宗教自体が戦争を招くのではなく政教一致のときに戦争が起こると私が書いたのに対して、「一向一揆は?」という反論がありました

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宗教自体が戦争を招くのではなく政教一致のときに戦争が起こると私が書いたのに対して、「一向一揆は?」という反論がありました

昨日の記事に対して、「一向一揆があったではないか」というご指摘をいただきました。昨日、宗教自体が戦争を招くのではなく、政教一致のときに戦争が起こると私が書いたのに対して、「いや、宗教が戦争やってるよ」という例として「一向一揆」を挙げられたようです。

申し訳ないですが、それは宗教を一絡げに否定する、ネトウヨのテンプレ的な反論のひとつで、これまでもよくある発言なんですよね。

今までは無視していましたが、昨日の記事の主たる主張に係ることなので、今回は回答します。

確かに、一向一揆は、戦国時代の浄土真宗門徒による武装蜂起であり、宗教勢力が「戦った」事例です。

しかし、議会もなく、議員もいない時代の「武力」が全ての時代に、「守るために戦う」ことと、国際的組織や各国間で平和条約もあり、民主主義を建前とする現代における「領土拡大の宗教戦争」を同列に見るというのは、いくらなんでも無理があります。

一向一揆が「宗教戦争」という歴史的定説はない

昨日の記事です。

仏教(真言宗)の住職が錫杖(真言宗の厄除け道具)と木魚で「ジングル・ベル」を「演奏」し日本独特の宗教融和をユーモラスに描く
仏教(真言宗)の住職インタビュー動画がバズっています。錫杖(真言宗の厄除け道具)と木魚で「ジングル・ベル」を「演奏」し、日本独特の宗教融和をユーモラスに描くことで、宗教対立を批判する、2025年4月の日本テレビ『月曜から夜ふかし』で放送され...

一向一揆は、教義の正しさを世界に広めるための拡張戦争ではありません。

たとえば十字軍のように、
「異教徒を征服する」ことを目的にした運動でもありません。

逆に、織田信長が比叡山を焼いたり、本願寺(今の大阪城)を武力で乗っ取ろうとしたりしたことは史実で明らかですから、むしろ、

・戦国大名の支配への対抗
・信仰共同体の自治
・既得権の防衛

といった、戦国期の政治秩序の中での、権力闘争(あくまでも守り)に近い性格を持っています。

ただし、そういう時代に、「非武装中立」とか、そういうイデオロギーはありえません。

浄土真宗だろうが、一致団結して戦わなかったら、殲滅されてしまうんですよ。

首を取るか取られるか、しかないんですから。

たとえば、加賀一向一揆では、当時その土地を支配していた武士のトップを追い出し、浄土真宗の門徒たちが地域をまとめる立場になりました。

これだけ聞くと、「宗教が支配層を倒して国を作った」と思われるかもしれません。

ですが、実態は、教義を広めるために他国へ攻め込むような戦争ではなく、その土地の人びとが、自分たちの信仰共同体を中心に自治を守った、という性格のものでした。

ですから、今日は詳述しませんが、そもそも一向一揆は、信徒だけでなく、非信徒の地域の人もたくさん加わっていたことも明らかになっています。


言いかえれば、浄土真宗が教えを押し付けるために戦争を起こしたのではなく、戦国時代という、武力で支配者が入れ替わることが当たり前の時代の中で、武力で攻め込まれたことで、浄土真宗門徒を中心に自治を守る勢力が政治(武力)の担い手になった、という出来事です。

そういう時代の「戦い」と、こんにちの宗教戦争を同列に比べ、だからしょせん宗教は凶暴ではないか、というのは、もはや論難といっていいと思います。

だって、そういう理屈なら、宗教者は無抵抗で、サイコパスの織田信長になぶり殺されろと言っているに等しいですからね。

日本人の宗教の扱いに疑問あり

いや、私は別に、啓蒙をしたいわけではありません。

史実に従ったことを言いたいのと、日本人の少なくない人々は、普段宗教に世話になっているくせにそれに気づかずコバカにして、でもいざ葬式になると、信じていもないはずなのに野辺の送りに利用して、「自分は人としてのつとめを果たした」と自己満足しているのが個人的に気に食わないだけです。

信じてない宗教で送り出す意味はなし、音楽葬にしろよ、と思いませんか。

私自身は、現在、特定の寺とも、神社とも、教会とも付き合いはありません。

でもね、いくら否定しても、日本の文化は、とくに神道や仏教を原作として成り立っている国なんです。

つまり、無意識のうちに、私たちは日頃から宗教のお世話になっているんですよ

それなのに、日本人は感謝の気持もないのかな、という話です。

私は中国人でも韓国人でもないけど、そういう日本人の恩知らずのところが嫌いでね(笑)

対外的には、「いや、私は別に宗教なんて信じてないんですけどね」と言いながら、その宗門の葬式やる感覚が理解できません。そのダブスタ、さすがに失礼すぎるでしょう。

養老孟司先生じゃないけど、私は哲学としての仏教に大いなる敬意を払っています。

また、神道についてはよくしらないので、これから少しずつ知りたいと思っています。

自分とは何だろう、社会とはなんだろう、ということを知るよすがになると思っているからです。

みなさんも、いずれは死ぬとき、多くの人は仏教もしくは神道に最期の面倒を見てもらうのでしょう。

別に特定の教えを信仰しなくてもいいから、日本人は、少なくとも日本の文化に根ざした宗教にもっと畏敬の気持ちを持ち、理解しようという姿勢があってもいいのではないかと私は思います。

私は恩知らずにはなりたくないぞ!

哲学と宗教全史 - 出口 治明
哲学と宗教全史 – 出口 治明

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