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映画・ドラマ。小説などで感情移入できそうな物語ほど、一方で「どうせ作り話だろう」とわざわざ白けた感想を述べる人がいます。

映画・ドラマ。小説などで、感情移入できそうな物語ほど、一方で「どうせ作り話だろう」と、わざわざ白けた感想を述べる人がいます。

映画・ドラマ。小説などで、感情移入できそうな物語ほど、一方で「どうせ作り話だろう」と、わざわざ白けた感想を述べる人がいます。分かりやすい倫理のシェルターに逃げ込み、作品を安全な距離に押し戻したくなる理由について考えてみました。

先日、昭和のドラマ『金曜日の妻たちへ』(1983年)のレビュー記事を書きました。

『金曜日の妻たちへ』(1983年)は、3組の夫婦と数人の独身男女の関わりを通じて、変貌する「核家族」の関係性と問題を描いたヒット作
『金曜日の妻たちへ』(1983年)は、3組の夫婦と数人の独身男女の関わりを通じて、変貌する「核家族」の関係性と問題を描いたヒット作です。鎌田敏夫さんが脚本で、「不倫」という言葉を知らしめた作品ですが、そうせずにはおれない切なさが随所ににじみ...

それは、家族ぐるみで交際している3組の夫婦のなかの男女が、今で言う不倫関係に陥ってしまったストーリーです。

そこに、こんなコメントが入りました。

「仲良しの夫婦の中で裏切りがあった事だけは覚えています、それをおしゃれなタウンと、おしゃれな人たちで、それこそ「不倫を納得の理由付け」って感じでドラマにしていた気がします。ドラマの世界だからこそ、わくわく見ていられましたが、実際に友人とか知り合いだったら、どうなのでしょうね」

ドラマだからこそ、倫理を後景に退けて「そうせずにはおれない」ことを描いているのは自明のことですが、にも関わらずこのコメントはどうなんでしょう。

「現実だったらどうか」などとと言い出したら、創作ものの価値はなくなってしまうように思います。

フィクションの最大の価値は、現実の道徳や倫理規範という「枠」を一度外した場所で、人間のどうしようもない業や割り切れない切実さを凝視できる点にあります。

作り手が、せっかく倫理を括弧に入れて人間の深淵を描いているのに、「実際の知り合いだったら許せない」という日常の物差しに引き戻してしまうのは、批評的な鑑賞としてはひどく野暮ですし、創作が持つカタルシスを自ら手放しているようにも映ります。

自分の生活圏に「不倫」が入り込む潜在的恐怖

ただ、このコメント主がそう呟いてしまった理由も、作品の構造を考えると少し見えてくる部分があります。

コメント主自身も、「ドラマの世界だからこそ、わくわく見ていられた」と書いており、フィクションとしての刺激は享受していたはずです。

それでも最後に現実の感覚に引き戻されてしまうのは、『金妻』があまりにも当時の視聴者の生活圏に近い質感(東京郊外のニュータウン、身近な友人関係、日常の食卓)を持っていたことの副作用とも言えます。

時代劇や遠い外国の映画なら、いちいち「現実だったら」などとは思いません。

が、自分の隣近所や友人にいそうなキャラクターたちがおしゃれに描かれたことで、無意識に「自分の生活圏の倫理」を脅かされたような居心地の悪さを覚えたのかもしれません。

また、脚本の鎌田敏夫さんは、本作についてこう書いています。

ドラマを観て泣いたと、よく言われました。

 このドラマには、悲しいシーンも可哀そうな設定も一切ありません。それなのに、なぜ泣けるのか。このドラマは、登場 人物のすることを、一切断罪していません。人間がすることには、すべて、そうしなければいけない理由がある。それがぶっつかる、どうすることもできない切なさを描いたから、視聴者が泣いてくれたのです。

「不倫」、そんな言葉から出発してしまえば、そこにある男と女の切なさをすべて見逃してしまうことになります。倫理、そんなものは現実に任せておけばいいのです。(『来て!見て!感じて!』海竜社)


鎌田敏夫さんが意図した、「断罪しない切なさ」をそのまま受け止めるには、受け手側にも人間の弱さや矛盾を抱え込むだけの、胆力や人生経験が求められます。

それが重荷に感じられるとき、人は「所詮、おしゃれに正当化した不倫でしょ」「現実なら絶対無理」という分かりやすい倫理のシェルターに逃げ込み、作品を安全な距離に押し戻したくなるのではないでしょうか。

作品を、そうせずにはいられなかった「業のドラマ」として深く味わう側からすれば、そうした見方は創作の豊かさを矮小化しているように見えて歯がゆいものですが、ある意味では、「日常を侵食するほどリアルで毒の強い作品だった」という、当時の大衆的な受け止め方の写し鏡なのかもしれません。

つまり、潜在的に「不倫」が自分のリアルな生活に入り込んでくることを怖がっているわけです。

4人の演技にしびれました

改めて作品を振り返れば、私は、主演の4人の演技にしびれました。

まず、英子(小川知子)が宏(古谷一行)にキスをされたとき、何かが弾けたような、宏に対して以前からあった無意識の想いが、本人が止めることができない勢いで溢れ出たような表情が素晴らしかった。

そして、2人で並んで鎌倉の海岸に座って、子どもたちが遊んでいる様子を眺めながら、想いをこらえきれない英子(小川知子)が、「宏さん、手を握って」「もっと強く」「もっと強く」と宏に求めているときの表情もよかった。

2人が、別れなければならないのに別れたくないという葛藤にあるところを垣間見た元夫の隆正(竜雷太)は、驚きと嫉妬のこもった表情になりました。

ただし、嫉妬と言っても、この時点で隆正は若い玲子(石田えり)と再婚しており、寝取られたという意味ではなく、自分の結婚生活では見せなかった英子の激しさと美しさを見たことの驚きと嫉妬です。

ただし、やはりそれは止めなければならない関係。

隆正は、宏を呼び出して、2人のことを見たと言うと、いつも鼻の穴を大きくして毅然としている古谷一行が、まるで幽霊のように生気のない表情になるのです。

そして、宏の妻の久子(いしだあゆみ)は、2人の関係を知り、英子の借家に行きます。

英子は、土下座しても、「怒んなさいよ」と言っても、久子は無表情を装い、でも目には涙をためているのです。

この4人の表情だけで、視聴者は必ずやドラマに引き込まれることでしょう。


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来て!見て!感じて! – 鎌田 敏夫

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