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伊東市前市長・田久保真紀被告が報じられるたびに「それより小池百合子都知事の学歴詐称疑惑を追及しろ」という声はWhataboutism論法

伊東市前市長・田久保真紀被告が報じられるたびに「それより小池百合子都知事の学歴詐称疑惑を追及しろ」という声はWhataboutism論法

静岡県伊東市の前市長・田久保真紀被告のパソコンから、偽造された東洋大学卒業証書のデータが復元されたというニュースが報じられるたびに、SNS上では決まって「それより小池百合子都知事の学歴詐称疑惑を追及しろ」という声が上がります。

一見すると公平性を求める正論のようにも聞こえますが、この論法は「Whataboutism(ワタバウティズム)」と呼ばれる、議論の本質から目をそらすための典型的な手法です。

田久保被告の事件は「証拠のある刑事事件」

まず事件の実態を整理します。

田久保被告は東洋大学を実際には卒業しておらず在学中に除籍されていたにもかかわらず、市の広報誌に卒業したと記載し、市議会議長らに偽造した卒業証書を提示したとして、有印私文書偽造・同行使罪や地方自治法違反の罪で在宅起訴されています。

今回、静岡県警がパソコンを解析した結果、偽造卒業証書のデータや、偽造に使われたとみられる印鑑の注文記録まで見つかり、物的証拠が積み上がりつつあります。

つまりこれは単なる「疑惑」ではなく、司法の場で審理される具体的な刑事事件です。

小池都知事のケースは性質が異なる

一方の小池都知事の学歴詐称疑惑は、1990年代から週刊誌等で報じられてきたものですが、カイロ大学とエジプト大使館の双方が卒業を公式に認めており、本人も卒業証書を公表しています。

元側近による証言など疑念が完全に消えたわけではありませんが、公式機関が卒業を認めている以上、メディアが断定的に「詐称」と報じることは容易ではありません。

証拠に基づき起訴された田久保被告の事件と、公式に卒業が認定されている小池都知事の疑惑とでは、法的な位置づけがそもそも違うのです。

なぜこれがワタバウティズムなのか

この「田久保をやるなら小池もやれ」という主張には、いくつかの典型的なパターンが見られます。

第一に、本件の是非を論じずに別件を持ち出す「比較による優先順位のすり替え」です。田久保問題についての評価そのものには触れず、「もっと大きな問題がある」とすり替えることで、論点から逃げています。これは「お前だって論法(Tu quoque)」の典型といえます。

第二に、「メディアは弱い者ばかり叩く」という一般化です。元の話題から離れてメディア全体への不信を語ることで、共感を集めやすくなりますが、これは本件とは独立した別の論点であり、注意をそらす効果しか持ちません。

第三に、小池都知事の疑惑を実態の曖昧なまま「未解決の大きな問題」として持ち出す点です。疑惑の中身を具体的に検証しないまま「そちらの方が重大だ」と主張することで、田久保問題の軽視を正当化しようとしています。

もちろん「小池都知事の経歴問題も報道すべきだ」という主張自体は一つの意見として成り立ちます。しかし、それは田久保問題を軽視してよい理由にはならず、両者は本来まったく独立した問題です。

話の趣旨に沿うことの大切さ

このような「噛み合わない指摘」は、SNSに限らず日常会話やブログのコメント欄でもしばしば見られます。

ある話題に対して、無関係な別の話題を持ち出して反論した気になってしまう――それは反論にも異論にもなっていません。

議論を成熟させるためには、目の前の事実にきちんと向き合い、それぞれの問題をそれぞれの文脈で判断する冷静さが必要です。「あっちもやれ」という言葉で論点をすり替えるのではなく、まずは提示された話題そのものに向き合う姿勢こそが、健全な議論の第一歩ではないでしょうか。

基本は話の趣旨に合わせること


私が以前、松田聖子さんの中央大学卒業について記事を書いた時、ある初老の女性(といっても私より若いと思う)は、「それより小池さんの学歴詐称問題のほうが大事」などとコメントしていましたが、松田聖子さんの話と小池都知事の疑惑って、それこそ何の接点も影響もない全然別の話ですよね

つまり、記事に対する反論にも異論にもなっていないのです。

途中で、娘さんも亡くされた松田聖子さんが、それでも還暦を挟んで規定の年限で大学を卒業するというのは想像を絶する大変さでありますが、そのコメント者は松田さんと同年代のため、松田さんに対する嫉妬もあって向き合うことができなかったんだろうと私は解しました。

コメントに対する考え方も様々で、そのような「噛み合わないコメント」が好きな方もおられるかもしれませんが、私としては、松田聖子さんの話は創作ではなく一人の人間の生きざまを見る話ですから、話をそらさないでほしかったな、と率直に思いました。

リアルの会話にしろ、SNSのリプライにしろ、ブログのコメントにしろ、やはりその趣旨に沿った意見が基本ではないかと思いますが、いかがでしょうか。


「田久保市長」とは何だったのか? 伊東市の騒動から日本の地方・民主主義の再生を考える – 北野慶

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