
年間40冊もの執筆をこなし、日本の高齢者医療を牽引する精神科医・和田秀樹氏。その「知の巨人」が、自らの専門領域において、自らが患者になるという残酷な鏡を突きつけられました。66歳の彼が目にしたMRI画像——そこに映し出されていたのは、あろうことか「80代レベル」にまで萎縮し、脳梗塞の痕跡が刻まれたボロボロの脳の姿だったのです。
ラーメンの栄養価を動画で語っていた和田秀樹医師。
なのに、「実は3週間前に脳梗塞になっていた」という衝撃の独白。
しかし、この絶望的な数値と画像データを前にして、和田氏が下した決断は世の常識を鮮やかに裏切るものでした。これは、一人の医師が自らの身を挺して挑む、冷徹かつ希望に満ちた「知性の生存戦略」の記録です。
違和感を察知しながらも「仕事をリハビリ」とした冷徹な自己客観視
脳梗塞の兆候は、ある日突然、口元のわずかな重みとして現れました。医師である和田氏は即座に事態を把握します。
しかし、ここで彼が取った行動は、一般的な「安静と入院」ではありませんでした。彼は講演会に登壇し、YouTubeの収録をこなし、会食の予定も一切キャンセルしなかったのです。
この判断の裏には、プロとしての極めてドライな「機能の損得勘定」がありました。 「1回詰まって死んじゃった脳の細胞は生き返りません」 和田氏はそう断言します。
幸いにも麻痺はなく、MRA(磁気共鳴血管造影)で確認したところ、言語を司る中大脳動脈などの主要なインフラに致命的な閉塞は見られませんでした。
ならば、入院してベッドで横になるよりも、「喋り、飲み、食べる」という日常の負荷をかけ続けることこそが、残された機能を守る最善のリハビリになると計算したのです。
また、そこには「自分には貯金がないから、働けなくなると困る」という、医師としての顔の裏にある生々しい人間味溢れる本音も透けて見えます。
急性期の血栓溶解療法(t-PA)すらも見送ったその決断は、リスクを承知で「今ある機能」を使い倒すことを選んだ、極めて知的なギャンブルだったと言えるでしょう。
脳の「構造」と「機能」は比例しないという構造的パラドックス
和田氏のMRI画像は、専門家が見れば一様に絶句するような状態でした。脳室(脳内の空隙)は拡大し、彼が平素から「若さの要」と説いてきた前頭葉さえも顕著な萎縮を見せていたのです。
ここで私たちは、ある種のデザイン的思考に立ち至ります。脳というプロダクトにおいて、MRIが映し出す「構造(ハードウェア)」は確かに古び、損壊しているかもしれません。
しかし、MRAが示す通り「血流(インフラ)」さえ維持されていれば、その上で動く「知性(OS)」を回し続けることは十分に可能なのです。
「ボロボロの脳なのに使ってればこの程度は使える。逆に言えばボロボロでもないのに60代で引退してですね、家でチーンと閉じこもってボケ老人みたいなことをしてるっていうのはすごいもったいない」
この言葉は、スペックの優劣に固執する現代人への強烈なパラドックスです。脳の価値は、その容積や美しさにあるのではありません。
いかに不完全なハードウェアであろうとも、稼働率を最大化し、アウトプットを止めないこと。それこそが、知性の実体なのです。
最新の認知症治療薬への「NO」と、実利主義的なメンテナンス論
昨今、アミロイドβを標的とした新薬「レカネマブ」などが、認知症治療の福音として喧伝されています。
しかし、和田氏は自らの脳が萎縮している事実を突きつけられてなお、これらの薬物療法に対して明確に「NO」を突きつけます。
彼の脳メンテナンス論は、徹底した実利主義に基づいています。脳のゴミを取り除いたり、構造的な劣化を薬でわずかに遅らせたりすることにリソースを割くよりも、今この瞬間に生きている脳細胞の「稼働率」を100%に引き上げる方が、人生の質(QOL)に直結すると考えているからです。
「生きている脳の面積が少なくとも、それが元気なら使える」 この思想は、欠損を埋めるのではなく、残存リソースを活性化させるという攻めの戦略です。
薬に頼って構造の維持を祈るのではなく、知的な刺激という「負荷」を与え続けること。それが、彼が辿り着いた、最もコストパフォーマンスの高い脳の防衛術なのです。
老人差別を打ち破る「身を挺した証明」としての執念
和田氏が自らの脳の「負のデータ」をあえて公開した背景には、社会に根深くはびこる老人差別(エイジズム)への激しい抵抗があります。
世間は「80歳の脳」と聞けば、即座に「何もできない衰えた存在」というレッテルを貼るでしょう。
しかし、彼は「80代の脳で、現にこれだけのパフォーマンスを出している」という事実を、動かぬ証拠として突きつけました。
脳梗塞、萎縮、持病。それら全ての「負」を飲み込み、なお言論の最前線に立ち続ける。たとえ将来、本格的な「ボケ」が始まったとしても発信を辞めないという彼の覚悟は、もはや執念に近いものです。
データや画像に人間を規定させない。不完全な体を引きずってでも、自らの知性を使い切る。その姿は、数値によって生存を管理される現代社会に対する、一人の医師による命懸けの反逆なのです。
私たちは「健康数値」のために生きているのではない
外部の視点に立てば、和田氏の現状は自業自得と映るかもしれません。糖尿病と高血圧を抱えながらラーメンを愛し、年間40冊という狂気的な執筆量によるストレスと運動不足。
多忙が生むストレスホルモン(コルチゾール)が脳を蝕んだ可能性も否定できないでしょう。
しかし、私たちはここで「命の使い道」という根源的な問いに直面します。医学的な正解(数値の管理)を優先し、刺激のない平穏な長寿を選ぶのか。
それとも、多少の摩耗を厭わず、己の知性を極限まで燃焼させる人生を選ぶのか。
和田氏は後者を選びました。彼はMRIの画像の中に生きているのではなく、今日、この不完全な脳で何を語るかという、生の実感の中に生きているのです。
もし今日、あなたの脳が「実年齢より20歳老いている」と宣告されたら。 あなたは「もう終わりだ」と活動を諦め、安全な檻に閉じこもりますか?
それとも、残された脳のリソースを最後の一滴まで使い倒す覚悟を決めますか?
私たちは「脳の画像」を生きているのではありません。不完全な体と折り合いをつけ、その機能を使い切る。その覚悟のなかにこそ、私たちの「生」の輝きが宿るのです。
和田式 脳メンテ: 気になるあなたの新・認知症対策習慣 – 和田秀樹
