サイトアイコン 市井のブログ

5月21日は浄土真宗の開祖である親鸞の「降誕会」。宗教に限らず「信じること」の効用についてわかりやすくまとめてみます。

5月21日は浄土真宗の開祖である親鸞の「降誕会」。宗教に限らず「信じること」の効用についてわかりやすくまとめてみます。

昨日の5月21日は、浄土真宗の開祖である親鸞の誕生日を祝う「降誕会」が宗門の寺院で行われました。浄土真宗は、日本でもっとも、というより圧倒的に信徒数が多い仏教の一派です。浄土真宗の基本的な教えや歴史、宗教に限らず「信じること」の効用についてわかりやすくまとめてみます。

仏教というのは、神様からご利益をいただくわけではなく、また「他人と過去は変えられない」という合理的な立場から、自分で自分の心を変えることを目指す稀有な宗教です。

現在、我が国の仏教にはいろいろ宗派がありますが、要するに、生きづらい人はオノレの欲得をきれいに捨て去れば、気持ちよく成仏できますということが共通しています。

そのために、禅を組んだり、お経を読んだり、念仏を唱えたりするわけです。

その中で、浄土真宗は、方法論としてはいささか特殊な宗派です。

浄土真宗では、人間の心は欲得と思い込みまみれの汚いものだから、いくらがんばって修行をしたってそう簡単に悟りなんか開けないよ、としています。

だから、「誰でも成仏させる」という阿弥陀仏の慈悲にすがることで、救われるとされています。

この教えを「他力本願」といいます。

他力本願は、自己の力ではなく、他者の力、阿弥陀仏の力に依存することを意味します。

よく、私たちは、他人任せで成り行きが決まることを「他力本願」と呼んでいますが、本来は「他人」ではなく「阿弥陀如来」を指す言葉なのです。

その人の能力も出自も修行経験も関係なく、「他力本願」で成仏できるのですから、すべての人が平等に救われる可能性を持っていることを示しています。

親鸞は、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)という教えを通じて、どんな人でも救われるというメッセージを強調しました。

阿弥陀如来は実在した人?歴史的事実と信仰の意味


では、阿弥陀如来というのは、いつ頃実在した人なのでしょうか?

結論から言えば、仏教において「如来」と呼ばれる存在の中で、歴史上確実に実在した人物は、お釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)だけです。

阿弥陀如来や大日如来など他の如来は、特定の個人として実在したのではなく、「仏教の教えや悟りの理想を象徴する存在」として考え出されました。

なぜ「実在しない仏」を信仰するのか?

浄土宗や浄土真宗で信仰される阿弥陀如来は、「人がよりよく生きるための理想像」としての仏です。仏教ではこれを「法性(ダルマカーヤ)」と呼び、「法(ダルマ)=仏教の真理そのもの」が形になった存在と理解します。

ここで興味深いのは、浄土教では「物理的な存在の有無」よりも「信じることによって心に現れる仏」であることが重視される点です。これは、次のような日常的な体験と通じるものがあります。

身近な例で理解する「心の中の存在」

例えば、亡くなったご両親や大切な人を思い浮かべた時:

この場合、お父さんはかつて実在した人物ですが、今あなたを支えているのは「心の中に生き続けるお父さんのイメージ」です。阿弥陀如来の信仰もこれに似て、「仏教の教えが生み出した理想的存在」が心の中に生きる体験と言えます。

信仰の効果は「プラセボ効果」で説明できる?

「存在しないものを信じるなんて」と考える方もいるでしょう。

しかし、近年の研究では、信仰や思い込みがもたらす効果は、単なる「気のせい」ではなく脳の実際の変化として確認されています。

プラセボ効果(偽薬でも効果を感じる現象)の研究によると:

米国雑誌「Science Advances」掲載(2025年1月)
小林 和人(こばやし・かずと) 生体機能研究部門 教授

つまり、「信じる」という行為自体が、脳と体に実質的な変化をもたらすことが科学的に示唆されているのです。

自己啓発で「笑顔を作れば気分が上がる」と言われるのも、実は同じ原理です。

浄土教信仰の本質

浄土教の信仰は単なる「偶像崇拝」ではありません。重要なのは:

  1. 阿弥陀如来の「すべての人を救いたい」という誓いを信じる
  2. その信じる心が、悩みや苦しみを乗り越える力となる
  3. 人生をよりよく生きるエネルギーが湧いてくる

このような「一念往生」と呼ばれる宗教体験は、信仰のあるなしに関わらず、「心の持ち方が現実を変える力」を理解するヒントになります。

「存在」を超えた価値

「神仏は物理的に実在しない」と考える方もいるでしょう。しかし重要なのは:

という点です。たとえ物理的に存在しなくても、これらの条件を満たすなら、その信仰には十分な価値があると言えるでしょう。

社会的に「ない」ものを「ある」として、物心を性服しようとする霊感商法に騙されてはいけませんが、個人的なの心の中の自由に関することなら、宗教に限らず、その限りではありません。

むしろ、信じるなら疑いの余地なくかたく信じることで、亡くなった人や架空の人から「力をもらえる」現象を経験できるなら、それはそれで悪いことではないと思う次第です。


だれでもわかる ゆる仏教入門 – 松﨑智海


知識ゼロからの仏教入門 [ 長田幸康 ] – 楽天ブックス

モバイルバージョンを終了