『師弟~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~』(オール巨人著、ヨシモトブックス、ワニブックス)はオール巨人の自伝

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『師弟~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~』(オール巨人著、ヨシモトブックス、ワニブックス)はオール巨人の自伝

『師弟~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~』(オール巨人著、ヨシモトブックス、ワニブックス)をご紹介します。オール阪神・巨人の巨人が、師匠の岡八郎、自分の父親、そして自分の生き方に、愚直ながらも人の信頼関係の尊さを見ている自伝です。

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オール阪神・巨人について

オール阪神・巨人の巨人は、お笑い第二世代といわれる、吉本興業大阪本社所属の漫才師です。

漫才では、主にボケ担当を担当しています。

今後結成は1975年4月。

当時、東京にもネットされていた毎日放送の公開バラエティ番組『ヤングおー!おー!』で、桂三枝(現六代目桂文枝)がコンビ名募集を行い、その中から採用されました。

C型肝炎を患い、克服したことでも有名です。

師匠は岡八郎です。

本書『師弟』では、実家で鶏卵卸売り業を営んでいた父親や、岡八郎のことを思い出しながら、自分の芸人としてのスタンスを語っています。

本書のあらすじ

今や関西お笑い界の重鎮であるオール阪神・巨人。

かつて、吉本新喜劇で活躍した岡八郎の弟子であり、中でもオール巨人は芸能界にデビューするまで、9ヶ月間にわたって仕えてきました。

もっとも、弟子を上がってから、今回の書籍を上梓(2012年)するまで31年。

時間にすれば弟子の期間は圧倒的に短くまた過去の話ですが、心底感銘を受ける人間との出会いは時間の問題ではありません。

オール巨人は、その9ヶ月間における弟子として尽くし続けた師匠・岡八朗への溢れ出る思いとともに、その後の自分の31年の芸能人生、さらに往年のスター岡八郎が晩年のアルコール依存症や脳挫傷で、復帰がままならないまま老いていく苦悩も率直に振り返っています。

自伝と岡八郎の思い出、という本来別のテーマが一冊の本にまとめられているのは、岡八郎が親や家族と同じぐらい大切な人であるというオール巨人の思いと、岡八郎、自分の父親、そしてオール巨人自身が、同じような生き方をしている、ということを言いたいようです。

“次善の策”だった師匠度量の大きさに感じ入る

何が「同じ」なのか。

それは、愚直であること、人を許す広く大きな心をもつこと、と書かれています。

鶏卵卸売り業を経営していたオール巨人の父親は、ある人に左目をつぶされましたが、損害賠償もとらず、後ろ足で砂をかけていった元従業員の復帰も許す人間だったそうです。

人間としてちょっと甘かったのかもしれないけれど、とても優しい大きな人間

と、オール巨人は同書で、自分の父親を尊敬しています。

岡八郎への弟子入りは、最初は芸能界へ入るための入り口だったといいます。

しかも、希望した島田洋之助・今喜多代がたまたま弟子をたくさん抱えていて、岡八郎が弟子を求めていたから弟子入りした“次善の策”。

しかし、「少しずつ八郎師匠の人柄に触れるうちに、次第にその度量の大きさに感じ入ることにな」ったと書いています。

それは、岡八郎の人柄が自分の父親に似ていたから。

オール巨人が、今ならスキャンダルになるようなしくじりをしても許します。

といっても、別に岡八郎がけじめのない無原則な人というわけではありません。

信頼関係を大切にしてくれたからだといいます。

そして、オール巨人もそんな人間であるとか。

ここは少し意外でした。

たしかに、タチの悪い人間に絡まれる不幸がニュースになったことはありますが、少なくともソツのない漫才を見ていると、愚直な人間には見えません。

しかし、本人によると、オール阪神・巨人は「二人とも器用に見えて、案外不器用な漫才師だった」そうです。

30年前の漫才ブームは、ギャグや個性がブレイクしたものでした。

B&B、ツービート、ザ・ぼんち、紳助竜介、のりおよしお、今いくよ・くるよ……。

しかし、ギャグ漫才がうまくできないオール阪神・巨人は彼らと同じ流れにのれず、「しゃべくり漫才」でいくしかなかった。ブームが去ってから、しゃべくり漫才だから残れたと評価されたがそれは違うのだと謙虚に分析しています。

師匠・岡八郎の衰え

そんなオール巨人は、妻と息子を亡くして娘が海外で生活している岡八郎の晩年のお世話もします。

このへんの記述については物足りないというレビューもあるようですが、あまり語りたくなかったのでしょう。

ちょうどこの頃、NHKが岡八郎を特集する番組を放送したので、私も見ました。

同書には、台詞覚えが早かったのに、すでにその頃は1~2行の台詞が入らなかったと書かれています。

たしか、興行する建物の立派さを見て、岡八郎がびっくりするような仕草をしていたのを見て、さすが喜劇役者のサービス精神だなあと私は当時思っていました。

が、あれはギャグではなくて“ガチ”の戸惑いなのだと思ったら、なんとも切なくなりました。

C型肝炎とのたたかい

そして、エピローグには、C型肝炎とのたたかいが書かれています。

1997年ごろ、虫垂炎の手術をしたときに発覚したそうです。

最も治りにくいウイルスに冒されていたそうで、ずいぶん苦労したようです。

自覚症状が無い為になかなか治療を開始する踏ん切りがつかず、治療を開始したのは還暦を前にした2010年2月になったといいます。

漫才師の仕事は続けながら、1年半にわたる治療が続いたそうです。

この章は、副作用に苦しみながらも、決して仕事を休まなかった体験記にょって、現在C型肝炎治療を受けている人、これから受けようとする人の助けになれば、という思いがこもっています。

C型肝炎の治療については、『さいなら!C型肝炎 漫才師として舞台に立ちながら治療に挑んだ500日の記録』(ヨシモトブックス)という別の書籍に詳しく書かれています。

人を許すことの重さ

私のオール巨人に対するイメージは、少し厳しそうだが決して威張っているわけではなく謙虚で正直で誠実な人というものでしたが、それが概ねあたっているのではないか、ということを同書で感じました。

私も生き方として同意できるところ大ありですが、ひとつだけ違うのは寛容さかな。

ひっきょう、オール巨人と自分の決定的な違いは、「人を許せるか」ということなのだと思いました。

オール巨人は、神経質だが不寛容な人間ではない。

私は、神経質で、少なくともオール巨人よりも不寛容だと思います。

人を許すことが深い信頼関係につながる、ということでしょう。

人間はまちがいうる、という認識はありますが、では直接の被害者として、裏切られたり陥れられたり嘘をつかれたりないがしろにされたりしても、必ずその相手を許せるかと自分に問うと、う~ん、その自信はありません。

オール巨人は、ひとサマのお金に手を付けた元弟子を唯一許していませんが、その元弟子が誠意を見せて償えば、きっと許すのだろうと思います。

人を許す。むずかしいことです。

でもそれができたとき、初めて人と深い信頼関係を築ける人間になるのかもしれません。

以上、『師弟~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~』(オール巨人著、ヨシモトブックス、ワニブックス)はオール巨人の自伝、でした。

師弟 ~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~ (ヨシモトブックス) - オール巨人
師弟 ~吉本新喜劇・岡八朗師匠と歩んだ31年~ (ヨシモトブックス) – オール巨人

さいなら! C型肝炎 ~漫才師として舞台に立ちながら、治療に挑んだ500日の記録~ (ヨシモトブックス) - オール巨人
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