高橋英樹さんに聞く(前)

高橋英樹さんに聞く(前)

人間をどう描くかというのが原点

 

"時代劇のエース"高橋英樹さんに時間を割いていただき、私の好きな70年代ドラマについてお話ししていただいた。(草野直樹)

草野 高橋さんの場合、1年以上の長丁場の作品が多いですね。大河ドラマをのぞいても、「桃太郎侍」が5年、「遠山の金さん」が4年半......

 

高橋 「三匹が斬る」が4年近くやったかなあ......

 

草野 ええ。で、長丁場の場合、役がマンネリ化しないようにするという工夫もされていると思うのですが。

 

高橋 そうですね、長く続けるものというのは、それなりにお客様の支持があるから続ける訳なんですけど、その分、やはり「これでもか、これでもか」とエスカレートする部分がありますから、それをドラマとして、いかに制約していくかというか、チャンバラばっかりやっててもダメだし、やっぱりドラマが優先ですから。人間をどう描けるか、その人間をどう作り上げるか、ということが一番難しいですねえ。

 

ただ、主人公というのは絶対成長しないんですよ。完成された人物ですから。そういう意味では作り上げちゃうとつまらない。毎日が成長じゃないじゃないですか。正義の塊ができちゃってますからね。で、毎日それを演じていると疲れるんですね。桃太郎みたいに「オレは正義です」みたいなのが歩いていると。人間て弱いところがあったり、邪念があったりするのを理性で押さえていくのが本質なのに、ただただ正義だけが歩いているというのは、すごくくたびれるんですよ。飽きてきちゃうんですよ。「こんな奴、いるかい」なんて言いながらやってますよ(笑)

 

でも、その部分がお客様に受け入れられる部分で、それを楽しくみていただけるには、それをどういうふうに感じられるように作っていくか、ということがあります。悪の定義を何に見つけるか。悪をどう描くかということが一番問題ですね。悪が失敗したときは作品がおもしろくないです。正義が表現できない。

 

ただ、チャンバラやってぶった切ってるとスッキリはしますね。体操で言うと、月面宙返り何とか回転がポンと決まった瞬間のような気がしますよ。そうした爽快感を見ていらっしゃる方も感じるのだろうなと思います。

 

その意味で、時代劇が少なくなってきているのは、現存する悪が表現する悪よりも強くなってしまっているということがあると思います。世の中にはびこっている悪というのはあまりにも強烈すぎて、ドラマに出てくる悪をそれほど悪と感じなくなってしまっているんじゃないか。その点で、時代劇の難しさを感じます。

 

今やっている「茂七の事件簿」というのは、バタバタぶったぎるわけではない、正義感だけを押し通すわけでもない、人間には必ず強い部分と弱い部分とがある。善の部分と悪の部分を必ず持ち合わせている。それを、それを自分の中で閉じこめ、また世間と融合して生きていくのか。そこを考えてがんばっていこうよ、というドラマ作りですから、それは非常にやってておもしろいですね。逆にそういう所にメッセージを感じます。何でもかんでも悪をぶった切るんだ、というのとは違った、悪を受け容れた上で「良くないことだよ」といえる、そういう大きさを感じ、おもしろく演じていますね。

 

草野 その意味では、私などは「ぶらり信兵衛」を思い出してしまうんですが、「茂七」とは......

 

高橋 似てますよね、ある意味でね。

 

草野 信兵衛は、かなりノッて演じられていたんだろうなあと思いました、当時から。

 

高橋 「ぶらり信兵衛」は、山本周五郎先生の全作品をドラマ化していいよ、と許可をいただいて始めまして。第1回と第2回は脚本が倉本聡でね。当時としては変わった時代劇を脚色してくれたんで、おもしろい素材ですね。あれは今までの時代劇になかった素材ですからね。

 

草野 出演者の方々も、いかにも長屋住まいがピッタリという芸達者な方々をそろえていましたし。

 

高橋 そうそう(笑)。ただ、あれはやる時期がちょっと早すぎたかなあ、とそのときは言っていましたね。

 

草野 そうですか。でも、あれは半年延長になりましたね。

 

高橋 なりました。1年間やりました。もうちょっと後でやったら3年ぐらいやったんじゃないの、なんて言ってましたね。まあ、原作に限りがありますが。「茂七」もそうなんですよ。宮部(みゆき)さんがお忙しいもので、「お願いしますよ、原作書いてくださいよ」って言ってるんですけどね。やはり、原作者の意向を反映するためには原作がないと。それがひとつの指針ですからね。

 

「桃太郎侍」は全くのオリジナルになってます。だから最初の桃太郎と後半の桃太郎はまるっきり違ってます。「ここがいいんじゃない」ということを強調するあまり、ドラマ性を重視しなくなってしまうということがあって、長いことやってるとそういうところが難しいんですね。

 

やっぱり、人間をどう描くかというのが原点ですからね。どういう生き方をしているか、という中に正義がある。そのへんを考えて時代劇を作っていかないと。同じヒーローものを演じるにしても、やはりそこをきちんとふまえて作り上げていかないといけないかなと思います。

 

かつては、多いときで週に16ー7本放送されていた時代は、雑に作られていたこともあったんですが、これからはそんな時代じゃないし、きっちりと人間を作って行かなきゃならないと思います。

 

「ぶらり信兵衛」は企画から参加

 

草野 今までで一番印象に残る作品は何ですか。

 

高橋 演じていた自分自身が評価すると、自分に一番あっていたものをあげるとすれば信長ですね。29歳の時に「国盗り物語」の信長、49歳の時に12時間ドラマでも信長を演じました。20年の年を経て同じ役柄を演じて、信長の持っているものを表現することにおいて、私は合っているな、と思っています。非常に好きな人物でもあるし。

 

それと、自分のライフワークとしての桃太郎。何人か諸先輩が演じているのですが、ああいう形で、テレビで桃太郎というのを築き上げたのは、私の作品が長かったものですから。あとは、さっき言った「ぶらり信兵衛」。......それと......なんかいろんなものを演じましたからねえ。(通算で)千本以上演じているんですよね。そのときそのときに作り上げて......。

 

私は作ることが好きで。演じ続けることよりも、1本1本作り上げるその瞬間が好きなんですね。役柄をこういうふうにした方がいいだろうか、ああいうふうにした方がいいだろうか、とみんなで検討しながら、自分でも葛藤しながら、歴史的背景などいろいろなものを自分の中に詰め込みながら人間像を形成していく段階が一番好きなものですから。

 

草野 新しいドラマは企画から参加されるのですか?

 

高橋 NHKの場合には、そういう作品ができあがった、というところから教えられるわけですが、民放の場合は、企画の段階でこういったことをやりたい、ということから参加していますね。

 

草野 「信兵衛」の頃は、木曜日の夜9時のフジテレビの枠で2年ぐらいずっとやられていましたよね。

 

高橋 はいはい。

 

草野 あのころは、やはり高橋さんの方で提案されていたのでしょうか。

 

高橋 そうですね。原作も自分で探したりしていましたからね。

 

草野 信兵衛も高橋さんが

 

高橋 そうですね。これをどう料理するか、というところから始まるわけです。

 

草野 その時間帯は、その前が「隼人が来る」で、その後に「とってくれべえ」になって、ずいぶん変わったなと思っていたんですが。

 

高橋 あの時間帯は、裏がお化け番組の「ありがとう」だったんです。その中で非常に健闘していましてね。「隼人が来る」も続けてやってほしいと言われていたんですが、その頃は新しいものを作る方が楽しく、次々といろいろな役を演じてみたいという気持ちが優先していましたからね。

 

何しろ「隼人が来る」というのは、レギュラーは私と(左)とん平ちゃんと馬だけですから。もう、明けても暮れても「高橋英樹、左とん平、馬、殺陣師」しかスケジュール表に出てこない作品で、とにかくきつかったんですよ。いっぺん、違った形態のものを作りたいという気持ちもあったんですね。

 

草野 信兵衛は出演者は多かったですもんね。

 

高橋 多かったです。でも結局、あれも撮影そのものはエラかったんですよ。長屋の中で、あまりロケーションにも行かないで室内のセットだけでできるかなと思ったらとんでもない話で、結構大変だったんですね。でも、そのときそのときに作る過程というのに喜びがありました。

 

草野 あれは京都で

 

高橋 京都です。「隼人が来る」から京都に行ったんです。

 

草野 この頃、大河ドラマと掛け持ちしていませんでしたか。たしか、「国盗物語」と......

 

高橋 「信兵衛」と掛け持ちでした。だから日程的にはすさまじかったです。よく考えたら、若いからできたんでしょうねえ。ですから、織田信長と信兵衛という全く異なったキャラクターを同時進行で演じてたという、役者としての変身の瞬間のおもしろさを経験できました。

 

普段、こうやってべらべらしゃべっている者が、急に変身して偉い奴になったり強い奴になったり、その変化の瞬間が役者としての醍醐味にあります。掛け持ちが大変かというと、そういう面ではおもしろさはあるわけです。

 

信長などやっていると、普段しゃべるときも信長みたいになっちゃう。「ちょっと待て」なんて言うときに、「あれ? 今ちょっと(普段の自分と)違ったな」とか(笑)

 

ただ、信長のああいうエキセントリックな役とは別に、普段、正義、あるいは2枚目を演じているワリには、3のセンに近い作品が、自分にはよくあっているとも思うんです。その原点は「信兵衛」であり、今の「茂七」でもそうです。淡路恵子さんと星野真里さんに家庭でやっつけられるのですが、演じていても結構楽しいですね。ヨソで偉そうにしている社長でも、家に帰ると弱いという人がいるでしょう? 人間にはそういう二面性はありますから、ヒーロー像というのも時代とともに変わってくるんじゃないかと思います。

 

だから、桃太郎は昔風のヒーロー像で、今は正義が歩いているというようなヒーロー像はヒーローに感じない。「何で食ってるの?」とか、「どうして長屋に住んでいるのに、あんなにいい衣装着てるわけ?」とか、そういう疑問を「まあ、いいじゃないの」では解決できない時代なんですね。それをどうクリアしていくかを考えて物作りをしていかないと。そこに違和感を感じると正義がエセ正義になってしまう。今後、テレビで演じていくときにヒーロー像の作り方を考え直さなければならないというように思います。