大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか(佐々木閑著、NHK出版新書)は、お釈迦様の仏教と大乗仏教の違いを説明する

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大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか(佐々木閑著、NHK出版新書)は、お釈迦様の仏教と大乗仏教の違いを説明

大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか(佐々木閑著、NHK出版新書)は、お釈迦様の仏教と大乗仏教の違いを説明しています。「涅槃寂静」に向けての善行に「回向」を挟んだと、「空」のあり方の違いなど、わかりやすい対話式の解説です。

『大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか』は、佐々木閑さんがNHK出版新書として上梓した書籍です。

先日、このブログでは、『別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した』(佐々木閑著、NHK出版)をご紹介しました。

別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した(佐々木閑著、NHK出版)は原始仏教と大乗仏教の違いを解説
別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した(佐々木閑著、NHK出版)は原始仏教と大乗仏教の違いを解説しています。どうして日本の住職は、結婚もするし金儲けもするしお酒も飲むのだろう、という疑問も解決します。

対話式で、釈迦の教えを基礎に据えたうえで、様々な大乗の教えを個別に読み解いていくという書籍です。

本書によると、読者の反響は大きく、細部をもっと詳しく知りたいという意見や、たくさんの質問がきたといいます。

大乗仏教という言葉は知っているし、自分たちの住む日本が大乗仏教国であることも知っている。しかし、その大乗仏教というのがいったいどのような教えなのかは、さっぱりわからなかった。それが、このムック本を読むことで、その概略が理解できたという、ありがたい感想も多くの方から頂戴しました。
今回、そのムックを新書化するにあたり、そういったご意見も参考にしながら、新たな質疑応答と図版を加えて、ムックでは少々急ぎすぎた部分を整理し直し、さらには新しい章(講)を書き下ろして、日本仏教の流れもよりわかりやすく解説しました。 「大乗仏教の意味を正しく知りたい」と願う人たちのお役に立てば幸甚です。(まえがきより)

つまり、同書の大乗仏教の対話式解説の改訂版といったところです。

本書は2023年3月9日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

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善行もしてはいけないのが本来の仏教

仏教については何度か取りざたしましたが、「お釈迦様の仏教」と、わたしたちが「仏教」と呼んでいる「大乗仏教」は、次のような共通点は持ちながらも、

  1. 創造主(神様)を前提としない世界観
  2. 涅槃寂静
  3. 一切皆苦
  4. 諸法無我

その中身は大きく異なります。

本書には、その説明がまずあります。

要約します。

「お釈迦様の仏教」の到達点は、煩悩を断ち切り悟りを開くことによって、輪廻転生から解脱する涅槃寂静でした。

大乗仏教も涅槃寂静が到達点であることは同じなのですが、ただし「お釈迦様の仏教」で涅槃寂静に至るには、出家して厳しい戒律を守りながら修行しなければなりません。

一方、大乗仏教は、一般の在家信者でも、つまり出家しなくても涅槃寂静するということになっていますから、どうしても「お釈迦様の仏教」と同じままというわけにはいきません。

たとえば、大乗仏教には六波羅蜜といって、積むべき善行の6種の実践徳目がありますが、それを貫徹すれば涅槃切符を手に入れられることになっています。

が、「お釈迦様の仏教」は、悪い行いはもちろん、たとえ良い行いであろうが、自意識に根ざした行動は自己愛や承認欲求に根ざすもので、そうした欲は涅槃を目指すならもってはいけないことになっています。

つまり、善い行いもしてはいけないのです。

たとえば、お釈迦様の経典『スッタニパータ』で、「村へ托鉢に行ったとき、招き入れられても、食べ物をもらっても、喜んではならない。」という一文があります。

喜びは、「自意識に根ざした」ものだからです。

ですから、ここで「お釈迦様の仏教」と大乗仏教は、善行に対する考え方が180度異なり、涅槃までの道筋が大きく違っています。

では、大乗仏教は、ここでどう辻褄を合わせているかというと、「回向(えこう)」という概念を持ち出します。

回向(えこう)とは、業のエネルギーを輪廻とは別の方向に向けることです。

わかりやすくいうと、自分の善行の結果である功徳を、自分や他者の成仏に回すことです。

つまり、功徳は、もともと「善いことをしていれば報われることがある」という現世利益的なものでしたが、それを涅槃寂静切符に振替えることができる、としたのです。

本書では、コンビニのポイントカードに例えています。

ポイントのシステムを知らないと、コンビニで溜まったポイントは、またコンビニで使おうとします。

が、nanacoカードにしてもポンタカードにしても、別の店で買物もできますし、貯めることでより大きな商品に手が届くこともあるとしています。

小さな買い物をづつけて、ポイントが溜まったら旅行券になるとか、ね。

そういう考え方なのだそうです。

善行を積み上げることで、成仏(涅槃寂静)の切符が手に入る、ということです。

nanacoやPontaのおおもとの考えは、大乗仏教(般若経)にあったとは……。

大乗仏教、侮りがたし。

ただし、自動的に振り替えられるわけではなく、ある「力」を経由する必要があり、それが「空」なのだといいます。

『般若経』ではこんなふうに考えました。
「釈迦の仏教」すなわち、『阿含経』(ニカーヤ)と呼ばれる古い時代のお経が、業のエネルギーには輪廻を助長する働きしかないと考えていたのは、縁起と呼ばれる因果則の裏側に隠されたもっと崇高なシステムに気づかなかったためで、じつはその因果則の裏には、善行によって得たエネルギーをブッダになるための力に振り向けることができる、より上位のシステムが隠されていたのだと。
 その、因果則の裏側に隠されたシステムのことを、『般若経』では「空」と呼びます。「空」の論理を学び、それを理解した人だけが、日常的な善行のエネルギーをすべて悟りのほうに向けることが可能になると、『般若経』では考えたのです。

「お釈迦様の仏教」では、この世のものは、存在要素が複雑に関係し合いながら寄せ集まり、定められた因果則にょって刻々と転変することで、この世界が形作られているとしました。

つまり、「私」という存在も、色や形、温度、重さなど、様々な寄せ集めで作られた過程の存在で、それに加えて「意思」など「心の働き」が、目や耳といった感覚器官によって連結され、絶えず変化しながら、かりそめのまとまりをなしている、ととらえました。

「そこに存在する」のは「私」ではなく、確実に存在する構成要素である、ということです。

しかし、『般若経』では、その構成要素すらも「実在しない」としました。

つまり、すべてものもがうつりゆく「諸行無常」さえも否定して、「そもそも実体がないのだから、すべては錯覚である」としてしまいました。

それでは、「お釈迦様の仏教」の根本にある「業の因果則」すらも存在しないことになってしまいますから、この世の有り様自体を説明できなくなります。

そこで『般若経』では、理屈を超えた、もっと別の超越的な法則によって動いている、ということにしたというのです。

それが「空」だというのです。

その主体は、菩薩であったり、如来であったり、お経そのものであったりするわけですね。

それって神様とどう違うの?という疑問もありますが、神様というのは絶対的創造主であり、すべての宿命を差配している立場です。

それに比べて、仏教における「菩薩、如来、お経」というのは、個々人の善行を成仏に導き案内するという程度のものではないかと私は認識しました。

つまり、神様のようにすべてをしていただくのではなく、あくまでも個々の善行ありきであるということですかね。

ただまあ、いずれにしても、「お釈迦様の仏教」と大きく違ってきてしまったのは確かです。

迷信と神秘は違う

本書は、対話式で説明が続きますが、聞き役の青年は、「超越的」という言葉を聞いて、オカルトを疑っています。

それに対して講師は、「迷信」と「神秘」は違うと答えています。

「迷信」とは、2つの現象の間に、誤った因果関係を想定すること。

カラスが、庭に来て鳴いた翌日に、母親が亡くなったとして、「母が死んだのはカラスが鳴いたからだ」としてしまうのは、そこに生成性も契機性も見ない、つまり因果関係は存在しないから、ただの思い込みにすぎない。

一方の「神秘」とは、現象の奥に人智では説明不可能な力を感じ取ることだといいます。

あと1週間の命と言われていた人が、娘の結婚を見届けるまではと、お経を唱えて頑張り半年以上生きたとします。

お経そのものに延命の力があるかどうかはともかくとして、その人がお経を心の支えに頑張ったことは確かで、そこに人智を超えた不思議な力を感じ取るならば、プラシーボであろうが何であろうが、その人にとってお経は神秘な力を持っていたということになる、との説明です。

プラシーボであるかないかは、疫学調査ならともかく、その人自身には意味のないことですからね。

半年は頑張りたいと思って、それを達成できたことが大事なのであって、その原因が何かというのは、医学者が別途調べたければ調べて頂戴、という感じでしょう。

ただし、科学的に証明されたものでない以上、再現性が約束されているわけではありませんから、あくまでそう信じられるか、信じて実践できるかという話になりますから、それはやはり科学ではなく宗教というわけです。

みなさんは、いかがお考えになりますか。

以上、大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか(佐々木閑著、NHK出版新書)は、お釈迦様の仏教と大乗仏教の違いを説明する、でした。

大乗仏教―ブッダの教えはどこへ向かうのか (NHK出版新書 572) - 佐々木 閑
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