
伊賀和洋による「劇画の神様~さいとう・たかをと小池一夫の時代~」は、劇画界の二大巨匠であるさいとう・たかをと小池一夫の黄金時代を、実際に両者の下で働いた作者の視点から描いた貴重な自伝マンガです。2024年5月に彩図社から刊行され、Kindle版も同時リリースされたこの作品は、劇画ファンはもちろん、日本のマンガ文化に興味がある全ての読者にとって必読の書と言えるでしょう。
伊賀和洋という特異な視点から見た劇画界
本作の最大の価値は、伊賀和洋という作者の立ち位置にあります。彼は決して表舞台に立つスーパースターではありませんが、さいとう・たかをと小池一夫という二人の巨匠から直接師事を受けた、いわば「歴史の目撃者」なのです。高校卒業後にさいとうプロに入社し、その後小池一夫の元でも働いた経験を持つ72歳の現役漫画家が語る証言は、第三者的な視点でありながら、同時に現場にいた当事者ならではの生々しさを兼ね備えています。
さいとう・たかをの創作現場と人間性
作中で描かれるさいとう・たかをは、『ゴルゴ13』で知られる劇画界の巨匠であり、33歳の時点で既に自社ビルを持つほどの成功を収めていた人物です。特に印象的なのは、手塚治虫先生の前で堂々とタバコをふかしていたという逸話。これは一見すると失礼な行為に見えますが、伊賀和洋は「キャラクターの立ち方」という観点で、この大胆さこそがさいとう・たかをの真骨頂だったと分析しています。
さいとう・たかをは1936年生まれで、貸本漫画時代に劇画分野を確立した人物の一人。1968年に連載開始した『ゴルゴ13』は、主人公デューク東郷の「俺の後ろに立つな」という決めセリフと共に、大人向け劇画の代表的作品となりました。分業制を導入し、漫画界に革新をもたらした彼の制作現場での様子が、アシスタントだった伊賀和洋の視点から生き生きと描かれています。
小池一夫の壮大なビジョンと教育者としての顔
小池一夫については、『子連れ狼』の原作者として知られる彼の、もう一つの顔が興味深く描かれています。富士山麓に劇画作家や編集者を住まわせる本物の「劇画村」を作るという壮大な計画を持っていたという話は、まさに小池一夫らしいスケールの大きさを物語っています。
1936年秋田県生まれの小池一夫は、漫画原作者としてだけでなく、後進の育成にも情熱を注いだ人物でした。1977年に開設した「劇画村塾」は、漫画家育成の私塾として多くの才能を世に送り出しました。本作では、そんな小池一夫の教育者としての顔と、創作に対する情熱的な姿勢が、師弟関係を築いた伊賀和洋の温かい筆致で描かれています。
劇画黄金時代の「空気」を伝える価値
この作品が特に価値があるのは、1970年代の劇画黄金時代の「空気」を伝えていることです。当時の制作現場の様子、編集者との関係、そして何より、劇画という新しいジャンルを切り開いていく現場のエネルギーが、実体験に基づいて描かれています。
読者のレビューでは「面白く一気に読める」「文章よりも却ってとっつきやすい」「確かな漫画描写力で丁寧に描かれている」といった評価が多く見られます。これは、伊賀和洋が単なる回想録ではなく、マンガという表現形式を活かした読みやすい作品に仕上げているからでしょう。
マンガ家育成の現場から見えるもの
本作のもう一つの見どころは、マンガ家育成の現場が描かれていることです。さいとうプロでの分業制の実際、小池一夫の指導方法、そして当時の若手マンガ家たちの情熱と努力が、現場にいた人間だからこそ語れる具体性を持って描かれています。
特に興味深いのは、高橋留美子が劇画村塾出身であることなど、現在活躍する著名マンガ家たちとの関係性も触れられている点です。これにより、読者は劇画の歴史と現代マンガ界のつながりを理解することができます。
「美化されているだろうが」という誠実さ
読者レビューの中で「美化はされているだろうが、後世の為にもよくぞ描いておいてくれた」という評価があります。これは作者の誠実さを表しているとも言えるでしょう。伊賀和洋は決して無批判に二人の巨匠を持ち上げるのではなく、人間としての魅力と同時に、現実的な視点も忘れずに描いています。
劇画というジャンルの意味を問い直す
本作を読むことで、劇画というジャンルが日本のマンガ文化に与えた影響の大きさを改めて実感できます。単なる「大人向けマンガ」ではなく、新しい表現形式を模索し、マンガの可能性を広げていった先駆者たちの姿が、等身大の人間として描かれています。
さいとう・たかをの分業制は現在のマンガ制作の原型となり、小池一夫のキャラクター論は現在でも多くのクリエイターに影響を与え続けています。この作品は、そうした創作理論の源流を知ることができる貴重な資料でもあります。
読みやすさと内容の深さの両立
Kindle版で読める本作は、マンガ形式の特性を活かし、複雑な人間関係や業界の変遷を視覚的に分かりやすく表現しています。文字だけでは伝わりにくい当時の雰囲気や、登場人物たちの人柄が、絵の力によって生き生きと伝わってきます。
また、著者の伊賀和洋自身の成長物語としても読める構成になっており、師匠たちから学んだことがどのように自身のマンガ家人生に活かされたかという視点も含まれています。
今こそ読むべき理由
現在、マンガは世界的なメディアとして認知され、デジタル化によって制作・配信方法も大きく変化しています。しかし、その根底にある「面白いものを作りたい」という創作者の情熱は、昭和の劇画黄金時代から変わらないものです。
この作品は、そうした創作の原点を思い出させてくれる一冊です。特に、創作に関わる人やマンガ業界に興味がある人にとって、先人たちがどのような想いで作品を生み出していたかを知ることができる、貴重な証言録と言えるでしょう。
まとめ
「劇画の神様~さいとう・たかをと小池一夫の時代~」は、日本のマンガ史における重要な時代の証言録として、また一人の青年がマンガ家として成長していく物語として、二重の価値を持つ作品です。伊賀和洋の誠実な筆致により、劇画界の巨匠たちの人間的な魅力と、創作現場のリアルな空気が見事に描かれています。
Kindle版であれば手軽に読むことができ、マンガ形式なので気軽に手に取ることができます。劇画やマンガの歴史に興味がある人はもちろん、創作活動に関わる全ての人におすすめしたい一冊です。昭和の劇画黄金時代を知る貴重な記録として、そして現代にも通じる創作の精神を学べる教科書として、長く読み継がれるべき作品だと確信しています。



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