『江戸しぐさ事典』(桐山勝著、越川禮子監修、三五館)は、見直すべき江戸の知恵の誕生から定着までの経過にも言及した事典

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『江戸しぐさ事典』(桐山勝著、越川禮子監修、三五館)は、見直すべき江戸の知恵の誕生から定着までの経過にも言及した事典

『江戸しぐさ事典』(桐山勝著、越川禮子監修、三五館)は、見直すべき江戸の知恵の誕生から定着までの経過にも言及した事典です。NPO法人江戸しぐさの桐山勝理事長が編集執筆、NPO法人江戸しぐさの越川禮子名誉会長が監修しています。

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壇蜜さんが売れた理由は「江戸しぐさ」か

『江戸しぐさ事典』(三五館)を読んでいます。

小説ではなく事典を読む、という表現に違和感をもつ方もおられるかもしれませんね。

本書の「出版社からのコメント」によると、「江戸しぐさ、江戸言葉、江戸文化など、420語を超える重要キーワードを完全収録しただけではなく、キーワード別と目的別の索引によって整理したことで、「マナー学習のため」「子どもの躾のため」「新社会人の常識のため」「管理職の心得のため」など、読み手の要望に合った読み方&引き方が可能になりました。」としています。

読み物として、またリファレンスマニュアルとして有用ということですね。

今や、文化人としてメディアに出ずっぱりの壇蜜が売れているのは「『江戸しぐさ』のお手本」と褒めちぎっている『日刊ゲンダイ』(2013年3月12日付)の記事を見て、別に壇蜜さんのファンというわけではありませんが、そんなに「江戸しぐさ」が価値があるのにら自分も知ってみようと思い、事典を読んでいるわけです。

「私は、作家のリリー・フランキー氏やみうらじゅん氏も、男・壇蜜だと思います。彼らの対談記事などを読んでいると、非常に相手への気配りが感じられます。無精ひげで髪はボサボサ、一見とっつきにくい感じですが、見た目とのギャップに女性は騙(だま)されるのです」(ライターの佐藤留美氏)

壇蜜さんも、英語教員の免許がある「インテリ」ながらユーモアのセンスもある。そんな“お高く留まっていない”ところが「江戸しぐさ」というのですが、さすがに著名人を利用した自説の裏付けを狙う後付けの分析に感じました。

以前から大学出のタレントはいくらでもいます。

だいいちそういうことなら、壇蜜(彼女はいったん本名でデビューしています)と名乗って今のような路線に走る前にどうして売れなかったのでしょうか。

もっとも、「後付け」と決めつける前に、では「江戸しぐさ」とは何か、ということを確認しておく必要があると思い、『江戸しぐさ事典』を読むことにしたわけです。

他者を尊重し思いやる骨子

本書によると、江戸しぐさとは、商人や、人の上に立つ者としての心得であり、相手を思いやり、コミュニケーションを円滑にする知恵が詰まっている、ということです。

その骨子を引用します。

「目の前にいる人は仏の化身と思え」(人間は平等)
「時泥棒は弁済不能な十両の罪」(相手の時間を勝手に使うのは10両盗んで死罪になるよりもっと重い罪だ)
「三税の教えを守れ」(年齢や肩書、職業などに頓着しないで人とつき合え)
「遊び心を忘れるな」(仕事をするだけが能ではない)
「口約束を守る」(証文があろうがなかろうが、約束は果たす)
「見てわかることは言わない」(見てわかったら行動で対応しろ)
「結界覚え」(専門家を大切にする)
「その人のしぐさを見て決めよ」(取引相手にするかどうかは実際にあってしぐさを見て判断する)
「尊異論」(違う意見の持ち主を大切に)

一通り見たところ、現代社会においてはできることとできないことがあります。

「できないこと」は、ルール・契約に関することです。

たとえば、「口約束を守る」というのは現代社会でも信義という点で当然です。が、残念ながら相手にもし嘘があったり不作為があったりしたら、こちらも自分を守るために「口約束」であることを理由に約束の履行をストップせざるを得ないことだってあります。

美学と実際の損失をはかりにかけて、背に腹は代えられないということはやむをえません。

それ以外のマナーや心がけは、おおむね「できること」として大いに採り入れたいと思いました。

たとえば、「尊異論」はこう書かれています。

【少数意見を尊重する】有能な番頭は、小僧たちの意見をよく聞いた。
 あるとき、小僧たちが「街中で流行りの反物をうちの店でも売りたい」と番頭に訴えた。多数が同調した。
 しかし一人の小僧だけが、「この反物は品質が悪い。すぐに破けてしまい、またお客様が買い直すことになる」と違う意見を述べた。
 番頭はその一人の小僧の意見を採用した。たとえ皆と違う意見であっても、よいと思う意見は取り入れたのである。
 三井越後屋は毎月一回、従業員を集め、町のさまざまな情報を聴きとった。接客を通じて、あるいは耳に入った町の噂が次の戦略に有効だったからだ。
 なんでも多数決で物事を決めるのが民主主義という考え方が強い。
 しかし、ビジネスで新しい戦略を仕掛けるには多数決は向いていない。責任の所在がうやむやになってしまう。赤信号でも「みんなで渡れば恐くない」というセリフがその実態を物語っている。
 皆が賛成するような案件は希少価値がない。マーケティング戦略から言えば、少数意見のほうにビジネスチャンスがむしろあることを江戸の経営者は知っていた。

私は毎度書いているように「人間は間違いうる」ものだと思っています。

「みんながそう思っている」から実践したほうがいい場合と、「みんながそう思っている」からといって正しいかどうかはまた別、という場合とがあると思います。

マーケティングはどちらかというと前者かと思っていましたが、なるほど、そういう発想も大切だな、と考えさせられました。

「人のしぐさを見て決めよ」についてはこう書かれています。

【身なりや待ち物でなく、しぐさで判断する】取引先として信用できるか。人生のパートナーとしてふさわしいか。そんな判断をせざるを得なくなったときは、「人のしぐさを見て決めよ」。これが江戸しぐさ流の答えだった。
 江戸しぐさは身体に癖になって染みついていて、さまざまな状況の中で、その人の本質が反射的に出るもの。だから、江戸の町衆は身なりや持ち物でなく、しぐさで競った。
 身についたものだから、いつでもどこでも表現できるし、裸になってもメッキのように剥げることはない。しぐさにはその人物のすべてが反映する。
 企業経営には浮き沈みがある。当座は業績不振でも、舵取りをしている経営者の人格、見識が優れていたら取引すればいい。逆に今、業績が絶好調でも経営者に驕りが見えたらお断りだ。永年の経験から生まれた知恵だった。
 結婚相手を選ぶのも、本質的には同じこと。

最近は傾向が変わったそうですが、以前は結婚相手の条件が「三高」なんていわれた時期もありましたね。そこにはおそらく、「身なりや待ち物でなく、しぐさで判断する」という発想はなかったと思います。

これもまた面白いなあと思いました。「芳名覚えのしぐさ」です。

【名前は聞かないのが江戸のマナー】芳名とは相手の名前(実名)のこと。江戸講で初対面の人と会ったとき、「お名前は?」といきなり聞かなかった。
 まず、両隣の人の名前を覚え、次に正面の人とその両隣の人の名前を覚えた。それもだれかがその人の名前を呼ぶのを、聞き耳を立てて知った。
 現代では、会合が始まると同時に、「まずは各自の自己紹介から……」となるが、江戸しぐさではそういうことをしなかった。非合理的に思えるかもしれないが、これは「観察力」や「気配り」を鍛錬する格好の場と考えていた。本名は本人と同じ重みを持つものとされ、綽名(あだな)には権力と距離を置く効果があった。ふだんはニックネーム(通り名)で呼んだ。

相性やあだ名で呼ぶことは現代のビジネスマナーとしてどうかと思いますが、観察力の鍛錬という点では興味深い話です。

壇蜜は芸能界のルネサンスか

『江戸しぐさ事典』には、こうした「しぐさ」が他にもたくさん出ています。それらに貫かれているのは、観察力と自らに対する矜持、他者に対する思いやりなどとともに、現代合理主義に対する懐疑的な発想です。

現代を否定する……。といってももちろんそれは江戸時代に時計の針を戻そうということではなく、発展はしつつも、見落としたり忘れてしまったりした文化に改めて光を当てるルネサンスであると私は解釈しました。

ということは、壇蜜も芸能界のルネサンスなのでしょうかね。

以上、『江戸しぐさ事典』(桐山勝著、越川禮子監修、三五館)は、見直すべき江戸の知恵の誕生から定着までの経過にも言及した事典、でした。

江戸しぐさ事典 - 桐山 勝, 禮子, 越川
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