『世にも奇妙な人体実験の話』(トレヴァー・ノートン著/赤根洋子訳、文藝春秋)は、危険性の解明に自らの肉体で挑んだ話を集めた

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『世にも奇妙な人体実験の話』(トレヴァー・ノートン著/赤根洋子訳、文藝春秋)は、危険性の解明に自らの肉体で挑んだ話を集めた

世にも奇妙な人体実験の話(トレヴァー・ノートン著/赤根洋子訳、文藝春秋)は、危険性の解明に自らの肉体で挑んだ話を集めたものです。人についての評価はヒトでしか証明できない。そこで研究者自らが被験者になったという凄まじい話です。

『世にも奇妙な人体実験の話』は、トレヴァー・ノートンさんの著作を赤根洋子さんが訳し、文藝春秋から上梓しました。

著者が編纂した、実在した奇妙な人体実験を集めた本です。

人体実験と聞くと、なんとも非人道的な響きがありますが、本書における実験対象は「自分」です。

自らを対象に、危険なトンデモ実験を行った人々の記録です・

自らの仮説を検証するための人体実験というと、マッド・サイエンティストとも呼べるユニークさがあって、ある意味面白困った話です。

「面白困った」というと、他人事のようですが、それが人類の発展に寄与しているからこそ、そのように微笑ましさすら抱いて読むことができるのでしょう。

「人間はどこまでやったら死ぬか」というのは、結局ヒトを対象にしないと実証できないわけですが、危険性の解明に、自らの肉体で挑んだ話です。

いうなれば、彼らの自己犠牲がなかったら、現在も人々は空を飛べないし、車も進化しなかった、という話です。

では、彼らは社会発展のために?

という崇高な使命感よりも、素朴な知的好奇心に駆られての実験だと思います。

でも、それにしては、誰でもできることではないよな、という内容です。

20世紀、ジャック・ホールデンさんは、潜水方法を確立するために自ら加圧室で急激な加圧・減圧の実験を繰り返し、鼓膜は破れ、歯の詰め物が爆発したといいます。

アラン・ボンバールさんは、食糧も水も持たずに人間は海で生き延びられるか実験。

海水と、魚の絞り汁とプランクトンの3つだけで、何と2ヶ月漂流しています。

その他にも放射能、麻酔薬、コレラ、ペストなどの危険性の解明に、自らの肉体で挑んだマッド・サイエンティストたちの奇想天外な物語です。

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そんなことができる人間がいったいどれだけいるだろうか

『世にも奇妙な人体実験の話』(トレヴァー・ノートン著/赤根洋子訳、文藝春秋)という書籍は、タイトル通り、誠に奇妙な人体実験の話です。

かつては刑務所の収監者や孤児を実験台に使った、という話も出てきますが、『世にも奇妙な人体実験の話』は、研究者が新たな発見のために自分を実験台に使ったという無謀な話を集めています。

具体的な内容を示し振り返る「あとがき」から引用します。

十八世紀イギリスの外科医ジョンハンターは、「淋病が進行すると梅毒に移行する」という自説を証明したいと思った。アメリカの医師トーマス・ブリッティンガムは、「白血病が人から人に感染するかどうか」を確かめたいと思った。それで、どうしたか。前者は淋病患者の膿を自分の性器に塗りつけ、後者は白血病患者の血液を自分に注射したというのである。(中略) 安全性云々の前に、その様子を思い浮かべることさえ生理的にきつい実験例も数々登場するが、中でも圧巻は黄熱病研究のくだりである。感染経路を解明するため、ある研究者は患者の「黒い嘔吐物」をとろ火で煮て自らその蒸気を吸入し、自分の血管に嘔吐物を注射し、患者の血液、汗、尿を自分に塗りつけ、患者の唾液、血液、嘔吐物を飲んだという。幸いにも黄熱病はそのようなルートで感染する病気ではなかったため、研究者は無事だったのだが、実験した時点では無事だという保証などまったくなかったのである。また、仮に百パーセント安全だと分かっていたとしても、そんなことができる人間がいったいどれだけいるだろうか。

著者は、「使命感よりもさらに深いところで彼らを自己実験に向かわせたものは、純粋な探求心(好奇心)だったのではないだろうか」と推理しています。

「使命感」といえば「ひとさまのため」ですが、「探求心(好奇心)」は自分のため。

いや、どっちだっていいや、と思われますか。

どちらが究極まで頑張れるかといえば、後者ということかもしれません。

科学の歴史は、わからないことをありきたりの実験から順当な仮説をたて、まっすぐな上り坂を登るように発展したわけではなく、極論や暴走、ハプニングなどで新たな真実にたどり着くことが少なくありません。

真実は極論からうまれるといいます。

ジャック・モノーではありませんが、出来事は必然と偶然で起こる、と哲学も言います。

『哲学入門』(仲本章夫著、創風社)は、新刊ではありませんが、哲学ってなんだろうということを知る入門書として最適です
『哲学入門』(仲本章夫著、創風社)は、新刊ではありませんが、哲学ってなんだろうということを知る入門書として最適です。具体的にはデカルト以来の近代合理主義の成果と問題点、そして私たちはどう生きるべきかを提案しています。

『世にも奇妙な人体実験の話』は、私たち人類が獲得している現在の真実には、「無謀」な人体実験で得られた「偶然」があるという話を教えてくれているのです。

では、著者は、どうしてそんな無謀話を書きたかったのでしょうか。

彼らの無謀ぶりを笑いたかったのでしょうか。

それとも、命がけの仕事をしたのに英雄視されていない彼らの労に報いるべく、現在の研究者たちに対して、「毒の研究者は彼らを見習って自ら毒を飲め」といいたかったのでしょうか。

私は、そのどちらでもないと思います。

どんな仕事にも、「常識」と「非常識(もしくは違法)」の間でのギリギリの選択というのはあると思います。

そのぎりぎりの緊迫した選択こそ、より高次な結論が得られる契機になっている、ということを言いたかったのではないでしょうか。

そのためには、実際に毒を飲むかどうかは別として、毒を飲む「マッド」な価値観をつねに「常識」と対比させる緊張感を自分の中に持てということではないかと思います。

倫理と向き合いながら突破口となる前向きな結論をひねり出す

たとえば、昨今の科学者(医学者)の、生命を管理できる研究には、「未知の発見」と「倫理」のせめぎあいがあります。

そのせめぎあいを行うセンスが大切なのです。

倫理感の欠片もない科学者(医学者)は御免こうむりたいですが、逆に倫理ばかり気にしている者は科学(医学)を先に進めることに貢献できません。

倫理という壁と向き合いながらも、その突破口となる前向きな結論をひねり出すことに意義がある、ということだと思います。

なかなかむずかしいですけどね。

あなたは、気になる謎のために、そして社会発展にもつながる可能性もありそうなものについて、自分を被検者に差し出すこだわりはありますか。

以上、『世にも奇妙な人体実験の話』(トレヴァー・ノートン著/赤根洋子訳、文藝春秋)は、危険性の解明に自らの肉体で挑んだ話を集めた、でした。

世にも奇妙な人体実験の歴史 (文春文庫) - トレヴァー・ノートン, 赤根洋子
世にも奇妙な人体実験の歴史 (文春文庫) – トレヴァー・ノートン, 赤根洋子

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