていた。形に残るものが欲しかったの。子供を生むことが自分の生きた証になると思って……。大事なことを忘れていたのかもしれない。達也としあわせな家庭を作りたくて、赤ちゃんがほしいと思った最初の気持ち」

後日、友美は病院に行き、正式に治療の断念を告げると、今井さんに挨拶に行こうとしますが、もう今井さんは……

このへんは、漫画ても泣けてきます。

受け入れる私たちの心にこそ真実がある

以前、『NHK「100分de名著」ブックスブッダ真理のことば』(佐々木閑著)という書籍をご紹介しました。

NHK「100分de名著」ブックスブッダ真理のことば(佐々木閑著)は、「お釈迦様の仏教」をその第一人者が『ダンマパダ』から解説
NHK「100分de名著」ブックスブッダ真理のことば(佐々木閑著)は、「お釈迦様の仏教」をその第一人者が『ダンマパダ』から解説します。仏教は「心の病院」であると説く著者。苦悩の現代にこそ「お釈迦様の仏教」の経典を読みたいものです。

その中に、お子さんを亡くした親の心は、子供がいないからと言って消えるものではない。

「存在物そのものよりも、それを受け入れる私たちの心にこそ真実がある」ということを述べています。

人を要素の集合体と見るなら、その人が死ねば、その集合体は雲散霧消して消滅します。仮に輪廻のエネルギーは続いていくと考えるにしても、実際の存在物としては、その人はこの世からいなくなるわけです。ですが、その人が存在していたことの意味は消えません。なぜなら、その人が生きていた時にまわりの無数の人たちに与えた影響は、そのままそういった人たちの集合要素の中に残っているからです。
子どもが生きていた時に、その子をかわいがり、慈しみ、抱きしめた親は、そのことによって自分自身も変わります。 子どもの存在が、親の在り方を変えて、子どもがなければ、これこれこういう姿になっていたはずの人の在り方が、子どもを持ったことで、それとは別の状態へと変化するのです。
その変化は自分ではわかりません。なぜなら、それは親という集合体を作っているあらゆる要素の中に、見えぬかたちで含まれているからです。 そしてその変化は、たとえその後、その子がなにかの理由で亡くなってしまっても、消えることなく親の姿の中に残ります。本人はそうと気づかなくても、親は子どもの存在を自分自身の中に引き継ぎ、引き受けて生きているのです。
子を亡くした親は、愛しい存在がいなくなってしまった悲しみで心を引き裂かれます。そしていなくなった子が、それでもどこかに以前のままの姿で生き続けているのではないかと考えて、いろいろな死後の在りようを想像します。それは親の情としてあたりまえのこと。しかし、そういった非日常的な神秘世界を考えなくても、子は親の存在そのものの中に生き続けているのです。子を亡くした親が、人の命の尊さを深く感得し、自分と同じ境遇の人たちに共感し、心優しく生きていくなら、それは亡くなった子の存在がそうさせているのであって、子と親は一緒に生きているということになるのです。
このように考えることは、ブッダの教えから、ごく自然に現れてくる当然の結論です。無理矢理そのように考えようとしなくても、人はさまざまな要素の集合体だと理解すれば、結論はこうならざるを得ないのです。 これがブッダの教えから導かれる、「死んだ人が今も生きている」という言葉の意味です。
この考え方は、存在物そのものよりも、それを受け入れる私たちの心にこそ真実がある、という思想ですから、別の視点から言えば、 亡くなった人があとに残す遺骸や遺骨などには、さほど重要な意味がない、ということになります。

お子さんのいない人や、流産、早産で亡くした人などは、自分の遺伝子を残したいと思われることでしょう。

それは、男親でも同じなのです。

しかし、上記の佐々木閑さんの書籍を読むと、なるほど、諸法無我というのはそういうことだよなあと思います。

これでも満足できない方は、恵まれないお子さんでも引き取られたらいかがですか。

しかし、そのときは、くれぐれも無責任な態度ではなく、その子に人生を殉じるぐらいの気持ちでお願いしますね。

以上、ザ・女の難病子供をあきらめた私の本当の気持ち(暮林せな著、ユサブル)は、不妊やお子さんを亡くした女性の「心の真実」、でした。


ザ・女の難病 子供をあきらめた私の本当の気持ち~不妊地獄の果てに~/私の人生を変えた女の難病Vol.3 (スキャンダラス・レディース・シリーズ) – 暮林 せな

ザ・女の難病 子供をあきらめた私の本当の気持ち?不妊地獄の果てに?/私の人生を変えた女の難病Vol.3【電子書籍】[ 暮林せな ] – 楽天Kobo電子書籍ストア

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