『スタ誕三人娘レコジャケOTAKARAファイル』(鹿砦社)はスカウト番組『スター誕生!』の象徴花の中三トリオを振り返る

『スタ誕三人娘レコジャケOTAKARAファイル』(鹿砦社)はスカウト番組『スター誕生!』の象徴花の中三トリオを振り返る

『スタ誕三人娘レコジャケOTAKARAファイル』(草野直樹、鹿砦社)をご紹介します。歌謡曲黄金時代の1970年~80年代にかけて、スターへの登龍門となったオーディション番組『スター誕生!』。その象徴とも言うべき花の中三トリオを振り返っています。

スター誕生とはなにか

スター誕生というタイトルが物語っていますが、出場者を芸能事務所やレコード会社がスカウトするオーディション番組です。

では、なぜそのような番組が「誕生」したのか、

番組の生みの親であり育ての親でもある阿久悠さんの『夢を食った男たちー「スター誕生」と黄金の70年代』(文春文庫)から見ていきます。

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その昔、芸能界には“ナベプロ帝国”という言葉がありました。

タレントを何百人も抱え、メディアやレコード会社を牛耳っていた渡辺プロダクションの力を表現したものです。

クレージーキャッツや、ザ・ピーナッツなど、芸能史上に残る所属タレントが、1960年代に大活躍して躍進。

以来、事務所は金銭的にも人脈的にも力をつけ、政財界にも強力なコネクションを持つようになり、批判はタブー視されたといいます。

誤解のないように書くと、個々の所属タレントがそのような権勢を振るったわけではありません。

事務所がそれだけ巨大になった、ということです。

その巨大オフィスのナベプロがあるとき、日本テレビの人気歌番組『NTV紅白歌のベストテン』に対抗して、同じ曜日と時間帯にNETテレビ(現・テレビ朝日)の『スター・オン・ステージあなたならOK』という競合番組をぶつけてきたといいます。

しかもナベプロ側は、「(紅白歌のベストテンの)放送時間をずらさないのなら、うちのタレントは出演させない』とまで通告。

売れっ子タレントを抱えるプロダクションの強引さは今も昔も変わりません。

ただ、当時の同局が今のメディアと違うのは、それに屈せず、ではこちらでタレントを作りましょう、という発想を持ったことだ。

そんな経緯からスタートしたタレントスカウト番組が、あの『スター誕生!』です。

当初は、「ノド自慢」感覚で参加する素人に番組関係者はヘキエキしたものの、タイトル通りに番組から次々スターが誕生することで、たんなる番組の成功に留まらず、プロダクションとレコード会社、もしくはプロダクション同士の力関係など、芸能界の秩序や価値観が根底から大きく変化したといわれます。

そうした新しい時代を切り開くきっかけになった同番組を支えたのが、番組出身のスターたちです。

中でも初期にデビューした、森昌子、桜田淳子、山口百恵は、番組の果たした“業界クーデター”を象徴するすさまじいパワーと個性的な活躍を見せました。

本書『スタ誕三人娘レコジャケOTAKARAファイル』では、通称“花の中三トリオ”といわれる「スタ誕三人娘」の残したヒットソングについて、ジャケットともに振り返っています。

森昌子

第1章は森昌子です。

森昌子というと、『スター誕生!』が生み出した番組の象徴のような扱いを受けることがありますが、番組からデビューしたのは2人目でした。

第1号は、内山田洋とクール・ファイブのボーヤだった沼尾健司という人です。

いずれにしても、港区の公立中学生、森田昌子が登場したのは第7回目の放送でした。

『スター誕生!』を支えた阿久悠は、森昌子についてこう書いています。

小柄というより子どもの体型で、垢抜けない髪型、多少ウェーブのかかったオカッパであったと記憶しているが、似合うも似合わないも、ただ校則に従っているという感じで、そこからスターを予感させるものなどは、何もなかった。(『夢を食った男たち』)
ところが案に相違して、『涙の連絡船』を歌い始めると審査員たちは「思わず腰を浮かし、一瞬表情を緊張したものに変え、やがて、深い深い溜息をついて微笑で顔を覗き合う状態になるまでいくらも時間がかからなかった」(同)という見事な歌声で、13社のプラカードが上がる初代最優秀賞(グランドチャンピオン)に輝いたといいます。

桜田淳子

「神がかり的なことを言うようだが、至極平凡な少年少女の輪の中で一人だけ、浮き上がって見える、あるいは、淡い蛍光色に光るように思える少女がいた。演出を心得ているのか、白いベレー風の帽子をかぶっていて目立ったが、大人の興奮が白い帽子で誘われるものではなく、彼女自身が発散している、彼女自身も気づかぬ何かが立ちのぼっているとしか言いようがなかった。/それが桜田淳子だった」(『夢を食った男たち』)

と、阿久悠さんをもっとそう言わしめるほど、デビュー前からアイドル歌手としての才を認められていたのが桜田淳子です。

森昌子、山口百恵と「花の中三トリオ」「スタ誕三人娘」などと呼ばれましたが、歌の本格派を志向する森昌子、デビュー曲が不発でアイドルらしくない“陰のある売り方”にシフトした山口百恵などと比べ、もっともアイドルらしいアイドルとしてのポジションを得ました。

山口百恵

出だしから飛ばした2人に比べると、スタートは地味だったのが山口百恵です。

1972年12月の『スター誕生!』は第5回決戦大会に出場した。

桜田淳子と同じ、牧葉ユミの持ち歌のひとつである『回転木馬』を歌って20社から指名を受けたものの、番組中最優秀の合格者であるグランドチャンピオンは韓国のシルビア・リーに取られてしまい、森昌子や桜田淳子のように「番組のチャンピオン」ではなく画竜点睛を欠いた「合格」でした。

デビュー曲の『としごろ』(1973.5.21)は、セールスは7万枚でオリコンは37位。

新人賞を取った森昌子(『せんせい』が51万枚で3位)、桜田淳子(『天使も夢みる』が12万枚で12位)らに比べて大きく後れを取りました。

しかし、2曲目からは「青い性典」路線でブレイク。

さらに、途中からは横須賀ツッパリ路線でさらに勢いを増し、押しも押されもせぬ大歌手になりました。

本書は、3人の駆け抜けた持ち歌のレコードジャケット100曲を、原寸大で紹介して解説を加えています。

付記

そして、花の中三トリオは現在、それぞれの人生を歩んでいます。

山口百恵(三浦百恵さん)は義両親献身介護、桜田淳子は芸能活動再開に意欲的、森昌子は個人事務所で再ブレークし、還暦を迎えて2度目の引退も表明しました。

山口百恵(三浦百恵さん)は義両親献身介護、桜田淳子は芸能活動再開に意欲的、森昌子は個人事務所で再ブレーク
山口百恵さんは義両親献身介護、桜田淳子は芸能活動再開に意欲的、森昌子は個人事務所で再ブレーク。これが“ついに還暦”を迎えた『花の中三トリオ』の近況であると、『日刊ゲンダイ』(2018年5月17日付)が報じているので、今回はそれをご紹介しよう。

還暦を迎え、アイドル歌手時代にはなかった人生経験を積み、人格的陰翳を豊かにした三者の生き方は、表舞台に復帰するかどうかにかかわらず、今後も注目されることでしょう。

以上、『スタ誕三人娘レコジャケOTAKARAファイル』(鹿砦社)はスカウト番組『スター誕生!』の象徴花の中三トリオを振り返る、でした。

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Photo by Elijah Ekdahl on Unsplash

スタ誕 三人娘レコジャケ OTAKARAファイル - 草野 直樹
スタ誕 三人娘レコジャケ OTAKARAファイル – 草野 直樹

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