ザ・ベストテンの作り方(三原康博、テレビ美術研究会著、双葉社)。1978年~1989年に放映された人気音楽番組を振り返る書籍

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ザ・ベストテンの作り方(三原康博、テレビ美術研究会著、双葉社)。1978年~1989年に放映された人気音楽番組を振り返る書籍

ザ・ベストテンの作り方(三原康博、テレビ美術研究会著、双葉社)。1978年~1989年に放映された人気音楽番組を振り返る書籍です。最高視聴率41.9%を誇り、番組を見ないと翌日の話題についていけないほどの人気だった番組ですが、放送が開始されたのは今から46年も前です。

『ザ・ベストテン』は、1978年から1989年までTBS系列で放送されていた音楽番組で、日本の音楽史に燦然と輝く伝説的な番組です。

放送期間は、毎週木曜日の21:00。

司会進行、いまでいうMCは、黒柳徹子さんと久米宏さんが息もつかせぬ絶妙なやりとりでした。

各楽曲について、レコードの売り上げ、有線放送リクエスト、ラジオ放送のリクエストチャート、はがきのリクエストなどを独自の基準によるポイントで点数化。

そのベストテンをカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露する音楽番組でした。

視聴率は、最高視聴率は41.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)を記録しているそうです。

「独自の基準によるポイント」というのがちょっとひっかかりますが、まあそれをいったら、入学試験の作問だって学校側独自の裁量なわけですし、いずれにしても順位づけをすることで、他の番組で歌われていたりリクエストされたりしている“売れている”歌が「トレンド」である、という根拠にはなったのでしょう。80年代で40%という視聴率はすごい。

『ベストテン』『ベッテン』『ザベテン』とも呼ばれていました。

ランキング番組は、それまでにもありました。

たとえば、ラジオですが、ニッポン放送の『不二家歌謡ベストテン』は、日曜午前の人気番組でした。

『ザ・ベストテン』の新機軸なところは、生放送で、ランクインした歌手がスケジュールの都合で出演できなくても、現地にカメラが向かい、スタジオ以外のところで歌うシーンがあったことです。

この番組は、多彩なエンターテインメントとともに、日本の音楽シーンに大きな影響を与えた素晴らしい番組でした。


「追いかけます。お出かけまでならばどこまでも」で有名な生中継の魅力が多く語られてきました。

しかし、歌手と作詞家と作曲家がしのぎを削りながら歌謡曲を輝かせていたあの時代を懐かしく思います。

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現場担当者の葛藤

ただ当時、出演者や、それを支える事務所としては複雑な気持ちだったのではないかと思います。歌の評価を数値化、順位化されてしまうことで、有利になる場合もあれば不利になることだってあるからです。

これから上昇する歌なら宣伝になるでしょう。しかし、ちょうどピークの頃、もし同時期に売れている他の歌に順位を追い越されたりすると、「あ、もうこの歌は落ち目なのか」と思われてしまい、その歌のセールス期間が短くなってしまう可能性もあります。

フジテレビが作ったタレントであるおニャン子クラブの出演がむずかしいなど、キャスティングの困難さはあったようです。

そうした事情もありながら、多くの歌手が出演し、お化け番組にまでになったのはどうしてか。当時の美術担当だった三原康博さんは、番組作りの醍醐味として、歌手ごとに独特の舞台を作ったことでショーアップをはかったことを述べています。

「作詞・作曲・編曲があって、最後に『作画』として美術を演出しているのが僕という自負はあったよ。たとえば『プレイバック』では床に四角いブロックをいくつも置いて、渋滞しているテールランプに結びつけた。あの歌詞を書いた阿木さんにも『僕の絵はどうですか?』と開いてみたかったね」『アサヒ芸能』(2013年3月28日号)より
「「東京音楽祭」とか「レコード大賞」というのは、その1年に流行った曲が一堂に集まって、レコード界の日本一を決める広場です。これに20年間携わったということは、その20年の中で生きている僕が、当然その間、毎日、新聞を見たり、テレビを見たりしながら、その時代の人間になっている。それを表現すれば、その時代の広場になるんだろうと。そしてそこで流行った歌が流れ、スペースができていくという、そんな共通の広場を作った。だからたとえ聖子ちゃんが歌っていても、それは聖子ちゃんのためのセットではないんです。
 片や『ベストテン』は、聖子ファンがその歌を聞きたいからハガキを出す。僕らはそのお客さんに向けて作っている感じがあるんです。だからデザインポリシーがあって、そのために変えるんではなくて、聖子フアン、桑田ファンと、それぞれのファンに向けて、ハガキを書いてくれた人に対して「これでどうですか」と提示しているような気持ちでした。」(『ザ・ベストテンの作り方』より)

当時は、歌手がそれぞれ持ち歌を披露することで構成される音楽番組が他局にもありました。が、テレビの特性を生かして、歌手ごとの空間を作ったのは「ザ・ベストテン」だけだと三原康博さんは言うのです。

「『夜のヒットスタジオ』は広場でしたよね。妹尾河童さんがレギュラーセットを作って、電飾を華やかにしたり、木をたくさん用意したりという程度の変化はあるんだけれど、ほとんどはレギュラーの広場で、歌の遊園地があって、そこでちょこっと持ち込みのものがあるというシチュエーションです。
 日本テレビには『ザ・トップテン』というのがありました。でもあれは『ベストテン』の後発でしたので影響を受けすぎています。渋谷公会堂での収録番組ですが、舞台袖があるという意味で物理的にはいいんだけれど、カメラワークという点からすると自在ではない。どうしても舞台の作りだと、一方向気味になるわけです。テレビというのは、カメラが後ろへも行って周囲を撮れるという自在性がある。八方から撮るのが、僕は前提だと思うんです。だから舞台が空間とか立体の作り方は平面的だとすれば、テレビのほうは立体的だろうという気はしますね。

それが、歌そのものに価値をつけるとともに、今度のこの歌手のこの歌はどういう設定で歌われるのだろうか、とファンならずとも期待が高まったのかもしれません。要するに内容の濃い番組だったということです。

『ザ・ベストテンの作り方』では、当時の主な歌手の歌と舞台セットを紹介。同書によると、単純計算で1人あたり80万円かけたそうです。紹介されている歌手は、山口百恵、八神純子、庄野真代、郷ひろみ・樹木希林、円弘志、ゴダイゴ、桑名正博、ツイスト、久保田早紀、八代亜紀、郷ひろみ、岩崎宏美、柏原芳恵、河合奈保子、中森明菜、杉山清貴&オメガトライブ、小泉今日子など。

「懐古」ではなくルネッサンスに

ところで、こうした「昔の番組」を振り返る書籍が話題になると、「昔は良かったという懐古趣味」という意見もあります。

たしかに、当時のことを残しておきたいという「懐古」もねらいかもしれませんが、この書籍の狙いはそれだけではなく、今の番組作りにも、そのままとはいかないまでも、使えることがあったら使ってほしいという思いも込められているのではないかと思います。

時代の発展の道筋というものは、ストレートに進むまっすぐな上り坂ではありません。行きつ戻りつを繰り返したり、らせん階段のように回り道をしたりしながら、歴史的に振り返ると発展を貫いているのです。

全体としては昔より今が進んでいたとしても、ときには、昔の良いところが抜け落ちたり、部分的に昔よりも後退したりしているものもあります。それを見直し、現代に再生するルネサンスは積極的な試みです。

私も「昔は良かった」主義者ではありませんが、テレビがつまらなくなったと言われている今ならなおさら、こうした当時の「懐古」に耳目をしょくしてもいいのではないかと思います。

『ザ・ベストテン』のような濃密な番組を、今の地上波で見たいなあと私は思うのですが無理でしょうかね。

『ザ・ベストテン』の作り方 - 三原 康博, テレビ美術研究会
『ザ・ベストテン』の作り方 – 三原 康博, テレビ美術研究会

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