はだしのゲンはピカドンを忘れない(中沢啓治著、岩波ブックレット)Kindle版は、1982年に上梓された作者による漫画の解説

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はだしのゲンはピカドンを忘れない(中沢啓治著、岩波ブックレット)Kindle版は、1982年に上梓された作者による漫画の解説

はだしのゲンはピカドンを忘れない(中沢啓治著、岩波ブックレット)Kindle版は、1982年に上梓された作者による漫画の解説です。広島市教委による教材の差し替えが話題になっていますが、漫画の綺麗事ではない描写から逃げた市教委の態度は残念です。

『はだしのゲンはピカドンを忘れない』は、漫画『はだしのゲン』の作者である中沢啓治さんが、漫画の一部のコマを引用して、当時の様子を解説している岩波ブックレットです。

今は、ブックレットっていう形式はあるのかな。

書籍ではあるのですが、薄くて一気に読めるヴォリュームのものです。

小冊子という言い方もあるのですが、パンフレットよりは中身はあります。

ですから、本書も読み終えるのに、そう時間はかからないと思います。

なぜ、本書をご紹介するかというと、広島市教委が、現在平和教育に使っている教材において、来年度から「はだしのゲン」を他の絵本などと差し替えると発表したからです。


広島がヒロシマを隠したどうすんだ、という話です。

『はだしのゲン』は、隠さなければならない作品なのか。

これまで隠していなかったのに、今隠すのはなぜなのか。

そういうことをはっきりさせたいと思いましたね。

論より証拠で、解説本の方を読んでみようということで、今回ご紹介します。

本書は2023年2月28日現在、KindleUnlimitedの読み放題リストに含まれています。

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地元の日本人だって被爆者をいじめた

『はだしのゲン』のストーリー自体は、改めて追いません。

作者の被爆体験を描いています。

本書は、文章での解説が主なので、興味深いと思っところを引用します。

私たちはその江波で八月十五日を迎えて、日本が敗けたということを聞いたのです。けれども、もうなにも考えるゆとりがない。考えることといえば、明日の命をどうやってつなぐかだけでした。まして、その半農半漁の江波というところは閉鎖的な町で、他所から入ってきた者を「よそ者、よそ者」といって、ものすごく排撃するのです。地元意識で固まっていて、「よそ者が来た」と私たちはいじめられるのです。ガキ仲間が集団で私を襲ってくるのです。かさぶたになったやけどのところを、おもしろがってなぐってくるのです。すると、血の混じった膿が吹きでるのです。ほんとうにその時はくやしい思いをしました。一対一だったら負けないけれど、群れをつくって、「よそ者、よそ者」といじめにくる。母も、とりもしない傘までとったといわれて、寄ってたかって無理やり駐在所へ連れて行かれて、盗んだのだから始末書を書けと、しつこく言いがかりをつけられたのです。
いまでこそ日本人は民主主義だとか、愛だとか平和だとか、さかんにいっていますが私は日本人の正体をあそこで見たような気がするのです。人間は極限状態に置かれると、あんなにもひどいことをするものかと思います。それほどひどい目にあったのです。

これは、被爆してよそに転居したものの、よそ者としていじめられたという話です。

被爆者をいたわって迎えることもしない、ということです。

たぶんこれは、田舎という閉鎖的な要素もあると思います。

西ドイツも日本とはずいぶんちがいます。ドイツではいまだにナチの戦犯を地球の果てまで追いかけ、裁判にかけようとしています。その執念はすごいと思います。
ところが日本ではどうですか。敗戦の時も、イタリアとは反対に、皇居の前で土下座して、「天皇陛下様、私たちがいたらなかったから、日本は敗けました」と泣いたわけでしょう。そして天皇は、戦後も憲法の上で「象徴」というかたちで堂々と生き残っている。また一方では、戦争犯罪人が戦後も平気で総理大臣になっている。戦争を推進した連中が、政財界にのうのうとのさばって、依然として政治を牛耳っている。彼らは、常に安全な場所に身を置いて、人々に命令ばかりしている。だから、戦争のむごさ、原爆のすさまじさがわからないのです。 日本人全体の中に、戦争責任の問題意識が、まったく薄らいでしまっている。戦争で甘い汁を吸って味をしめている人々がいるから、また軍備だ、国を守るために戦争をやれといいだす。 「死の商人」どもにとっては、戦争ほどもうかる商売はないのです。

これは有名な話で、国連でドイツは「敵国条項」がはずれるよう努力したが、日本は未だに「敵国」のままだと。

だからね、常任理事国とか、ありえないんですよ(笑)

保守タカ派的に言えば、そもそも国連なんかの常任理事国がそんなに嬉しいかってなもんでね。

本作は、『文化評論』という日本共産党系の雑誌に連載されたから、左翼的だとかいってる「無明の者」がいますが、逆なんだよ。

そもそも作者は、原水協と原水禁の分裂を批判していましたから、日本共産党べったりではありません。

既存メディアから敬遠された場合、今の日本では、日本共産党機関誌は駆け込み寺的な役割を果していますよね。

そういう経緯で連載されただけです。

日本や日本人の汚いところを隠したい「アンチ」

本作については、このブログでもおなじみ、片岡健さんのツイートが至言になっています。

片岡健さんについては、“後妻業事件”と呼ばれた関西青酸連続死事件の死刑囚や

“後妻業事件”と呼ばれた関西青酸連続死事件などを描いたのは、マンガ「獄中面会物語」(塚原洋一作画、片岡健原作、笠倉出版社)
“後妻業事件”と呼ばれた関西青酸連続死事件などを描いたのは、マンガ「獄中面会物語」(塚原洋一作画、片岡健原作、笠倉出版社)です。原作者の片岡健さんが、刑務所や拘置所で面会した7人の殺人犯の実像を描いているノンフィクションコミックです。

2004年~2009年にかけて起こった6件の連続不審死事件で死刑判決を受けた元死刑囚に直接面会した

上田美由紀死刑囚が、拘置所で死亡したことが話題です。改めて鳥取不審死事件を『マンガ「獄中面会物語」』で振り返ります
上田美由紀死刑囚が、拘置所で死亡したことが話題です。改めて鳥取不審死事件を『マンガ「獄中面会物語」』で振り返りましょう。著者は、2004年~2009年にかけて起こった6件の連続不審死事件による死刑囚に直接面会して話を聞いています。

『マンガ「獄中面会物語」』(塚原洋一作画、片岡健原作、笠倉出版社)をご紹介したことがあります。

その片岡健さんが、『はだしのゲン』について、大変興味深いツイートをしているのです。


「そういう綺麗事ではない描写が沢山あるところ」

さすが片岡健さんです。

綺麗事のない、リアルな追及に敬意を評しているのは、共感できます。

『はだしのゲン』について、ああだこうだとケチが着くのは、日本や日本人の汚いところを描いているのが気に食わない んだろう。

人間は、決して綺麗ではない。

生きるということは、そういうことなんです。

事実と向き合えない卑怯な態度は、愛国心でもなんでもない!

それについては、関連した2つの話を書きます。

高倉健ファンと思しき中年女性のブログがありました。

そこでは、ある俳優が高倉健の女性スキャンダルをほのめかしていたが、偉大な高倉健に対して、お前ごときに言われたくない、というようなことが書かれていました。

それを読んだ私は、ああこのご婦人は、本当のファンではないな、役の上の「かっこよさ」だけを追っている薄っぺらいミーハーだな、と思いました。

人間ですから、高倉健だろうが石原裕次郎だろうが、無謬でも万能でもない。

だからこそ、裏の顔、芸能マスコミが伝えないその人の弱点・欠点も含めて、まるごとをその人を知りたいと私は考えます。

汚いところを知ってこそ、さらにいいところが光って見える、という弁証法的な見方です。

その人の本当のファンて、そういうものでしょう。

これは、そのご婦人ではなくても、考えの浅い大衆がやりがちなことですよね。

日本や日本人が好きならさ、それらの醜いところともきちんと向き合おうよ、と言いたいのです。

向き合えない、脆弱で矮小でインチキなやつが、反日とか、テキトーな言葉使うなよと思います。

もうひとつ。

宮本百合子という人が、『播州平野』という小説で、日本が戦争に負けて、在日朝鮮人が民族の自立に目覚めた、というような件があるのですが、ほかでもない、在日朝鮮人の作家である李恢成が、それに異議を唱えています。

朝鮮人は、少なくとも民族全体としてそんなに意識が高いわけではなかったぞと。

多くの「普通の朝鮮人」は、成り行きで動いていただけだと。

ほかでもない、『しんぶん赤旗』日曜版のインタビューだったと思います。

日本共産党も、党外の人については、松竹伸之さんの場合と違い、批判的見解を許してます(笑)

まあ、多くの文芸作品なんて、そんなもんですよ。

いい人は美しく、悪い人はとことん醜悪に。

その方がわかりやすいですからね。

だからこそ、片岡健さんの指摘は、ぽんと膝を叩くものでした。

『はだしのゲン』に文句をつけたい大衆よ。なんか言ってみろ(笑)

以上、はだしのゲンはピカドンを忘れない(中沢啓治著、岩波ブックレット)Kindle版は、1982年に上梓された作者による漫画の解説、でした。

はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット) - 中沢 啓治
はだしのゲンはピカドンを忘れない (岩波ブックレット) – 中沢 啓治

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