真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 (佐々木閑、大栗博司、幻冬舎新書) は仏教哲学者と宇宙物理学者による人生の意味や真理探求

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真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 (佐々木閑、大栗博司、幻冬舎新書) をご紹介します。仏教哲学者と宇宙物理学者による、人生の意味や真理を探求を行った学術的啓蒙書の意欲作です。宗教と科学という異なる立場が人生の意味について明らかにしています。

真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 (佐々木閑、大栗博司、幻冬舎新書) をご紹介します。仏教哲学者と宇宙物理学者による、人生の意味や真理を探求を行った学術的啓蒙書の意欲作です。宗教と科学という異なる立場が人生の意味について明らかにしています。

本書『真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話』を、堅苦しいタイトルと思われますか。

でも、釈迦仏教の教えや意義研究の第一人者である佐々木閑さん(仏教哲学者)と、場の量子論や超弦理論の深い数学的構造を発見した大栗博司さん(素粒子論)の、それぞれの研究をまとめた共著及び対談という、なんとも豪華な構成です。

つまり、釈迦仏教、宇宙物理学、そしてその違いと共通点が、この1冊に全部書かれているのです。

佐々木閑さんについては、もう何冊も書籍をご紹介しました。

別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した(佐々木閑著、NHK出版)は原始仏教と大乗仏教の違いを解説
別冊NHK100分de名著集中講義大乗仏教こうしてブッダの教えは変容した(佐々木閑著、NHK出版)は原始仏教と大乗仏教の違いを解説しています。どうして日本の住職は、結婚もするし金儲けもするしお酒も飲むのだろう、という疑問も解決します。
NHK「100分de名著」ブックスブッダ真理のことば(佐々木閑著)は、「お釈迦様の仏教」をその第一人者が『ダンマパダ』から解説
NHK「100分de名著」ブックスブッダ真理のことば(佐々木閑著)は、「お釈迦様の仏教」をその第一人者が『ダンマパダ』から解説します。仏教は「心の病院」であると説く著者。苦悩の現代にこそ「お釈迦様の仏教」の経典を読みたいものです。
科学するブッダ犀の角たち(佐々木閑著、角川ソフィア文庫)は、科学とお釈迦様の仏教の共通性や関係、そしてそれらの将来を推理
科学するブッダ犀の角たち(佐々木 閑著、角川ソフィア文庫)は、科学とお釈迦様の仏教の共通性や関係、そしてそれらの将来を推理しています。科学と宗教は相容れないもののように思われますが、そうではないところにお釈迦様の仏教の特殊性があります。
大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか(佐々木閑著、NHK出版新書)は、お釈迦様の仏教と大乗仏教の違いを説明する
大乗仏教 ブッダの教えはどこへ向かうのか(佐々木閑著、NHK出版新書)は、お釈迦様の仏教と大乗仏教の違いを説明しています。「涅槃寂静」に向けての善行に「回向」を挟んだと、「空」のあり方の違いなど、わかりやすい対話式の解説です。
仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観(佐々木閑、DOJIN文庫)は、仏教と科学の類似と相違を探った書籍
仏教は宇宙をどう見たか: アビダルマ仏教の科学的世界観(佐々木閑、DOJIN文庫)は、仏教と科学の類似と相違を探った書籍です。YouTubeでもおなじみ、科学にも仏教にも精通している佐々木閑先生が着目した、仏教と科学の類似と相違はどのようなものでしょうか。

佐々木閑さんは、京都大学の工学部(工業化学)から、文学部(哲学科)に学士入学して仏教研究に進まれた方で、なおかつご実家は浄土真宗(高田派)のお寺です。

つまり、釈迦仏教、大乗仏教、科学(工学)の3分野に精通しており、かつ大栗博司さんとは京都大学の同窓ということになりますので、懐深く、様々な視点から話が広がり、古代釈迦の教えから最先端の科学までを縦横無尽に語り尽くしています。

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仏教も科学も、生きることの意味は教えてくれない

本書は、それぞれのご専門において、現時点でわかっているところまでが紹介され、かつ、釈迦仏教(以下仏教と記す)と宇宙物理学の視点から、それぞれの違いと共通点を明らかにし、人生の意味や真理について対談しながら探求しています。

つまり、一方は人間の心(仏教)、もう一方は自然の法則(科学)の真理を追求しているわけです。

その両分野が向き合ったときに、何が見えてくるのか。

以下は、この本の概要とポイントです。

アプローチの違い……仏教は心の働きを微細に観察し、人間の真理を追究したものであり、一方で近代科学は自然法則の発見を通じて、宇宙の真理を追究しています。

共通の結論……仏教にしろ科学にしろ、「人生の目的はあらかじめ与えられているものでなく、そもそも生きることに意味はない」という結論に到達しています。

「生きる意味はない」といっても、もちろん「生きててもしょうがない」という意味ではありません。

仏教や科学に「生きる意味」は説かれていないので、結局、自分の人生の意味は自分で考えろ、ということです。

突き放したような身も蓋もない結論ですが、科学は自然法則を、仏教は心の中のはたらきを説いているだけなので、これは当然です。

たとえば、りんごが落ちる重力は、人間がそうしたいから起こるわけではありません。

一方の釈迦仏教も、神様のいない宗教ですから、「人生の意味」は自分で答えを出していくしかありません。

これがもし、一神教なら、自分が神様の差配で生きていることを自覚することが唯一絶対の「人生の意味」なので。その点で、仏教は一神教と世界観が異なります。

Amazonのレビューにもある通り、読者によっては、この結論に当惑し、また幻滅するかもしれません。

「結局なんのために生きているんだ?」という疑念が湧いてこようからです。

しかし、考え方にもよりますが、「意味」があらかじめ100%定まっているような人生だったら、やっぱり「つまらない」と。私なら思うかもしれません。

釈迦仏教や科学など、考えるための「教え」や「法則」はある。

それをもとに、あとは自分で考えろ、という方が、生きる張り合いのようなものが出てこようというものです。

あと、仏教は霊魂(身体の分離)も認めませんから、物心一元論という点でも仏教は科学と共通しています。

私が、仏教学を学修したいと思った理由の一つは、仏教と量子力学が「似ている」といわれているので、それを自分で確認したかったことがありますが、本書はその目的にもピタッとハマった内容です。

仏教は仏教、科学は科学、されと真理に共通点あり

ただ、アインシュタインほか、少なくない科学者は、仏教が科学と似ている、仏教だけは宗教として認められるというような「お褒めの言葉」を述べていて、一部の仏教者や仏教ファンはそれを歓迎していますが、佐々木閑さんは、その立場を取っていません。

それは、科学の権威に基づく価値観であり、仏教は仏教、科学は科学なんだ、それぞれ全く別のものなんだというのです。

しかし、真理という点ではアプローチが違うだけで、共通することが少なくないかもしれない、という話です。

そのような違いと共通点を踏まえて、人はどうしたら絶望せずに生きられるのか。また、物事を正しく見ることがなぜ必要なのか、という哲学的な議論をお二人は真摯に行っています。

仏教と科学の真髄を突き合わせながら、人生の真理を考える。これほど、知的好奇心を刺激するテーマはありません。

私は、図書館で本書を借りて読みましたが、購入の価値はあるし、むしろ購入して手元に置きたい一冊だと思いました。

そういう哲学的なことはピンとこない、という方であっても、少なくとも、「お釈迦様の仏教ってなんだろう」「科学はどこまで大宇宙の真実を明らかにしたのたろう」という各分野の疑問についても、本書でコンパクトにまとめられているので、仏教と科学それぞれの最新情報と哲学を知ることができる贅沢な書籍です。

みなさんは、ご自身の「生きる意味」について、いつもどう考えられていますか。

以上、真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 (佐々木閑、大栗博司、幻冬舎新書) は仏教哲学者と宇宙物理学者による人生の意味や真理探求、でした。

真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 (幻冬舎新書) - 佐々木 閑, 大栗 博司
真理の探究 仏教と宇宙物理学の対話 (幻冬舎新書) – 佐々木 閑, 大栗 博司

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