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「天気予報」と「予言」という、どこか似ているようでまったく違う二つの言葉について、ゆっくり考えてみたいと思います。

「天気予報」と「予言」という、どこか似ているようでまったく違う二つの言葉について、ゆっくり考えてみたいと思います。

こんにちは。今日は「天気予報」と「予言」という、どこか似ているようでまったく違う二つの言葉について、ゆっくり考えてみたいと思います。

テレビをつければ毎日のように天気予報が流れていますし、本屋さんに行けば「2025年はこうなる」といった予言の本が並んでいます。どちらも「これから先のことを教えてくれるもの」という印象がありますね。でも、この二つは根本的に性質が異なります。今回は、その違いをできるだけわかりやすく、身近な例えも交えながらお話ししていきます。

天気予報とは何か

まず、天気予報についてです。天気予報とは、気象庁や民間の気象会社が、科学の力を使ってこれから先の空模様を予想するものです。

天気予報は、決して「当てずっぽう」ではありません。世界中に配置された観測所、海上の船、空を飛ぶ飛行機、そして宇宙にある気象衛星。それらが毎日、気温や気圧、風向き、湿度といった膨大なデータを集めています。そのデータを大型コンピューターで計算し、物理法則に基づいて「明日は雨が降りやすい」といった結論を導き出しているのです。

つまり天気予報は、観測と計算にもとづく科学的な推測です。だからこそ、「明日の降水確率は70%です」といった確率の形で示されることもあります。これは「絶対に雨が降る」と言っているのではなく、「同じような気象条件の日を何度も調べたら、七割の確率で雨が降った」という意味なのです。

そしてもう一つ大切なのは、天気予報は外れることがあると最初から認めている点です。予報が外れれば、気象庁は「予報が外れて申し訳ありませんでした」とお詫びをしますし、次の予報のためにデータを集め直します。外れることを前提に、少しでも精度を上げようと日々努力しているのが天気予報なのです。

予言とは何か

一方で、予言とは何でしょうか。予言とは、特定の人が「将来こういうことが起こる」と宣言するものです。ノストラダムスの予言や、歴史上の人物が残したとされる言葉などが有名ですね。

予言の特徴は、その根拠が科学ではないという点にあります。予言をする人は、しばしば「神から告げられた」「特別な力で見えた」「宇宙からメッセージを受け取った」といった、普通の人には確かめようのない根拠を語ります。そこには観測データも計算式もありません。

また、予言は外れても責任を問われないことが多いです。外れた予言は「私の解釈が間違っていた」「時期がずれただけ」「信じる心が足りなかった」と言い訳され、次の予言へと引き継がれていきます。当たったときだけが大きく取り上げられ、外れたことは忘れられていく。これが予言の常なのです。

さらに、予言の多くはあいまいな言葉で語られます。「大きな災いが起こる」「指導者が現れる」といった表現は、後からさまざまな出来事に当てはめることができます。これを「後知恵」とか「こじつけ」と呼びます。人は不思議と、当たったように見える部分だけを記憶してしまうものなのです。

決定的な違いは「検証できるかどうか」

ここまでお話しすると、両者の違いが少しずつ見えてきたのではないでしょうか。最も大きな違いは、その内容が検証できるかどうかという点です。

天気予報は「明日の午後3時に東京で雨が降る」と具体的に言います。そして翌日になれば、本当に降ったかどうかを誰でも確認できます。当たったか外れたかがはっきりわかる。だからこそ、外れたときには改善することができるのです。これは科学の基本的な姿勢です。

予言はどうでしょうか。「来年、世界に大きな変化が訪れる」と言われても、それが何を指すのか、いつ起こるのか、誰にもはっきりわかりません。

検証しようがないのです。検証できないものは、当たったとも外れたとも言えず、いつまでも「謎」として残り続けます。そして、その謎めいた感じが、かえって人の興味を引くのです。

天気予報も「当たらない」と思われがちですが

ここで一つ、付け加えておきたいことがあります。よく「天気予報はよく外れる」と言う方がいらっしゃいます。確かに、昔に比べれば格段に精度は上がったものの、完璧ではありません。特に、夏の夕立のように狭い範囲で急に起こる雨は、今の科学でも予想が難しいのです。

しかし、天気予報が外れるのと、予言が外れるのは意味が違います。天気予報は、外れた理由を分析し、次の予報に生かします。予言は、外れても分析されず、次の予言にすり替わります。ここに、科学と非科学の大きな隔たりがあるのです。

私たちはどう付き合えばよいか

では、私たちはこの二つとどう付き合えばよいのでしょうか。

天気予報は、毎日の暮らしに役立てるものです。傘を持つかどうか、洗濯物を外に干すかどうか、旅行の計画をどうするか。そうした判断の助けになります。外れることもありますから、あまり固くならず、参考にするのがよいでしょう。

予言については、楽しむ分には構いません。昔話や物語として読むのは、想像力をかき立てられて面白いものです。

しかし、それを人生の重大な決断の拠り所にしてしまうのは、危険なことです。「この予言を信じて財産を失った」という話は、歴史の中にいくらでもあります。予言はあくまで「誰かがそう言っている」というだけで、科学的な裏付けはないのだと、心に留めておきたいものです。

まとめ

最後に、違いを簡単にまとめます。

天気予報は、観測と計算にもとづく科学的な推測です。検証でき、外れれば改善されます。私たちの暮らしを助ける実用的な道具です。

予言は、特定の人が語る根拠のない宣言です。検証が難しく、外れても責任を問われません。娯楽としては面白いですが、信じすぎるのは考えものです。

同じ「未来を語るもの」でも、その中身はまるで違います。どうか、テレビや本で何かを見聞きしたときは、「これは検証できる話だろうか」と、一度立ち止まって考えてみてください。その習慣が、情報に振り回されない、確かな暮らしにつながるのだと思います。

今日もよい一日をお過ごしください。


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