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文字を超える私の履歴書(浮川和宣著、日本経済新聞出版)は、大ヒットしたワープロソフト「一太郎」の生みの親が語る半世紀

文字を超える私の履歴書(浮川和宣著、日本経済新聞出版)は、大ヒットしたワープロソフト「一太郎」の生みの親が語る半世紀

文字を超える私の履歴書(浮川和宣著、日本経済新聞出版)は、大ヒットしたワープロソフト「一太郎」の生みの親が語る半世紀です。現在は創業したジャストシステムを離れ、コンピューターソフト会社、MetaMoJi(メタモジ)社長として活躍中です。(文中敬称略)

今は、ワープロソフトのデファクト・スタンダードといえば、Microsoft Wordです。

が、日本語の2バイト文字を扱う文書作成では、ジャストシステムの一太郎もまだまだニーズがあります。

たとえば、A4版紙面に、縦40行、横30行の文書を作りたいとき、Microsoft Wordは直接その設定をすることはできず、字間や行間、文字サイズなどから手作業で調整しなければならず、それでも完全に実現するのは困難です。

それが一太郎では、文書の設定で、1行の文字数と列数を優先的にそのように設定すれば、自動的に字間、行間も調整されて仕上がります。

しかし、逆に「日本向き」であるがゆえに国際展開が難しかったため、ビジネス用途での競争力にマイナスにはたらきました。

Microsoft Wordは、グローバル市場に向けて開発されており、英語を中心とする国際標準に対応していました。

さらに、Windowsの前のMS-DOSの時代は、一太郎がダントツのシェアを誇っていましたが、1995年にWindows95が世界的に普及し、OS市場でデファクト・スタンダードとなりました。

これにより、Windows向けソフトウェアが重要視されるようになり、Windows搭載PCにバンドルされたマイクロソフト製品が注目されました。

MS-DOS時代からのユーザーである私は、Microsoft Wordの時代でも、日本語入力部分のATOKはつい最近まで使っていました。

その、日本語向けワープロソフトである一太郎の生みの親は、浮川和宣(うきがわ かずのり、1949年5月5日 – )、そして初子夫妻です。

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現在の標準的な日本語変換方法を開発


浮川和宣は、愛媛県に生まれました。

父親は機械エンジニアで、和宣も1973年に愛媛大学工学部電気工学科を卒業。

兵庫にある、東芝グループの西芝電機に入社します。

在学中に知り合った夫人の初子は、電子工学科唯一の女子学生だったそうです。

入社2年目に結婚しています。

結婚前は首都圏で働いていた初子は、結婚後オフィスコンピュータシステム販売会社に再就職。

和宣は初子のプログラマーとしての能力を見込んで、夫婦で独立します。

徳島市内の初子の実家で、オフィスコンピュータシステムの販売会社「ジャストシステム」を創業。

1981年6月に株式会社化しました。


呼んだのは、初子の母親だったようです。

そこで開発されたのが、ワープロソフトの一太郎だったわけです。

スペースキーで漢字に変換し、もう一度スペースキーを押すと次の候補が出る、という現在の標準的な日本語変換方法を考え出したことは画期的でした。

これは現在、Microsoft Wordだけでなく、Google日本語入力でも採用されています。

ジャストシステムは、日本を代表するIT(情報技術)企業になりました。

一太郎という名称の由来は、学生時代に家庭教師で教えた高校生のうちのひとりの名前が太朗であり、「ひとかたならぬ思い入れがあった」といいます。

太朗青年は成績も優秀で、関西の大学に進みましたが急逝したため、悲しくてやりきれなくなった和宣は、いつか「これは」というものを開発したら、その名を命名しようと思ったそうです。

ところが、三洋電機の掃除機が、すでにその名前がつけられており商標化。

さらにその商標は、沖電気工業に貸し出されることになったため、「金太郎でも桃太郎でもいいから、ちょっとだけ名前を変えてもらえないか」と言われ、「太朗君。俺たちは日本一になるぞ」という思いから、一太郎に決まったそうです。

2009年4月、Microsoftに押されてジャストシステムが経営不振に陥ると、和宣は同社代表取締役会長に就任。さらに同年10月には会長も辞任し、同社の役員から退くこととなりました。

しかし、引退はせず、同年10月30日には、夫人とともに新たに株式会社MetaMoJiを設立し、タブレット向けソフト開発を手掛けています。

60歳でも新天地で勝負する


現在の事業については詳しくはわかりませんが、ジャストシステムは、1990年代にすでに既婚女性社員のために、子どもの保育施設を会社で用意しており、夫婦による創業らしい発想だなと思いました。

創業した会社を去って、同業種の会社を立ち上げるのは、スティーブ・ジョブズもそうでしたね。

ひとつの時代を築いた人でも、「まだまだやりたいことが山積みだ」と60歳で再出発、しかも起業するというのは素晴らしいことです。

と同時に、たとえ創業者であっても、同じ人間がいつまでも居座ったら会社の発展に資さないと、身を引いたのもなかなかできないことだと思います。

私の地元の前区長が、公約を破って4選目に出馬したとき、多選を批判していた議員がいましたが、自分はそれを上回る5期も6期もやってるんですよ。

長くいれば弊害もありますから、どんな世界であっても、私は一定の期間で退き、在野で勉強し直すなり、新しいコンセプトで出直すなりしないと、社会も産業も停滞してしまうように私は思います。

一太郎を使われたことありますか。


文字を超える 私の履歴書 – 浮川和宣

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