暦・占い・おまじない(草野直樹著、かもがわ出版)は、タイトル通り暦、各種占い、各種おまじないのやり方やカラクリなど紹介

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暦・占い・おまじない(草野直樹著、かもがわ出版)は、タイトル通り暦、各種占い、各種おまじないのやり方やカラクリなど紹介

暦・占い・おまじない(草野直樹著、かもがわ出版)は、タイトル通り暦、各種占い、各種おまじないのやり方やカラクリなど紹介した書籍です。ツイッターを見ると、初版4000部で再販もかからなかったマイナー本なのに、関連ツイートが多いので今回記事にします。

『暦・占い・おまじない』は、私(草野直樹)が、27年も前に、かもがわ出版から上梓した書籍です。

タイトル通り、暦や各種占い、おまじない、こっくりさんなどにつしいて、ひとつひとつルールを紹介してツッコミを入れ、要するに科学的根拠はありませんと書いたものです。


ただまあ、細部については、著者本人ですら、何を書いたかを忘れてしまいました(笑)

出版社も、本書には全く期待していませんでした。

なんとなれば、安斎育郎さんという監修者が、「私とは180度違う考え」とか、あとがきで断じていたので、かもがわ出版も「こりゃだめだ」と思ったのでしょう。

通常は、初版の刷り部数分だけ印税は保証してくれるのですが、本書はそれすらなく、まさに実売分しかいただけませんでした。

半年に1回ぐらい、ちょぼちょぼ、何百円とか入ってくるんですよ。

それが何年か続いて、あんまり少額だから振込手数料のほうが多くなると言って、印税の支払い自体を打ち切られてしまいました。

でもね、日本共産党の機関紙『しんぶん赤旗』の公式サイトの中の、占い(おみくじ)のページには、ちゃんと本書を参考文献にした、と書いていただいています。

おみくじ、どう考える?

大変光栄なことです。

これからも、ずっとこのページは残しておいてもらいたいです。

そして、27年も前の本なのに、Web掲示板やツイッターを「エゴサーチ」すると、結構本書について出てくるんですよ。

その理由は、

  1. 占いを楽しんでいる人もいるのに、科学的根拠ないよと、かなり執拗に書いていることの反発
  2. ある大物神道系実業家の門下生である有名な手相鑑定家に観てもらったものの、あたっていないことを暴露したこと

などがあると思います。

まあ、いまさら、かもがわ出版も、出版契約を持ち出すことはないでしょうし(印税を払っていないのだから持ち出せるはずがない)、本書は私が復刻自社出版してもいいのです。

が、たとえば、私と中山美穂さん、瀬戸朝香さんとの相性とか(笑)1995年当時の世相で書いているので、そのまま復刻と言っても難しく、2023年仕様にしなければならないから、そうすると、全面改訂になってしまうので、それは今のところ考えていません。

ただ、占いや迷信の類をどう見るか、というのはこんにちでも知っておいていただきたい事柄なので、それをお伝えしたくて今回改めて記事にいたします。

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占いが科学的でないことを強調することの是非

まず、ほんしょが、「暦、各種占い、各種おまじない」について、科学的根拠がないことを強調することへの是非が、ツイッターでは話題になっていました。


そんなにいわなくてもいいじゃん、ていうことらしい。

で、監修者の安斎育郎さんも、事実上、私のそこに反論しているわけです。

安斎育郎さんは、物事には「科学的命題」と「価値的命題」があると。

価値判断の領域に、科学を持ち込んではいかんと。

そういうわけです。

つまり、占いをよすがに、なにか決めることもある。

今日のお昼は、ラーメンにしようかざるそばにしようかと。

同僚の異性に告白しようかと。

そのきっかけに、「暦、各種占い、各種おまじない」を使うことは問題ない。

科学的かどうか、という話ではないんだから、というわけです。

もちろん、そんなことは承知の上ですよ。

私は、占いで決めてはいかんとは書いていません。

ただ、占いの中には、当時の「血液型人間学」「血液型性格判断」のように、科学的な手続きもないのに、そう標榜している疑似科学はあったわけです。

ですから、科学的にそれが導き出されているわけではないんだよ、ということはきちんとさせておいていいのではないでしょうか。そういう趣旨の本ですから。

だいたい、この安斎育郎さんは、ジャパンスケプティクス(超自然現象や疑似科学などを懐疑的批判的に突っ込む会←正式名称はありますが忘れた)の会長だった頃、1998年頃だったと思いますが、「不思議現象」を取り上げる番組を批判するからと言って、司会の愛川欽也さんに公開質問状なんか送ってるんですからね。

たまたま司会の仕事をしただけの、愛川欽也さんを吊し上げたってなんの解決にもならないでしょう。

それでいて、自分は怪しい(オカルト肯定派という意味)メディアの仕事も引き受けてるんだからね。

たとえば、私が出演依頼を断った『ジェネジャン』という番組も、「良心的な番組だ」とか言って出演しているし。どこが良心的なんだって。笑わせるな。

評価は自分の都合で後付なんだよな(笑)

要するに、独善的なのかな。

安斎育郎さんに言われなくても、私は安斎育郎さんとは「神秘主義」「非合理主義」についての考え方は180度、というか深さが違います。

私は、先日ご紹介した、『別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した』(佐々木閑著、NHK出版)に書かれていることに賛成です。

神秘と迷信は似て非なるものです。 迷信とは目の前に現れた二つの現象の間に誤った因果関係を想定することです。たとえば、カラスが庭に来て鳴いていたのを見た翌日に、母親が亡くなったとします。それを「母が死んだのは、カラスが鳴いたからではないか」と考えるのは迷信です。そこにはなんの因果関係も存在しませんから、それはただの思い込みにすぎません。
一方の神秘とは、世の中の現象の奥に、人智では説明不可能な力を感じ取ることです。たとえば重病で一週間の命と言われた人が、毎日お経をとなえていたところ、半年以上生きながらえて娘の結婚式に出席して、その翌日に亡くなったとしましょう。
お経に病を治す力があるかどうかは誰にもわかりませんが、この時、お経がその人にとって何らかの心の支えとなったのは確かです。 そこに人智を超えた不思議な力を感じ取るならば、それはその人にとって神秘な力が存在していたということになるのです。

著者の佐々木閑さんは、「科学ではないもの」を受け入れているわけです。

暦にしても、占いにしても、おまじないにしても、ここでいわれている「神秘」と「迷信」のどちらの要素も含まれていると思います。

つまり、暦にしても、占いにしても、おまじないにしても、「〇〇をすれば(ならば)、△△になる」という判定に、科学的な根拠はないし、論理的にも因果関係(相関性、契機性、生成性など)は、まあ普通はありません。

でも、そのような判断になれるのなら、と自分を暗示にかけて、目的に向かって進める根拠となるのなら、それを信じるのもいいと私は思います。

しかし、やはりそれは、順当な再現性や実証性に担保された話ではない、ということははっきりさせておくべきだと思います。

たとえばですよ、医学で見放された人がいるとしましょう。

その人が、医学で救われるなら、それに越したことはありません。

でも、それではどうしてもだめだ、ということなら、それとは別のものに賭けてみたいと思ったとしても、誰が責められるでしょう。

そういうとき、すがるものが、逆に科学(医学)ではないからこそ、科学(医学)の限界を打ち破ってくれるかもしれない、というふうに考えるかもしれません。そう考えることで、本人も力が湧いてくるかもしれません。

つまり、こういうことです。

(占いなどは)科学的なんかじゃない。ただし、それはあながちネガティブな意味ではなく、科学ではないからこそ、科学では到達しにくいところへの突破口となれる力があり得るのだ 、という積極的な意味も持っているのです。

意味、わかりますか。

科学と違うものだ、ということを「執拗に」指摘することは、「科学ではないもの」に対しては、別に悪い評価ではない、ということです。

それを安斎育郎さんや、上掲のツイート主らは、悪いもののようにしか読めなかったのです。

私は安斎育郎さんの二元論なんかよりも、深いところで「科学ではないもの」を見ていると自負しています。

有名な手相鑑定家だったのにあたっていなかった

もうひとつ、まあ、本書には具体的な名前が書いてあるのですが、手相占いが当たらなかったのは、西谷泰人さんです。

年運法を引っ提げて、当時からマスコミの売れっ子でしたね。

申し込んでも1年待ちぐらいかなとおもったら、1週間後に観ていただけました。

で、その時言われたのは、「27~28歳ぐらいが大変良い運気。結婚する、仕事でもいいことがある。今結婚していたら子供が生まれる」というのです。

ちょうとその時、私は27歳だったんですけどね。

生命線から、たしかに線が上っているのです。

でも、その時の私は、結核になってしまい、学士入学した大学も行かなくなり、かといって就職もせず、それどころか、今だから言えますが、当時マスコミでも話題になっていた後天性免疫不全症候群(HIV)ではないかと自己診断で思い込み、家でふさぎこむ日々だったのです。

ですから、結婚なんてとんでもない。

家で塞ぎ込んでいるのですから、そういう相手もいません。

復学も就職もしてないないのですから、鑑定はどこをとってもあたってはいないわけです。

でも、繰り返しますが、上っている線があるのは確かなのです。

今見ても、あります。

おそらくは、それを根拠に鑑定したのでしょうし、それで当たるケースも多々あったのだろうと思います。

では、なぜ、私は当たらなかったのか。

仏教では「因」と「縁」、哲学で言えば「必然」と「偶然」によって事は成すからです。

つまり、いくら手相の見立てがどうだろうが、そんなこと以前に、家に引きこもっていたら「縁」も「偶然」も巡り合うことはない、さすれば、結果は出ない、ということです。

占いを信じている人、信じたい人に言いたいのは、いくらいいことを言われても、それを信じるだけでは何も変わらない。

「因」「必然」を自分の行動で起こさなければならない、ということです。

「大切な人と巡り会えるチャンス」という占いを信じたいのなら、まず外に出ろ。人と関われ、話はそれからだ。というわけです。

もし、本書をご覧頂ける機会があれば、一読くださると幸甚です。

以上、暦・占い・おまじない(草野直樹著、かもがわ出版)は、タイトル通り暦、各種占い、各種おまじないのやり方やカラクリなど紹介、でした。

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