『科学がつきとめた「運のいい人」』は、「運がいい人」というのはいったいどんな人なのか脳科学者の中野信子さんが述べています

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『科学がつきとめた「運のいい人」』は、「運がいい人」というのはいったいどんな人なのか脳科学者の中野信子さんが述べています

『科学がつきとめた「運のいい人」』は、「運がいい人」というのはいったいどんな人なのか脳科学者の中野信子さんが述べています。しかし、「運」という偶然に対する主観を科学で解明できるのでしょうか。できたらすごいですが、そうでないならただの疑似科学本です。

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どんな内容か

『科学がつきとめた「運のいい人」』(中野信子著、サンマーク出版)は、運の話です。

誰でも、運がいいとか悪いとかいいますよね。

「運がいい」というのはどういうことか、を述べています。

自分が運がいいと思えるために、どういう心理状態であるべきか、どんな発想や実践を行ったら良いか、著者の考えを書いています。

本書の著者の中野信子さんは、「脳科学者、医学博士。東日本国際大学客員教授。東京大学工学部卒業後、2004年東京大学大学院医学系研究科医科学専攻修士課程修了。2008年東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008~2010年まで、フランス原子力庁サクレー研究所で研究員として勤務。」という華々しい経歴を誇示しています。

だからなのか、自分の書いたものは、たんなるエッセイとしての扱いでは我慢ならなかったらしく、「運」というテーマに、「科学がつきとめた」と思い切ったタイトルをつけています。

ただ、いくらプロフィールが華々しかったとしても、だから書いてある内容が正しいとは限りません。

本書について言えば、たんに、著者の経験や個人的意見であるならいいのですが、「科学がつきとめた」とまでタイトルに記してしまったのは、誇大表示、場合によっては疑似科学扱いされるかもしれません。

偶然および合理的真実の示唆を含む経験に対する価値観的表明

以前も書きましたが、私は自分を運のいい人間ではないと思っています。

といっても、「だから絶望する」というのではなく、「だからいい方向に持って行きたい」という前向きな気持を持っています。

そこで、「運」に関する書籍は積極的に読んでいます。

「運」というのは、一口にまとめると、

偶然および合理的真実の示唆を含む経験、に対する価値観的表明

であると思います。(私が考えた定義)

ちょっと哲学的な書き方になってしまいましたが、イメージできますか。

つまり、運というのは、「偶然」「価値観」という、いまの科学で解明できなかったり、科学とは別の概念であったりする“因子”を2つも抱えているのです。

なのに、「運」という概念全体を、科学で解明なんて、脳科学者だかなんだか知りませんが、そりゃ、言い過ぎだろうと思います。

同書の内容は、目次でだいたい想像がつくと思います。

  • 運のいい人はいまの自分を生かす
  • 運のいい人はいい加減に生きる
  • 運のいい人は積極的に運のいい人とかかわる
  • 運のいい人はあえてリスクのある道を選ぶ
  • 運のいい人はひとり勝ちしようとしない
  • 運のいい人はライバルの成長も祈る
  • 運のいい人は他人のよさを素直にほめる
  • 運のいい人は具体的な目的をもつ
  • 運のいい人はゲームをおりない
  • 運のいい人は自分の脳を「運のいい脳」に変える

これは要するに、すべて「心がけ」ですね。

人と協調して、ポジティブシンキングになって、欲をかかず、さりとて希望も捨てない、ということです。

そうすれば、いいことがあるし、精神的にも落ち込まないですよ、ということですね。

この内容自体は、とくに否定しません。

採り入れられるものは採り入れたほうが、ハッピーになれることもあると思います。

でも、それを実践したところで、「運がいい」ということにはならないし、「運」とは何か、という答えにもなっていないでしょう。

じゃあ、それらの項目を守ったら、交通事故に合わないのでしょうか。

「運」はこころだけでは良くならない!

私の感想を率直に述べると、この書籍に書かれている内容だけでは、「運のいい(悪い)人」を「つきとめた」とは到底言いがたいし、やはり主語を「科学」にしてしまったのは最悪だと思います。

なぜなら、いったん「科学の話」にした以上、科学的な検証や評価が行われるからです。

たとえば、「運」を大事にすることで定評のある萩本欽一さんは、決して自分の「運」論を「科学」などと述べていません。

あくまでも、自分の人生経験や実践の一端を紹介しているだけです。

本書の著者は、少し調子に乗りすぎたのかもしれません。

Amazonのレビューにこう書かれているのも、もっともです。

「著者に御聞きしたいのですが、東京大空襲や広島・長崎の原爆で亡くなった方々は単に運が悪かったのでしようか。著者の考えは似非科学の類としか思えません。」

つまり、「不運」と一口に言っても、本書に書かれている「心がけ」だけではどうにもならないことがあります。

「運」以外の社会的責任という「必然」についても考えなければならないことなどもあります。

戦争なんて、まさにそうですよね。

にもかかわらず、そういった区別も本書は全く行っていないのです。

著者の主張では、心がけが悪いから原爆に被爆した、という解釈もできてしまいます。

私が、本書に書かれている通りの「心がけ」に徹していたら、その家系で200~400年に1回の確率と言われる火災にあわずにすんだのでしょうか。

そんなことはないでしょう。

少なくとも「せずに済」む論証は本書には書かれていません。

なかなかお目にかかれない「運」の良書

本書の発行出版社は、あの船井幸雄氏の本を出した「サンマーク出版」。

出版社だけで書籍の評価を決めつけてはいけませんが、結局、根っこは同じ本でした。

「運」を解明する書籍。また探して読んでみます。

以上、『科学がつきとめた「運のいい人」』は、「運がいい人」というのはいったいどんな人なのか脳科学者の中野信子さんが述べています、でした。

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