堤清二 罪と業最後の「告白」(児玉博著、文春文庫)は、第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した作品です。

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堤清二 罪と業最後の「告白」(児玉博著、文春文庫)は、第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した作品です。

堤清二 罪と業最後の「告白」(児玉博著、文春文庫)は、第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)を受賞した作品です。セゾングループの総帥だった堤清二が死の1年前、父・康次郎氏そして弟の義明との関係をじっくり振り返った一族の物語です。(文中敬称略)

堤清二 (つつみ せいじ、1927年〈昭和2年〉3月30日 – 2013年〈平成25年〉11月25日)は、日本の実業家、詩人、作家、文化活動家として幅広い分野で活躍した人物です。

西武グループの中核企業である西武百貨店(現・そごう・西武)のトップとして、小売業や都市開発の改革を推進する一方、「辻井喬(つじい たかし)」という筆名で詩作や小説を発表し、戦後日本の文化や社会に大きな影響を与えました。

本書は、清二が月刊『文藝春秋』の連載、『堤清二の「肉声」』に、児玉博が大幅に加筆したものです。

加筆部分も、著者の児玉が清二に、10時間以上も聞き取りを行った文章化したそうです。

その中で語られた堤家の物語は、愛憎と確執に満ちた肉親相食む世界です。

父・堤康次郎は、いうまでもなく西武グループの礎を築いた実業家で、国会議員もつとめました。

その一方で、「ピストル堤」として、かなり強引な手法による女性関係も派手な人でした。

本書によると、清二ら7人の兄弟姉妹の母親だけで4人、そのうち2人とは入籍をしなかったといいますが、それはわかっている数であり、実際には「100人を超える」(wikiより)という数字もあります。

お手伝いさんから女子社員、部下の妻、看護婦、マッサージ師、乗っ取った会社の社長夫人、秘書、別荘管理人、旧華族、女優など、社員たちの言葉の端にのぼっただけでも手を付けた女性は数知れず、その後始末は部下の仕事だったとか。

清二の母・操の姉妹とも関係を持ち、それを操も承知するという異常な環境で、清二や異母弟の義明らは、静かな“狂気”を身の内に育まざるをえなかったと本書には書かれています。

ただ、100人を超える子どもの中では、清二と、後継者になった義明は、かわいがられたようです。

康次郎と離れたくて地方の大学に行こうとした清二に、「自宅から通える東京の大学にしてくれ」と願ったり、「絶縁宣言」を行ったのに、元共産党員に病み上がり(肺結核)で就職先もなかった清二を、衆議院議長である自分の秘書に雇うなどしました。

そんな、「父との確執と、父への理解」が描かれています。

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共産党員の経営者として


堤清二は、堤康次郎の長男として生まれました。

裕福な家庭環境に育ちながら、前述のように父との関係は複雑で、若い頃から父の実利主義的な性格に違和感を抱き、自分の道を模索。

それが東京大学入学後、日本共産党入党につながります。

東京大学には、日本共産党細胞(地域・職場・学校などの党員の集合体)があり、堤清二は、のちの日本テレビ放送網会長・氏家齋一郎から入党を勧められます。

そこには、読売新聞会長に上り詰めた渡辺恒雄、日本共産党議長になった上田健二郎(不破哲三)、映画監督の山田洋次など、錚々たるメンバーがいました。

その頃、日本共産党は路線対立があり、そのあおりで、氏家、渡辺、堤らは党を除名されます。

この党は、お家芸の除名をしていなかったら、人材の宝庫で、日本社会もまた別の形があったかもしれません。

東京大学に入るぐらいですから、父康次郎からは期待されながらも、文学や芸術への情熱を深め、感性豊かな青年期を過ごしました。

西武グループを、異母弟の義明がついだのは、権力闘争ではなく、清二が放棄したからだそうです。

事業の手法や女性関係の「ピストル」は、たしかに義明が受け継いでいるかもしれません。

清二は、後に中央大学で経済学博士の学位を取得し、康次郎ー義明とは異なる経営哲学と手法で経済界でも活躍します。

清二が父から譲り受けたのは、小佐野賢治から買い取った木造百貨店だけでしたが、それを西武百貨店として発展させました。

当時の百貨店は中高年向けの高級路線が主流でしたが、堤は若者や新しいライフスタイルを重視したマーケティング戦略を打ち出しました。

地域の再生という意識も持ち、渋谷や池袋などは「文化と消費」の拠点に変革し、パルコや無印良品などのブランドを立ち上げ、若者文化を牽引しました。

流通業を近代化させ、小売業における効率化や国際化を推進しました。

清二は西武百貨店を中心に「セゾングループ」を形成。百貨店、スーパー(西友)、金融(クレディセゾン)、出版(リブロ、現カルチュア・コンビニエンス・クラブ)など多様な業種を展開し、日本最大の流通グループを築きました。

そして、社内の組合は、労使協調ではなく、対立型の組合を作りました。

御用組合よりも、会社に物申す方が、結局は会社には有意義であると考えたわけです。

清二の「革命分子」時代の思想が、昇華したとも言えるでしょう。

セゾン美術館(現在は閉館)を設立し、アート活動を支援しました。

若い芸術家や文化人に機会を提供し、戦後日本の芸術・文化シーンを活性化させました。

バブル時代の失敗で、グループ企業は切り売りされ、崩壊してしまいましたが、その多くは現在も「文化と消費」でわたしたちの暮らしに貢献しています。

満たされない心は文学に


堤清二の、もうひとつの顔は作家・文学者の「辻井喬」です。

『虹の岬』『風の生涯』『彷徨う日常』など、高く評されている作品がありますが、それらは社会や時代の矛盾、個人の孤独感、父との葛藤などをテーマにした作品ばかりです。

共産党除名という挫折。それを遡れば、そもそも父親の庶子(のちに婚姻純正)という「ほしのもと」が、その根底にあります。

清二が子供の頃、康次郎は、たまに性欲を満たしに家にやってきて、事が済むとまた帰っていったそうです。

御伽の間、その両脇で寝たふりをしていた、清二とその姉はどんな思いだったでしょう。

最後はコケたとはいえ、セゾングループをなした人でも、どうしても心の闇を解決することはできずに、文学に活路を求めたわけです。

いまでも「親ガチャ」を否定する人はいますが、人生はやはり「ほしのもと」から始まると私は思います。

西武百貨店、西友、セゾンカード、パルコ、ファミリーマート、無印良品、セゾン自動車保険……利用されていますか。

堤清二 罪と業最後の「告白」 (文春文庫) - 児玉 博
堤清二 罪と業最後の「告白」 (文春文庫) – 児玉 博

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