
見・聞・録による石橋正二郎伝“ロマンと心意気”(大坪檀著、静岡産業大学編集、静岡産業大学大化けBOOKS)という書籍をご紹介します。石橋正二郎といえば、言わずもがなタイヤシェア世界一を誇るブリヂストンの創業者です。その生き様と功績をまとめています。(文中敬称略)
石橋正二郎(いしばし しょうじろう、1889年〈明治22年〉2月1日 – 1976年〈昭和51年〉9月11日)は、日本を代表するタイヤメーカーであるブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)の創業者であり、20世紀の日本経済と産業界に多大な影響を与えた人物です。
石橋正二郎の人生は。福岡・久留米の小さな仕立て屋から始まりました。
家業を継ぎ地下足袋、ゴム靴、自動車タイヤへと事業発展の道を切り開いた石橋正二郎。
その生涯のロマンと心意気について本書はまとめています。
静岡産業大学の、「オオバケブックスシリーズ」だそうです。
「オオバケ」というのは「大化け」で、予想以上に大きく成功した、というような意味でしょう。
今や世界3大タイヤメーカーの一角に
やはりブリヂストンは最強?? pic.twitter.com/O3o8zW4kaI
— 将たん@GRYARIS (@shotan_GRYARIS) December 22, 2024
石橋正二郎は、着物や襦袢を縫う仕立屋の次男として生まれます。
久留米商業学校卒業後、病気療養中の父の希望で、兄の重太郎とともに家業を継ぐことに。
しかし、この年の暮れに兄が徴兵されてしまい、実質的に正二郎が一人で家業を切り盛りしなければならない状況となりました。
しかし、自分がトップにたったことで、正二郎は、責任感とやり甲斐から、次々アイデアを実践します。
まず、職人的な技能に頼る、仕立物屋の将来性に対する疑問などから、業務の軸を改め、以前より稼業の一部としていた足袋製造を専業とすることを決意します。
要するに、職人芸というのは、その職人がいなかったら成り立たないわけです。
芸術ならいいのですが、ビジネスとしての供給体制では、そこに不安を覚えたわけです。
次に正二郎は、古い徒弟制を廃して給与制をいち早く採用。
多くの労働者を雇い入れ、経営の近代化を図っていきました。
やがて、足袋製造を専業にします。
ここがすごいと思いましたね。
生産も安定して、雇用も創出するので、経済活性化に貢献します。
23歳のときには、外車を買い入れて宣伝車としました。
また、それまでの足袋はサイズや色で値段が違っていたのを、正二郎は日本で初めて均一料金に踏み切りました。
これによって、会社の数字はうなぎのぼり。
新しいアイデアに継ぐアイデアで、既存の大手に対抗しようと頑張ったわけです。
その延長線上で、今度は地下足袋を開発します。
わらじよりも丈夫でコスパがいい。
しかし、そこで正二郎はとどまらずさらなる発展を目指し、ゴム製品の需要拡大に着目してタイヤ製造に挑戦しました。
創業当初、日本国内には高品質な国産タイヤがほとんどなく、多くが輸入品に依存していました。
石橋は「高品質な国産タイヤをつくる」という使命感を抱き、独自の技術開発に取り組みました。
1931年、「ブリヂストンタイヤ株式会社」を設立。
社名は、自身の名前「石橋(Stone Bridge)」を英語風にアレンジしたものです。
創業当初、タイヤ製造には膨大な資金と技術が必要でした。設備投資や研究開発に大きなコストをかけたため、経営は苦しい状況が続きました。
しかし、石橋は粘り強く事業を進め、品質向上を最優先に取り組むことで顧客の信頼を得ました。
戦後、日本の経済復興とともにブリヂストンは急成長を遂げ、国内外のマーケットでシェアを拡大しました。
1950年代以降: 北米市場を含むグローバル展開を加速させ、今日では世界トップクラスのタイヤメーカーとなっています。
ブリヂストンは、石橋の理念のもと、「品質第一」を掲げ、合成ゴムを用いたタイヤの開発や、レーシングカー用タイヤの研究など、独自技術を開発しました。
また、 石橋は企業の成功が社会への還元に繋がるべきだと考え、教育分野への寄付や、文化芸術の支援など、さまざまな社会貢献活動を行いました。
石橋文化センター(1956年設立した美術館や庭園)、並木が美しいブリヂストン通りなど公園・緑地の整備、小中学校のプールなど数多くの施設を、久留米市に寄付しています。
石橋正二郎は、挑戦と革新の精神を持ち続けた実業家であり、その影響は日本国内にとどまらず、世界中の産業界にも広がっています。彼の経営哲学と功績は、現代のビジネスリーダーにも多くの示唆を与えています。
「次世代のための投資」は起業家の使命
気になる写真(下)
石橋正二郎さんが母校に寄付した講堂設計 菊竹清訓、構造 松井源吾のなんて贅沢な小学校施設よhttps://t.co/LzkvE6PJAQ
作品集ありがたく見せていただいてます pic.twitter.com/NsB3n6im0u— むつどき (@mutsu_mont) December 20, 2024
石橋の寄贈は単なる物的な支援にとどまらず、「地元への恩返し」と「次世代のための投資」という理念が込められていました。
石橋文化センターなどの施設は、久留米市の文化的な発展を象徴する存在となり、現在も多くの市民や観光客に愛されています。
さらっと書いていますが、「地元への恩返し」と「次世代のための投資」って大切で、現代の起業家できていないですよね。
たとえば、古い徒弟制を廃して給与制をいち早く採用し、多くの労働者を雇い入れたと書きましたが、今の起業家は、どことは書きませんが、移民労働者を積極的に求めて安く使うので、日本人の雇用創出につながりません。
移民労働者は、累計200万人を超えていると言われます。
時代が違うといえばそれまでですが、総務省統計局の「労働力調査」によると、2023年のニート(若年無業者)の人口は、15歳から34歳で59万人でした。15歳から24歳では26万人、25歳から34歳では33万人です。(フリーターではなく、本当の無職)
また、日本のニート層は、他国と比較して学力が高いという特徴があるといわれています。
もちろん、どう生きるかはその人の自由で、思うところあって就職しない場合もありますが、若者の就職環境や社会的サポートの不足も、考えるべき点ではないでしょうか。
円安が進行している状況下では、内需重視への転換が理論的には促される可能性があるわけで、今こそ、雇用と労働環境について、画期的な方針を掲げる起業家の登場を期待しています。
自動車やオートバイで、ブリジストンのタイヤは使われていますか。



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