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「スピリチュアルペイン」は、東日本大震災によって注目された被災者の根源的な苦悩や喪失感に対し、医宗協働で寄り添う活動です

「スピリチュアルペイン」は、東日本大震災によって注目された被災者の根源的な苦悩や喪失感に対し、医宗協働で寄り添う活動です

「スピリチュアルペイン」は、東日本大震災によって注目された、被災者の根源的な苦悩や喪失感に対し、臨床宗教師や心理専門職、ソーシャルワーカーなどが医宗協働で寄り添い、「なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか」「生きる意味はあるのか」といった苦悩からの回復を支える活動です。

今年も3月11日ということで、「スピリチュアルペイン」と「臨床宗教師」について書きます。

日本では、主に終末期医療やグリーフケアの文脈で語られる概念です。

とくに東北大学を中心に体系化され、日本の医療・宗教協働の文脈で広まりました

スピリチュアルと聞いて、怪しさを感じますか?

スピリチュアル」という言葉が持つ響きと、医療やケアの現場で使われる「スピリチュアルペイン」という言葉は、実はかなりの温度差があります。

スピリチュアルペイン(spiritual pain)というのは、人間が死を意識した時や、人生の土台が揺らぐような困難に直面した時に生じる、「自己の存在そのものに対する内心の痛み」を指します。

イギリスの看護師・医師で、ホスピス運動の創始者、シシリー・ソンダースが提唱した概念です。

スピリチュアルペインの典型例

科学や医学は、地震を分析したり、復興計画をたてたり、病気を診断・治療したりはできますが、それを経験して生命的精神的に追い詰められ、「生きること」を苦悩する人々の内心には寄り添えません

たとえば、人間が極限状況になると直面する

「なぜ私がこんな病気に?」
「私の人生は何だったのか」
「死ぬのが怖い」
「家族に迷惑をかけて申し訳ない」
「私はもう役に立たない存在だ」

といった、身体の痛みではなく「存在の痛み」は、医師、看護師、カウンセラーでは対応しきれず、そこに向き合うのが臨床宗教師です。

といっても、僧侶・牧師・神主などなら誰でもなれるわけではなく、臨床的トレーニングを受けて関わります。

臨床宗教師は、

① 布教をしない
② 宗派を問わない(患者の宗教に合わせるため。)
③ 傾聴が中心

という立場から、アドバイスではなく、「聴く」ことを中心に、死や苦難に向き合う人々を傾聴・寄り添う専門職です。

東日本大震災をきっかけに、現場のニーズに応える形で活躍が広がりました。

ただ、人間というのは愚かな生き物です。

実際に経験しないとわからないようで、「医療では扱えない苦しみがある」ことがどうしても理解できない人もいます。

この活動に対して、宗教の医療介入と文句を言う向きもあり、東日本大震災時には一定の成果があったにも関わらず、臨床宗教師は、制度としては現在まだ発展途上です。

神道や仏教が、我が国の道徳の原作になっているにもかかわらず、それにも気付かず、「私は宗教のお世話になんかなっていない無宗教だ」なんて言い切ってしまう自信満々な人には、なかなか理解しにくい活動なのかもしれません。

「亡くなったらどうなるの」という心にどう寄り添うか

私は本心では、「普段、宗教をコバカにしてる奴なんか救わずに、信じなかった業報で最期を迎えさせたらいい」と冷たく言ってやりたいぐらい、日本人の宗教に対する無知と身勝手さには、腹が立つことが少なくありません。

でも、日本に定着している主たる宗教(神道、仏教、キリスト教)は、結論として「恩知らずでも許す」という、お人好しなところが共通しています(苦笑)

神道は、「恩知らずの穢れた心を祓い清める」、キリスト教は「恩知らずを赦す」、仏教は「すべての生命に対して、苦しみを取り除き、楽しみを与えたいと願う、平等で深い思いやりの心を持つ(慈悲)」と、若干ニュアンスは違うんですけどね。

ただ、私自身が唯物論者だからいうわけではありませんが、布教(その宗門に帰依させる)はともかくとして、宗門的な立場を明確にせずに向き合うのは、むずかしいのではないかと思いますけどね。

たとえば、死んだら、あの世で先に亡くなった両親や先祖に会えるとか、いうでしょ?

科学はもちろん、釈迦仏教もそれは認めていません。死んだらそれっきりです。

ただ、日本の仏教は中国の祖霊信仰の影響を受けている関係で、亡くなった人の「霊」を語る宗派や考え方はあります。

つまり、仏教といっても、どの立場なのかによって回答が変わるわけです。

スピリチュアルケアでは、そうした哲学的なことには踏み込まず、

「お父様お母様のことを思っておられるのですね」
「どんな方でしたか」
「会いたいお気持ちがあるのですね」

などと話を合わせて、「回答」よりも「意味」に寄り添うことにとどめているそうです。

このへんがね、踏み込んだ答えを知りたい人に応えられるのか、やや気になります。

いずれにしても、うわべでは物事に感謝感謝とか言うけどさ、本当にそういう気持ちがあるなら、実は私たちの社会を地味に支えている宗教にもその気持ちを向けて、内心に寄り添いうる存在として、できればもう少しその価値を認めてもいいのではないかと思いますけどね。

「スピリチュアルペイン」と「臨床宗教師」、ご存知でしたか。


スピリチュアルペインに向き合う: こころの安寧を求めて (スピリチュアルケアを学ぶ 2) – 窪寺 俊之

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