『真・輪島伝番外の人』(武田頼政著、廣済堂出版)は元横綱でプロレスラーだった輪島大士の元妻が回顧する興味深い暴露本

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『真・輪島伝番外の人』(武田頼政著、廣済堂出版)は元横綱でプロレスラーだった輪島大士の元妻が回顧する興味深い暴露本

『真・輪島伝 番外の人』(武田頼政著、廣済堂出版)。元横綱でプロレスラーだった輪島大士の元妻が恨みつらみで回顧する暴露本です。一般に悪口、暴露などは評価されにくいですが、好き嫌いと内容の真偽や意義はまた別の問題。私は興味深く拝見しました。

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『真・輪島伝 番外の人』とはなんだ

『真・輪島伝 番外の人』(武田頼政著、廣済堂出版)は、一口に述べると、輪島の元妻であり、輪島が現役だった頃の花籠親方の娘である五月さんの暴露本です。

書籍の帯に内容が集約されています。

「放埒な恋と蕩尽と、事業失敗のあげく名跡を担保に金を借り、相撲界を騒乱の極みに陥れた、不世出にして破天荒な天才、故・第54代横綱・輪島大士――大相撲八百長報道で角界を震撼させた著者が、その元妻に長時間の取材を敢行し、年寄名跡をめぐる初代・若乃花との対決、ロス疑惑・三浦和義との接点、暴力団との共生関係等々、輪島の栄光と堕天の時代を活写する」
輪島だけでなく、自分の父親の花籠親方の弟子でありながら、恩知らずな態度をとった元若乃花も糾弾。

輪島も亡くなり、隆盛を極めた二子山一家も、先代貴乃花夫妻が離婚して一家離散した上に全員相撲界から去ってしまいました。

五月さんの意図や自覚はわかりませんが、それを「報い」であるというニュアンスで、2者の「悪行と滅亡」が書かれています。

まあ、先代若乃花はともかく、先代貴乃花二子山部屋一家の消滅まで、輪島と同列に五月さんに対する「報い」とするのはちょっと無理がありますが。

著者は武田頼政さん。

著者自身が取材をして論考しているのではなく、五月さんの問わず語りを編集した構成になっています。

本来なら、五月さんが著者で、武田頼政さんがゴーストライター、もしくは編著者だと思います。

それはともかくとして、さっそく中身のご紹介をします。

第54代横綱の破天荒な人生

第54代横綱の輪島大士は、学生横綱としては初めて大相撲でも横綱になり、輪湖時代といわれる隆盛を築いて14回優勝しました。

金沢高等学校時代には、大鵬が二所ノ関部屋へ勧誘するべく実家まで訪れたこともあり、日本大学の相撲部で2年連続学生横綱優勝しました。

角界入りは幕下付け出しでしたが、1年で幕内に上がり、大関昇進の4場所後には横綱になっていましたから、アスリートとしては早熟な超逸材だったわけです。

しかし、新弟子の苦労もせず、学生時代から相撲だけやってチヤホヤされていたことで、人間としての修行をする時間と機会がなかったかもしれません。

十両の頃から外車を乗り回し、遊びも派手だったようです。

借金のカタに年寄株を担保にしたことで、10回も優勝した元横綱でありながら、角界を追放されてしまったのです。

その真相を、五月さんは本書で語っています。

輪島大士について

まず、輪島大士について。

「私は二所ノ関一門・阿佐ヶ谷勢の総帥だった花籠親方(元幕内・大ノ海、本名・中島久光)の長女として生まれました。最盛期には30人もの力士たちが籍を置いた大きな相撲部屋で、私は力士たちとともに育ちました。ところが父が必死に育てあげ、守ってきたこの部屋は、輪島の不始末が原因ですべて失われてしまいました。部屋を畳むとき、父への申し訳なさよりも、他の部屋に呑み込まれてゆく若い衆が不憫で仕方がありませんでした。輪島の人柄をわかりやすく言えば、『オンナとカネにだらしのない人』です。横綱引退直後に師匠である父が亡くなると、あの人の女遊びには以前にも増して拍車がかかり、挙げ句の果てには親方名跡を担保に何億円もの借金をし、それが原因で廃業に追い込まれてしまいました。そもそも輪島はお相撲さんだというのに『辛いこと』や『痛みを伴うこと』に直面すると、その場から逃げ出そうとするのが常でしたから、その後プロレスに転進してもうまくいくわけがなかったのです」

輪島大士が引退する頃、花籠部屋は親方が定年になるため、「政略結婚」で娘の中島五月さんと結婚します。

しかし、五月さんの見る輪島大士は、相撲の天才と言われながら稽古嫌い(痛いことが嫌い)で、金と女にだらしなく、社会常識ゼロであったといいます。

年中飲み明かし、ホステスに入れあげ、稽古嫌いのつじつま合わせに、特に押し相撲の力士からは星を買い(要するに八百長)、桁違いの借金を抱えていたといいます。

2年連続学生横綱の偉業が泣く話です。

さらに、輪島大士の実妹は、商売の才覚もないのに元横綱の名前を使って事業に手を出し、これまた多額の負債を抱えていたため、あろうことか花籠の年寄名跡を借金のカタにし、相撲界を追われてしまいます。

そして、五月夫人とは離婚。

普通なら、ここで人生詰んでしまったも同然ですが、輪島大士は今度は何と38歳で全日本プロレスに入団(1986年)しました。

ずてを失った男の再スタート、かと思いきや、実は離婚したはずの五月さんと“夫婦”でジャイアント馬場さんに頭を下げて入団をお願いしたそうです。

要するに、離婚はしても、まだ実質的には妻として輪島を支えたというわけです。

ジャイアント馬場も、元横綱に恥をかかせるわけには行きませんから、ハワイやアメリカ本土、プエルトリコなどで、元一流レスラーのコーチングや、試合をこなすレスラーとしての英才教育を輪島大士に受けさせました。

そして、かつてはアントニオ猪木と名勝負を繰り広げたタイガー・ジェット・シンと、日本のデビュー戦を行いました。

そして、ときのNWA世界ヘビー級チャンピオン、リック・フレアーにもチャレンジしています。

38歳で、元横綱のプライドがあるのに、打ったり蹴ったりされるプロレスラーなんかつとまらないだろう、という世間の“アンチ”な目も輪島人気につながり、全日本プロレス中継の視聴率にも当初は貢献したようです。

しかし、やはり、足の裏以外を地につけてはならない相撲と、受け身やグランドテクニックが重要なプロレスでは、戦い方が根本的に異なり、そのギャップによるダメージやストレスが心身に蓄積。

結局2年5ヶ月で引退してしまいました。

それも、五月さんにいわせると、痛いのが嫌で長続きしなかったそうです。

それだけでなく、輪島大士は五月さんの養母(先代花籠親方の後妻)が亡くなっても葬式には来ない、自己破産したはずなのに借金取りがきたからと言って五月さんに2000万も無心するなど、身勝手なふるまいを続けたと糾弾。

今度は本当に離婚すると、輪島大士は再婚。

ついに2人の間にはできなかった子どもまで直ぐにできて、甲子園球児になりました。

憤懣やるかたないのか、五月さんは輪島大士を、神が定期的に人間の生活をご破算にする「厄災」、もしくは「騒擾の神」ととらえています。

先代若乃花について

本書は、輪島大士だけでなく、先代若乃花についても唾棄しています。

「時を同じくして、貴乃花親方が『引退』しました。『引退』などと言うと聞こえはいいですが、要は『廃業』です。そしてさらに夫婦関係も破綻したそうです。同じ時期に起きた輪島の死と貴乃花の廃業と離婚――。私たちは自分の部屋を手放したという点で貴乃花と共通していますが、内容はまるで違います。相撲界から去る貴乃花はテレビのトーク番組に出演し廃業の経緯を蕩々と語っていましたが、相撲部屋を畳んだ後の若い衆の行く末を考えたら、私ならとてもじゃないけど人前になど出られません。彼の心の裡はまったく理解できないのです。これまで花田家の話題に接するたび、私は複雑な感情を懐いてきました。当時の私たちが輪島の借金問題に苦慮していた際、貴乃花の伯父であり父の弟子だった二子山親方(元横綱・初代若乃花、本名・花田勝治)は、輪島の不始末に乗じる形で花籠名跡を私たちから剥奪しようとしました。つまり私たちは貴乃花のように自ら名跡を放棄したわけではなく、二子山親方による、他界した父への背信行為もあってそうせざるを得ない状況に追い込まれたのです」

先々代若乃花の二子山親方こと花田勝治は、もともと花籠部屋の力士でした。

引退して二子山部屋を興し、花籠部屋と同じ阿佐ヶ谷に部屋を構えます。

マスコミは、「花籠一門」とか「阿佐ヶ谷一門」などと称していましたが、五月さんは二子山部屋にはいい思いを抱いていなかったようです。

二子山親方こと花田勝治は、引退後は理事を狙って師匠であった花籠理事を落とそうとした野心家といいます。

年寄名跡問題では、どさくさ紛れに花籠名跡を自分のものにしようとするなど権勢をふるったものの、欲の皮を張りすぎて脱税事件で相撲界からは退かざるを得なくなったとしています。

先代若乃花については、韓国人の隠し子が暴露本を出したことがあります。

同書の著者は、むしろ先代若乃花を慕っていましたが、我が子の面倒を見ず、先代貴乃花が預かった件を読むと、先代若乃花の身勝手さにはあまりいい印象を抱かなかったので、五月さんの暴露も「さもありなん」という思いがありました。

もちろん、先代貴乃花夫妻の離婚や、若貴兄弟の確執は、五月さんと直接の関係はありませんから、あとを継いだ貴乃花一家が離散し、次男の貴乃花が日本相撲協会を退職したことで、3横綱1大関の一族に弟子たちも関取多数で隆盛を誇った花田一家が相撲界から完全に消えたことは、本書では触れなくても良かったのではないかな、という気もしました。

暴露することは悪いことなのか

ということで、本書は五月さんの恨みつらみに貫かれた暴露本です。

こういう書籍に対しては、きれいごとの好きな日本人の評判は決してよくありません。

「悪口」とか「陰口」とか、自分の立場だから知り得た情報を吹聴するのはフェアではない、武士道にもとる、といったところでしょうか。

しかし、私はその意見には賛成しません。

少なくとも、言論の自由の枠をはみ出したものにはならないと思います。

もちろん、名誉毀損に問われるなら不法行為ですが、亡くなった人に対しては書かれた内容が事実に基づいたものなら不法行為には問われません。

つまり、それをどう評価するのかは読む者に任されているということです。

暴露の好き嫌いがどうあれ、内容の真偽や公益性の評価は区別して行うべきです。

私自身の感想としては、本書は、面白かったです。

輪島大士がチャラ男であることぐらい当時からいわれていたことですから、書かれていることは、初めて知ることであっても、だからといって何かがひっくり返るようなショックはありません。

人間の価値というのは、往々にして欠点と魅力がコインの裏表にあります。

本当にその人のことに興味があるのなら、美辞麗句だけでなく、弱い部分、ダークな部分とも向き合い、それも含めて評価すべきです。

たとえば、私も若い頃は好きな芸能人のスキャンダルはショックでした。

でも最近は、「面白困った一面」として、その人をより深く知る契機として受け止めるようになりました。

暴露本の嫌いな人には、「もっとおとなになれよ」と言いたいですね。

プロレスラー輪島大士を再評価

五月さんは、輪島大士は痛いことが嫌いで八百長に2000万円も使ったと書いています。

しかし、プロレスラー輪島大士は、1試合5~10万円程度ののファイトマネーで、タイガー・ジェット・シンに額を割られたり、天龍にシューズの紐をこすりつけられるように蹴られて額に靴の紐の後をつけたり、テレビ中継では解説のジャイアント馬場に酷評されたりしていました。

ですから、五月さんの思いとは別に、むしろ2年もよくあんな試合を頑張ったなと思いました。

プロレスをやめたのは、全く何の予告もなく突然でした。

そしてその後、一切プロレスOBとしては発言していないので、てっきりプロレス時代を自らの「黒歴史」として、関係者との接触を拒絶しているのかと思いました。

たとえば、師匠のジャイアント馬場が亡くなった時も、輪島のコメントはなく、話題にもなりませんでした。

しかし、後になって、その時輪島は、第三の人生であるアメフトの仕事でたまたま渡米中であり、帰国してから、馬場宅にお線香を上げに行ったことがわかりました。

『全日本プロレス40年史』(ベースボール・マガジン社)におけるインタビューでは、プロレス時代を、

「無我夢中で必死にやった2年間は、僕の人生の大切な1ページですね」

と語っています。

38歳の新弟子時代は、決して「黒歴史」ではなく、相撲では失敗しましたが、少なくともプロレスでは、多少なりとも心を入れ替えて頑張っていたことが改めてわかり、私はプロレスラー輪島大士を再評価することができました。

ですから私は、本当の輪島ファンだったことを自認するあなたなら、ぜひ本書をお読みいただきたいと思います。

以上、『真・輪島伝番外の人』(武田頼政著、廣済堂出版)は元横綱でプロレスラーだった輪島大士の元妻が回顧する興味深い暴露本、でした。

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