『生活のなかの哲学』(仲本章夫著、創風社)は、日常生活の出来事やトレンドを切り口にして哲学とは何かを教えてくれます。「トレンド」はもちろん発刊当時のものですが、たとえばピーター・パン・シンドロームとはなぜ起こるのか、哲学の側から解説されています。
日常的な流行や社会現象を哲学する
『生活のなかの哲学』(創風社)という書籍を久しぶりに手にしました。
仲本章夫さんという哲学研究者が、1987年に上梓したものです。
したがって、取り上げている話題は当時のものですが、そこで語られている内容は現在も十分通用する普遍的なことが書かれています。
私は、ひとに誇れるほどの読書家でも勉強家でもないのですが、私にとっては、これまででもっとも影響を強く受けた書籍です。
この書籍を最初手にした時は、これまでにないカルチャーショックを受けました。
哲学とか経済学というと、興味がないわけではないけれど、どこから学んだらいいのか、適切な入門書がほしいところです。
本書は、哲学的にものを見るということもさることながら、その題材がヘーゲルやマルクスといった古典そのものの作品研究ではなく、日常的な流行や社会現象であることが新鮮な入門書でした。
哲学というと、知的で魅力的なイメージがする一方で、過去の偉人の難しい古典を読む難解さを想像するかもしれません。
たしかに、本格的な哲学研究にそうしたアプローチは必要ですが、本来哲学というのは、わたしたちの思考の体系を明らかにすることですから、自分や世間のものの考え方について見なおすことは、十分“哲学している”ことになります。
生活の中の哲学、という本書のタイトルは、まさに、古典ありきではなく、私たちの日常の出来事や判断をきっかけに哲学的なアプローチを試みる大衆向けの書籍です。
ちなみに、本書と同じタイトルで、牧野紀之さんという方が1972年に、鶏鳴出版から哲学啓蒙書を上梓しています。
今回の『生活のなかの哲学』は、より身近に、たとえば時事問題を話題にしています。
もっとも、「パレスチナ難民事件」や『何となくクリスタル』(田中康夫著、1980年)など、あくまでも「当時の」時事問題ですが……。
物質を根源とするのか精神を根源とするのか
本書がまず述べているのは、多様な価値観に生きる人間も、おおもとに世界観があり、それに基づいて行動しているということ。
価値観、哲学、理念、いろいろな言葉がありますが、その根源は世界観にあるということです。
では、その世界観とはなにか。
大きく唯物論と観念論に分けられるといいます。
客観的・物質的なもの(たとえば科学など学問的真実)をもとに自分の思考を成立させるのか、それとも精神的なものをおおもとと見るのか。
ちょっと抽象的でしょうか。
たとえば、私たちが生きているのは、脳をはじめとした肉体が機能するから、と物質的・客観的な面からと見るのは唯物論といいます。
いや、神や霊魂など、見えざるものが肉体を動かしている、と考えるのが観念論です。
つまり、精神的・主観的なことがおおもとになっているものの見方です。
何だ、では唯物論というのは、精神的なもの(神や小説や芸術など)を一切否定するのか、というともちろんそういうことではありません。
ただ、それらは人間の存在があって初めて成立すると見ます。
神社仏閣があって人間が創造されたわけではなく、「人間」という客観的に実在するものが心の拠り所として神社仏閣を作ったのです。
宗教は、人間の平和や先祖を思う人間の叡智や良心のあらわれ、という意味で尊重しています。
神はいないといっているのではないし、その人が何かを信じることのを否定しているわけでもないのです。
「在る」「いる」と、客観的に存在が認められたら認める、という世界観が唯物論です。
宗教のように、客観的でないものでも「いる」「ある」ことを前提とする世界観が観念論です。
本書の第1章~第2章は、このように人間のものの考え方のそもそも論から、社会とはどうやって動くか、占いをどう見るか、といった日常的な問題を解説しています。
第3章は、上野千鶴子さんら、当時の文化人の言論を、唯物論者の立場から批判的に論評しています。
第4章になって、はじめてマルクスやヘーゲル、フォイエルバッハといった古典の話になります。
おそらく、本書は著者の仲本章夫さんが、都立商科短大の教授時代、概論か、もしくはゼミの教材で使っていたのではないかと思います。
哲学を学んだことのない人の入門書としては、さすがに古典の出てくる後半は少し難しいですが、唯物論と観念論という、人間の世界観のもっとも基本的でシンプルな違いを学ぶことができるでしょう。
苦労人の語る哲学だから説得力がある
著者の仲本章夫さんは、東京大学の哲学科出身です。
というと、自分たちとは違う世界にいるエリートである、と考えてしまいそうですね。
が、仲本章夫さんは、高校を卒業した後、いったん社会に出て働いて、そこからまた学業に復帰した苦労人。
どちらかというと、「エリート」よりも「叩き上げ」のイメージのほうが強い気がします。
また、夫人の仲本静子さんは、自閉症の我が子と30年向き合った『しょうちゃんの日記』という書籍を、やはり創風社から上梓しています。
仲本章夫さんの書籍の中にも、ほんの数行だけ、娘さんが発達障害であることを伺わせる記述があります。
要するに、他人の心の痛みも苦悩も自分で経験済みの苦労人なのです。
そういう人が語る「生活のなかの哲学」だからこそ、他者のエラソーな話に点が辛い私の心にもストンと落ちたのかもしれません。
私は、仲本章夫さんを自分のメンターと思っていますが、リアルには接点のないまま亡くなってしまいました。
ウィキペティアでは、没年が書かれていませんが、すでに物故されています。
一部には、仲本章夫さんは新左翼だったが、食えないので日本共産党に転向した、なんて訳知りの論評する人もいます。
たぶん「右」も「左」も批判していたからそういわれるのでしょう。
しかし、少なくとも学者としては、そんな単純なものではなかったと思います。
仲本章夫さんの書籍を読めばわかりますが、1970年代の革新自治体ラッシュがなぜ廃れたかについて、日本共産党および民主勢力をやんわり批判していますし、カール・マルクスに対する書評も是々非々ですし、いわゆる共産党系文化人といわれる哲学者に(学術上ですが)異論を述べたりしています。
特定のセクトの代弁者ではなく、真に自由な学術活動、表現活動をしてきたということではないのでしょうか。
以上、『生活のなかの哲学』(仲本章夫著、創風社)は、日常生活の出来事やトレンドを切り口にして哲学とは何かを教えてくれます、でした。
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