ジョーの夢 新島襄と徳富蘇峰、そして八重(増田晶文著、講談社)は新島襄、教え子である徳富蘇峰、新島の妻、八重の関係を描く

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ジョーの夢 新島襄と徳富蘇峰、そして八重(増田晶文著、講談社)は新島襄、教え子である徳富蘇峰、新島の妻、八重の関係を描く

ジョーの夢 新島襄と徳富蘇峰、そして八重(増田晶文著、講談社)は、新島襄、その教え子である徳富蘇峰、新島の妻、八重の関係について描かれています。日本人として初めて、アメリカの大学の卒業証書をもらった新島襄の大学創設の夢を中心にしたノンフィクション小説です。

新島襄は、「日本初」という偉業を2つ残しています。

ひとつは、日本初の留学者。

これは、アメリカの教育機関(大学)で学生生活を全うして、卒業証書をもらったことを意味します。

現在では、一定期間、ホームステイ的にむこうに滞在することまで「留学」と呼びますが、向こうの学生と同じ条件で、同じ教室で科目を履修して、卒業証書をもらう、本当の留学生の第一号です。

しかも、渡米は鎖国最中の密航でした。

もうひとつは、日本初のキリスト教系私立大学(同志社大学)設立です。

その愛弟子にして、日本初のジャーナリストといわれるのが徳富蘇峰です。

新島襄は、妻・八重(2013年大河ドラマ「八重の桜」主人公)に支えられ、偉業を達成しました。

本書は、幕末から明治にかけて夢を追った新島襄、徳富蘇峰、新島の妻・八重を中心としたノンフィクション小説です。

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キリスト教信仰を結びつけた教育理念を掲げる


新島襄は、本名を新島七五三太(しめた)といい、後に襄と名乗りました。

1843年(天保14年)に江戸時代の上野国(現在の群馬県安中市)で生まれ、明治日本における教育とキリスト教の普及に大きな貢献を果たしました。

1864年(元治元年)、幕府の許可を得ずにアメリカへ密出国し、アメリカのキリスト教宣教師たちの援助を受けながら学問に励みました。

1870年にはアーモスト大学を卒業し、その後、アンドーヴァー神学校で神学を学びました。

アメリカ滞在中にキリスト教に深く感化され、洗礼を受けました。

この経験が、帰国後の教育活動や同志社英学校(現・同志社大学)の設立に大きく影響を与えました。

1875年、京都で同志社英学校を設立しました。

この学校は当初、英語教育を中心に据えていましたが、徐々に高等教育機関として発展し、現在では日本の名門私立大学の一つとなっています。

新島は、学問とキリスト教信仰を結びつけた教育理念を掲げ、「良心を手腕にそなえた人物」を育てることを目指しました。

徳富蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) – 1957年(昭和32年)11月2日)は、熊本藩(現在の熊本県)に生まれ、若い頃からキリスト教に関心を持ちました。

彼は新島襄が設立した同志社英学校(現・同志社大学)で新島の薫陶を受けました。

蘇峰にとって新島は、単なる教師ではなく人格的な影響を与えた精神的な師でもありました。

しかし、蘇峰は次第に「平民主義」という独自の思想へと傾倒していきました。

同志社卒業後、蘇峰はジャーナリズムや思想活動に専念し、特に「国民之友」という雑誌を通じて平民主義を広めました。

一方で、彼が若い頃に新島から受けた影響は、彼の倫理観や社会改革への意識に根強く残っていたと考えられます。

八重は、福島藩(現在の会津地方)出身で、幕末の会津戦争では鉄砲を手にして奮闘した「幕末のジャンヌ・ダルク」とも称されるほどの行動的な女性でした。

八重は新島襄と結婚後にキリスト教徒となり、洗礼を受けました。

新島襄は、キリスト教精神に基づく教育を推進するうえで、多くの困難に直面しました。その中で八重は、襄の活動を物心両面で支えました。特に、同志社英学校(現・同志社大学)の設立や運営において、八重の実務的なサポートは重要な役割を果たしました。

さらに、襄の病気が悪化してからは、献身的に介護しながらも、彼の理念や遺志を継ぐべく同志社での活動を継続的に支えました。夫婦は単なる家庭内の関係を超えた、同志的な絆を持っていたと言えます。

新島襄と徳富蘇峰の関係は、師弟関係として始まりましたが、蘇峰が独自の思想を確立していく過程で異なる道を歩むようになりました。

それでも、新島が蘇峰の人格形成や思想に与えた影響は非常に大きく、蘇峰の社会的活動や平民主義の背景には、新島が教えた「良心」や「社会的責任」の精神が反映されていたと言えます。この関係は、近代日本の思想史における重要な一面を示しています。

キリスト教、平民主義、仏教、それぞれの平等観


徳富蘇峰が傾倒した平民主義というのは、平等で民主的な社会を目指すものであり、当時の日本の封建的な価値観に挑戦するものでした。

要するに、宗教ではなく、現実を改革していく社会運動として「人々の平等」を求めたわけです。

一方、キリスト教における「平等」というのは、人はみな、神のもとに生まれた原罪ある存在という点で同じであり、その立場には、老若男女優劣はないという意味です。

ちなみに、神様を前提としていない仏教の場合は、万物は縁起の関係にあるから、物事事象のすべては等価(平等)であるという考え方です。

縁起というのは、西洋哲学でいうと弁証法的、という概念にあたりますが、物事は表があるから裏があり、右があるから左があり、前があるから後ろがある。それらはどちらがすぐれているということはなく、どちらも分かつことのできない等価の関係である、ということです。

たとえば、親は子がいるからこその親であり、社長も社員がいるからこそ社長である。そして、親は子より優越ということはなく、社長も役割分担上社員より権限があるに過ぎない。その逆も然り。

ですから、親子関係は「どっちが偉い」ということはない。親は、「あたし、親だよね」と言って、子に圧を加えてはならない、ということです。

とにかく、世界観や手法は違えど、人は平等ということで結論は一致しているわけです。

同志社出身の方には愚問ですが、新島襄、ご存知でしたか。

ジョーの夢 新島襄と徳富蘇峰、そして八重 - 増田晶文
ジョーの夢 新島襄と徳富蘇峰、そして八重 – 増田晶文

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