
アンリ・ベルクソンの『創造的進化』における「エラン・ヴィタル(生の躍動)」
アンリ・ベルクソンという、ノーベル賞受賞者の哲学書『創造的進化』をご紹介します。
ルネ・デカルトの分析論・心身二元論、フリードリヒ・ヘーゲルの弁証法、チャールズ・ダーウィンの進化論など、人・生物と物質と社会の成り立ちについては、科学的合理的な近代社会の認識を提示した世界的に有名な哲学者たちがいます。
しかし、それらの世界観は、なにか腑に落ちない点も感じることがあります。
私たちがスマホやデジカメで撮影する動画は、一般的に1秒間に30コマ~60コマの画像(フレーム)を連続して撮影し、それを再生してあたかも動いているように見ています。
たとえるなら、その一コマ一コマをもとに、物理的、社会的現象を解析しているのが、近代の学問です。
つまり、いったん物質や現象の最小単位に落とし込んでから、その性質を調べるのです。
しかし、実際の私たちの生命は、コマ送りで生きているわけではなく、連続した営みです。
その連続性については、現代の科学の粋が十分に網羅できているとはいえません。
それを、埋めてくれる哲学を世に発表したのが、アンリ・ベルクソン(1859年10月18日~1941年1月4日)です。
その一例をご紹介します。
「親ガチャ」から生じる不規則な変化
親ガチャって言葉はご存知ですよね。
「親ガチャ」とは、子が、自分の親や家庭環境を選べない不条理さを、スマートフォンゲームのくじ引きである「ガチャ」になぞらえた日本のインターネットスラングです。
貧困・無学・下品(常識がない)な親からは、アッパークラス(上流階級で高学歴)の子は育たない。
といわれますが、少なくとも「親の経済力や学歴が子の学歴に強い相関(影響)を持つ」という傾向のデータは明確に存在します。(https://sprix-foundation.org/research/20260212)
ただし、親がどのくらいの収入と学歴なら、子の社会的地位と学歴がどうなるのか、という定量的なセオリーがあるわけではありません。
貧困・無学・下品な親から、そうでない子が育つ場合もあります。
さらに、同じ親に育った兄弟なのに、全く異なるベクトルに人格が形成されていくことも普通にあります。
子は、間違いなく親の影響を受けるところからはじまっているはずなのに、どこでどうやってそのようなバラバラな変化が生じるのか。
それは「遺伝」だけでは説明がつかないし、「環境」というには、あまりにも漠然としすぎています。
アンリ・ベルクソンはそれを、「生の躍動(エラン・ヴィタル)」という概念で説明しました。
ベルクソンが言う「生の躍動(エラン・ヴィタル)」
生命は、固定された環境(遺伝や親の育て方)に適応するだけでなく、内なる力によって自ら新しい形や種へと進化していく突き動かす力があるといいます。
そして、あらかじめ決められたゴールに向かうのではなく、無限の可能性と傾向を内包しながら湧き上がるエネルギーがあるといいます。
精神的エネルギーが、物質的な抑圧(家庭が不遇であるとか、体が不自由であるとか)の惰性に抵抗し、生命が生命らしくあろうとする持続的な躍動のちからを本来持っているといいます。
ベルクソンによれば、生物の進化は、機械的な環境適応や偶然の産物ではなく、このエラン・ヴィタルという見えない衝動の浸透によって創造的に推し進められています。
この説を援用して、「親ガチャ」をわかりやすくまとめます。
親子関係で言えば、親が貧困無学でも、立派な子ができるのは、決して偶然ではない。
ただし、それは子自身のエネルギーの「無限の可能性」を発揮できることが条件であるということです。
つまり、貧乏なのは仕方ないし、むしろ子にはバネになり得る。
ただし、親が子の躍動するエネルギーを押さえつけたらだめなんだ。
ということです。
私は、ベルクソンの説から、福沢諭吉の言葉を思い出しました。
「不幸にして貧苦なるも、苦中却てますます団欒の情を厚うして……安心を存すべし」
「不幸にして貧しい境遇であっても、その苦しみの中でかえって家族の団欒・情愛が厚くなり、心の安らぎを保つことができる」
という趣旨です。
つまり、親の愛情があれば、貧困すらも子にとってはエネルギーになり得ると言っているわけで、ベルクソンの説と全く合致します。
もちろん、福沢諭吉は、貧乏が良い、といっているのではなく、親さえちゃんとしていれば子はそれを跳ね返すこともできる、と言っているのです。
貧困ではなく毒親だから良くなかった
話を冒頭に戻します。
親の経済力や学歴が、子のそれに相関する傾向がある、という統計をご紹介しました。
でも、そうならない場合もある、とも書きました。
ベルクソン説、さらに福沢諭吉説では、その真相は、親が貧困無学だから、子が単純にそれを引き継いでそうなるのではなく、本来子がそれを跳ね返そうとするエネルギーはあるが、親が何らかの形でつぶすと「親の二の舞」になってしまう、ということです。
これなら、確かに説明がつきます。
もっと簡単に言うと、貧困無学の家庭の子が貧困無学になるのは、親が貧困無学だからではなく、子のエネルギーを踏みにじる毒親だからだめなのです。
たとえば、
進学や就職や縁談で、子の自主的選択に干渉する親は、理由の如何を問わず毒親ということです。
ん? 苦労するのが目に見えているからアドバイスした?
いやいや、もし苦労したとしても、その試練が、子にとって飛躍するきっかけかもしれないでしょう。
もし、そうでなかったときは、可能ならそこで手を差し伸べればいいのであり、何もしないうちから親が潰したらだめなのです。
アンリ・ベルクソンは、『創造的進化』(1907年)で、ノーベル文学賞を受賞しました。
「ノーベル哲学賞」というのはないので、文学で受賞したわけです。
つまり、これは、物理学や医学などの発見と並ぶ真理であると認められたわけです。
ベルクソンの説については、今後も機会があればご紹介したいと思います。
みなさんにとって、内心のメンターである教科書のような哲学者はおられますか。

創造的進化: 生命の本質と時間の捉え方 – アンリ・ベルクソン, Groupe de recherche juridique Artemis

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