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豪徳寺(世田谷区)は三大招き猫発祥の地のひとつとして有名で井伊直孝の戒名『久昌院殿豪徳天英居士』に由来した命名

豪徳寺(世田谷区)の招き猫を見てきました。東急世田谷線宮の坂駅の東側にあり、寺院名は井伊直孝の戒名『久昌院殿豪徳天英居士』に由来しているそうです。招き猫は浅草今戸神社、自性院と並び三大招き猫発祥の地のひとつとして有名です。

豪徳寺までのアクセスとスポット

アクセス

豪徳寺の最寄り駅は、東急世田谷線宮の坂駅です。

黄色い車体でおしゃれですが、なんと東京23区を走る電車の線路なのに雑草が生え放題です。

駅には改札がなく構内は無人駅です。

東京の電車ではおそらく都電(荒川線)ぐらいしかないと思いますが、ワンマンバスと同じ仕組みで乗車時に全区間均一料金を支払います。

ただし、車掌(女性が多い)は乗っています。

車内のトラブル処理や、障害者(車椅子)、ベビーカーなどの乗降サポートを行うことがあるからです。

交通バリアフリー法を継承して2006年に施行された『高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律』は、身体的な障害を理由として、移動が制約される、交通弱者である身体障害者の交通権を保障した法律です。

具体的に取り決められていることは、

などです。

これらを遂行するには、やはり完全な無人電車というわけにはいかないのだろうと思います。

ちなみに、軌間が1372mmで東急東横線やJR在来線よりも広く、都営荒川線(都電、軌道線⇒路面電車)と同じです。

宮の坂駅界隈

宮の坂駅界隈は、スポットが多くあります。

まず、駅に隣接して『江ノ電601号』が保管されている宮坂区民センターがあります。

江ノ電601号は、大正15年に製造され、昭和44年まで渋谷~二子玉川・下高井戸間(現東急新玉川線・世田谷線)を走り、その後江ノ島観光株式会社(現江ノ島株式会社)に譲渡され主力電車として藤沢~鎌倉間で活躍しましたが、江ノ電2000形デビューに伴い平成2年4月、65年にも及ぶ長い現役生活に別れを告げ引退しました。

宮の坂駅をすぐ出たところには、踏切を境に西側には世田谷八幡宮があります。

今日は東側の豪徳寺です。

豪徳寺の全容

井伊直弼の菩提寺

豪徳寺は、世田谷区豪徳寺2丁目にある山号を大谿山という曹洞宗の寺院です。

豪徳寺は1480年に、世田谷城主・吉良政忠が、伯母の名前をとって名付けた弘徳院と言う庵がはじまり。

元は臨済宗でしたが、1584年から曹洞宗に改宗しています。

そして1633年に世田谷領が彦根藩の管轄になり、彦根藩二代当主の井伊直孝が井伊家の菩提寺として、伽藍などを整備したといわれます。

なお、豪徳寺の名前は井伊直孝の戒名『久昌院殿豪徳天英居士』に由来しているのです。

正面には、井伊直弼の墓がたっています。

井伊直弼は桜田門外の変で暗殺されたことで有名ですが、豪徳寺は井伊一族の菩提寺ですから当然墓もあるわけです。

豪徳寺仏殿です。

本殿です。

三重塔です。

梵鐘(ぼんしょう)です。

近江大掾藤原正次、通称釜六によって制作されたといわれています。

三大招き猫のひとつ

豪徳寺は三大招き猫のひとつとして有名です。

ひとつは台東区の浅草今戸神社、もうひとつは新宿区落合南長崎の自性院と並び、招き猫発祥の地といわれているのです。

猫観音を祀る招猫殿をくぐると招き猫にお目にかかれます。

必ず誰かが見に来ています。

一説には、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝が江戸で鷹狩りを行った帰り、小さな貧しい寺(弘徳庵)の前を通りかかると、猫に門内に招き入れられたことで、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことで和尚と親しくなり、に寄進を受け立派に改築され井伊家の菩提寺とされ、直孝の法名に因んで豪徳寺と号したといわれます。

さらに、猫が死んだ際には丁重に弔われて境内に招猫堂が建てられ、その姿をかたどった招き猫がつくられるようになったともいわれています。

滋賀県彦根市のキャラクターであるひこにゃんは、藩主だった井伊直孝の「赤備え」(武装の編成のこと)と、「招き猫」がモチーフになっているといいます。

豪徳寺 招き猫のまとめ

豪徳寺は、スポットが多い世田谷線宮の坂駅の西側にあります。

井伊直孝が井伊家の菩提寺として伽藍などを整備し、井伊直孝の戒名『久昌院殿豪徳天英居士』から豪徳寺と命名されました。

招き猫の三大発祥地のひとつとして知られ、井伊直孝とエピソードもあります。

まだ行かれたことのない方はいかがですか。豪徳寺の招き猫。

以上、豪徳寺(世田谷区)は三大招き猫発祥の地のひとつとして有名で井伊直孝の戒名『久昌院殿豪徳天英居士』に由来した命名、でした。


世田谷ライフマガジン 62 (エイムック 3791)

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