サイトアイコン 市井のブログ

仰天の新事実:人間の「本来の寿命」はわずか38歳?生きることに意味はない?生物学者が教える、現代を賢く生きるための5つの知恵

仰天の新事実:人間の「本来の寿命」はわずか38歳?生きることに意味はない?生物学者が教える、現代を賢く生きるための5つの知恵

階段の上り下りで膝が笑う、重い腰を上げるたびに思わず声が出る……。そんな些細な身体の衰えを自覚するたび、私たちは「もう若くないのだ」と、どこか物悲しい溜息をついてしまいがちです。「老い」は、多くの現代人にとって抗うべき敵であり、漠然とした不安の対象かもしれません。

生物学者の池田清彦氏(78歳)もまた、その現実と向き合う一人です。

長年のライフワークである虫取りに出かけても、最近は走るスピードが落ち、狙った獲物に逃げられることが増えたといいます。

その背景には、加齢による「脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)」という診断がありました。かつてのように自在に動き回れない悔しさはあっても、池田氏はそれを「年を取れば体にガタがくるのは当たり前」と淡々と受け止めています。

むしろ、海外への虫取りを控える代わりに始めた家庭菜園では、今年だけで4000個ものトマトを収穫し、奥様に褒められるという新しい喜びを見出しています。

生物学という冷徹かつ深遠な瞳で「老い」を眺め直すと、そこには「衰え」を嘆く必要などどこにもない、驚くほど軽やかな哲学が浮かび上がってくるのです。

生物としての「本来の寿命」はたったの38歳

私たちは「人生100年時代」を当然の前提として生きていますが、野生動物としてのヒトを直視したとき、その設計図はもっと短期間で完結するように描かれています。

「人間の自然寿命は何歳かわかりますか? 実は38歳です。」

哺乳類の寿命を推定する近年の研究によれば、チンパンジーやネアンデルタール人と同様、ヒトの「本来の限界」は40歳にすら届きません。私たちが80歳を超えて生きられるのは、生物学的な運命ではなく、ひとえに医療や衛生環境、栄養状態の劇的な改善という「外部要因」によるものです。

厳しい言い方をすれば、「自然選択(エボリューション)」は、生殖能力を失った個体が長生きすることに、何の興味も持っていません。食料が限られた自然界では、次世代に資源を譲るために、繁殖を終えた個体は速やかに去るのが合理的な仕組みだからです。

つまり、40代以降の人生は、生物学的な宿命をすでに2倍以上も超えた「非常に恵まれた延長戦」にほかなりません。そう考えれば、衰えを「失われた若さ」として嘆くよりも、「本来なら終わっているはずの人生に、これほどの膨大な『おまけ』が与えられている」という奇跡に、自然と感謝の念が湧いてくるはずです。

なぜ「心臓」や「脳」はがんにならないのか?

「老い」を語る上で欠かせないのが、身体の部位によって異なる細胞の生存戦略です。私たちの身体の中で、心臓や脳の神経細胞は、成人した後はほとんど細胞分裂を行いません。

細胞分裂をしないということは、「DNAのコピーミス」が起こらないことを意味します。これが、心臓や脳がめったに「がん」にならない理由です。一方で、一度壊れると二度と再生できないというデメリットも抱えています。しかし、池田氏はこの「再生不能」という事実を、非常に知的な比喩でポジティブに解説します。

例えば、大脳皮質の神経細胞は、正常な成人で約160億個もあります。仮に1日に10万個が死滅したとしても、1年で3650万個。これは全体から見れば、わずか0.2%程度にすぎません。 「160億円の資産を持っている人が、1年に365万円使ったところで、別にびくともしませんよね」 この圧倒的な「資産の余裕」こそが、分裂を止めてまで機能を維持し続ける、生命の精緻な守りの仕組みなのです。再生できないことを嘆くのではなく、数十年にわたって働き続けてくれるその頑強なシステムを「壊れないように大切に使う」という謙虚な視点こそが、老いを豊かにします。

老化の本質は「遺伝子の操作マニュアル」の紛失にあり

なぜ生き物は老いるのか。最新の知見が示す老化の正体は、DNAそのものの損傷よりも、むしろ「エピゲノム」の乱れにあります。

エピゲノムとは、膨大な遺伝情報の中から「どのスイッチをオンにし、どれをオフにするか」を制御する、いわば遺伝子の「操作マニュアル」のようなものです。若い頃はこのマニュアルが綺麗で、必要な細胞が必要な時に正しく働きます。しかし、加齢とともにマニュアルが汚れ、文字が読めなくなると、本来働くべきでない遺伝子が動き出したり、必要な機能が沈黙したりします。これが老化のメカニズムです。

このマニュアルの修復を司る「司令塔」として注目されているのが、「サーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)」です。

「老化の主要原因はエピゲノムにあり?……遺伝子の『操作マニュアル』とも言えるエピゲノムの修復に成功すれば、老化は治せると主張しているのです。」

老化を「プログラムされた死」ではなく、あくまで「マニュアルの汚れ」と捉えれば、完璧を求めて苦しむ必要がないことがわかります。多少の不具合は、長年マニュアルを使い込んできた熟練の証し。その程度の緩やかな変化を楽しむ余裕が、知的な老いには必要です。

長寿の鍵を握る「適度なストレス」と「オートファジー」

生物学的に細胞の若々しさを保つには、自分を甘やかすのではなく、あえて「軽い危機感」を与えることが有効です。池田氏が提案する、細胞レベルでの若返りアプローチは、非常に合理的かつ実践的です。

ただし、ここで重要なのは「完璧主義に陥らないこと」です。池田氏自身、16時間断食は「週に1〜2回」程度で十分だと述べています。

池田氏は夜8時以降にお酒を飲む楽しみを捨てておらず、つまみを控える程度で帳尻を合わせています。健康法に縛られて人生の愉悦を失うのは本末転倒。「甘やかしすぎない」というパラドックスを、適度な余裕を持って楽しむのが生物学者の流儀です。

「いい加減」という、最高に知的な生き方

池田氏の哲学の根底にあるのは、「適当に生きる」「いい加減くらいがちょうどいい」という、究極の「諦念(ていねん)」です。ここでいう「諦める」とは、決して敗北ではありません。物事の真理を明らかにし、ありのままを受け入れるという、自由への出発点です。

例えば、風呂掃除で浴槽を磨き、最後は天井まで拭き上げる。あるいは庭に来る鳥たちのために餌を用意する。こうした「ちょっと面倒くさいけど、仕方ないな」と思える程度の負荷こそが、老後における「最適で知的なストレス」となります。

完璧な健康法や医療に依存しすぎることは、それ自体が過剰なストレスとなり、身体の毒になります。「いつもと違う不調」には気をつけつつも、それ以外の不具合は「まあ、年だから仕方ない」と、あっさり自分を認めてしまうこと。

その「諦め」に近い肯定こそが、精神的な自由をもたらし、結果として細胞を健やかに保つのです。

未来の自分への問いかけ

老いることは、劣化でも転落でもなく、生物としての壮大な「おまけ」を味わうプロセスです。

自然の摂理に従えば、私たちはとっくの昔にその幕を閉じているはずの存在。今この瞬間、目に見える景色、味わう食事、そして身体のわずかな痛みさえも、すべては奇跡的に延長された「恵まれた時間」の中にあるのです。

38歳を超えたあとの、この長い「おまけの人生」を、あなたなら何に使いますか?

失われていくものを数えるのをやめ、現状を「ちょうどいい」と受け入れる。そして、少しの面倒くささを愛おしみながら、与えられた時間を遊び尽くす。それこそが、生物学者が見出した、最も贅沢で知的な「生きる流儀」なのです。


老いと死の流儀 (扶桑社BOOKS新書) – 池田 清彦

モバイルバージョンを終了