
58歳の銀行員が、息子さんの参考書を使い、働きながら3年で京都大学一般入試を突破。大学では社会人経験を生かし卒業後も大学院で研究を続けていることがニュースで取り上げられました。それに対して「国立大で若者の機会を奪う」との批判が上がったというバカげた話がトレンドです。
定年間近の58歳、独学で京大合格 「進路気にせず勉強は楽しい」https://t.co/Cu73RqS75r
役職定年を機に受験勉強を始め、58歳で京大生になった元銀行員の男性がいます。生活費をできるだけ切り詰めるため、学生寮の「吉田寮」に入寮し、卒業後は大学院に進みました。
— 毎日新聞 (@mainichi) September 18, 2026
このニュースに対して、「58歳で京大に合格した人は、若者に席を譲るべきだ」「学問の自由は公共の福祉に限る」「35歳以上の学費倍額しろ」などという意見まであり、私は開いた口がふさがりませんでした。
一方で、「学びに年齢は関係ない」「人間を投資効率で選別するのは危険」との反論が相次ぎ、大学の本質をめぐる議論が広がっています。
58歳で京大に合格した人に対して「若者に席を」という人がいるというポストが流れてきて、笑ってしまった。大学は学問を志す人に開かれている。ただそれだけです。別に「高校生の次のステップ」ではない。いかにも日本らしい。
— 九州大学 下地理則 (@shimojizemi) September 19, 2026
いやまったく、このOGPの通り、「大学は学問を志す人に開かれている。ただそれだけです。別に「高校生の次のステップ」ではない。いかにも日本らしい」コメントだなあと思い、私もこの「論争」に一枚噛んだところ、少しだけバズりました。
私は次のような内容のコメントをしました。
「それは嫉妬ですよ。高齢出産のニュースがあると、必ず『親が歳をとっているから、授業参観で子どもがかわいそうだ』という中傷が出ますが、それと同じ程度の感情ではないでしょうか」
すると、このコメントにリポストや「いいね」がたくさん付きました。
考えてみてください。
無選考で入学したのならともかく、その58歳の方は、現役の若者と同じ入学試験を受けて、堂々と勝ち取ったのです。
何の問題もありませんよ。
負けた「現役」の若者たちの力が足りなかった。
それだけのことです。
入学試験である以上、それは勝負です。
勝ちを譲れとか、そんな甘っちょろいこと抜かすな、という話です。
だったら、あんたらも「石の上にも3年」で、この銀行員のように3浪覚悟で受験しろよ、ということです。
先進国で、こんな遅れた大学理解の国があるのか
「58歳で京大に合格した人は、若者に席を譲るべきだ」「学問の自由は公共の福祉に限る」という意見を見て目眩がした。… https://t.co/OJxHWBrDLI
— ふじむらたいき:小説を読めない書評家 (@fujifujizombi) September 19, 2026
一応、批判する側の言い分も、公平に挙げておきます。
・定員が限られている中で、若い人のほうが、残された働ける期間・社会に貢献できる期間が長いという「効率」の考え方
・公的なお金で支えられた教育資源は、将来、社会に返してくれる可能性が高い人に優先して配るべきだという考え方
・「若者の席を奪っている」という感情的な反発
こうした考え方を突き詰めていくと、年齢だけでなく、「病気の人」「障害のある人」「低所得の人」「長生きできないと予測される人」など、社会からの見返りが少ないと見なされた人たちからも、教育の機会を制限する方向に進みかねません。
それが、上掲の投稿が指摘していた「人間を投資効率で選別する社会」への心配なのです。
そもそも、若いというだけで大学に入れたとしても、それが将来どれほど役に立つかなど、誰にもわかりません。
実際に、「学部(学士課程)から直接、または一度社会人などを経ずにそのまま博士課程(5年一貫制などを含む)へ進学する割合は極めて低く、全体の1%に満たない」(GoogleAIより)と言われています。
最初の58歳の方は大学院に進んだそうですが、大半の「現役世代の若者」は、学部を出たら就職してしまいます。
結果的に、ほとんどの「現役世代」が担わないイノベーションは、その58歳の元銀行員がチャレンジすることになるのです。
さて、「58歳」と「現役世代」どちらのほうが「投資効率」が悪いのでしょうか。
58歳の方に限らず、歳をとってから大学に入る人は、覚悟を決めていますし、目的意識もはっきりしています。
一方、大半の現役世代は、将来設計を描こうにも、まだ実社会に出た経験がありません。
だから、志望校は偏差値でなんとなく選ぶしかなく、そのまま研究段階まで進むかといえば、なかなかそうはなりません。
合格は譲るものではなく競り勝つもの
「若者に席を譲るべきだ」などともっともらしく言っても、そこに道理はなく、結局は、いつものように何者かになりたかったのに、何者かになるための努力も十分にせず、当然ながら何者にもなれなかった人の嫉妬だと、私は結論づけます。
人間の行動原理や判断の契機というのは、ホント、つきつめるといつもジェラシーとコンプレックスなんですね。
入学試験は、譲るものではなく競り勝つものです。
58歳が3浪して大学に入ってはいけませんか。
ちなみに私は、年金世代の分際で博士課程に進み、さらに現役世代との戦いに競り勝ち複数の学内奨学金をいただいており、今年度の学費は事実上0円です。

高齢期を支える: 高齢者が社会を支える時代に向け (放送大学教材 1519441-1-2311) – 栃本一三郎

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