
東京スタジアムがあった: 永田雅一、オリオンズの夢(澤宮優著、河出書房新社)は永田ラッパの愛称でも知られた永田雅一の話です。映画会社・大映の社長であり、プロ野球球団のオーナーであり、かつパ・リーグの初代総裁だった人です。(文中敬称略)
永田雅一(ながたまさいち、1906年1月21日~1985年10月24日)は、大言壮語の語り口から永田ラッパの愛称でも知られました。
映画の大映では、『羅生門』のヴェネチア国際映画祭グランプリ受賞(1951年)や、国際的に名声を得た大作をいくつも手掛ける最大手の邦画会社だったのに、一方で、山本富士子、田宮二郎など自分が育てた俳優を五社協定で追放して、結局大映は倒産。
野球では、私財を投げ売って東京球場を作る一方、優勝監督の西本幸雄を辞任に追い込んだり、現場介入も行ったりして、結局は球場も球団も手放すことになりました。
でかいことをやり遂げる一方で、問題も残したこれほど浮き沈みの多い人生もないでしょう。
しかし、プロ野球球団、および東京球場、映画配給会社・大映などのオーナーをつとめたことは、戦後のエンターテイメントの歴史においてこの人抜きには語れないほどの爪痕を残しました。
西鉄ライオンズが、黒い霧事件で戦力を落としてからは、西本幸雄監督率いる阪急ブレーブスや、東京オリオンズがパ・リーグの覇権を争いました。
— 戦後史の激動 (@blogsengoshi) January 26, 2025
大映映画が、数々の名作やスターを生み出したことも事実です。
「妻は告白する」61年大映。監督増村保造。非常に上手い映画だ。あらゆる面でのレベルが高い。若尾文子は決して悪女ではない印象。ザイルの件は同じ選択をしたと思う。女性が行き着くところまで行くとあの様なラストを選択するのかもしれない。野村芳太郎の「疑惑」を思い出した。#若尾文子 #大映 pic.twitter.com/A7ZapEPFSS
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その中で、本書は東京球場にフォーカスしています。
地域球団の先駆者
東京都荒川区に1962年に建設された「東京スタジアム」は、当時最新鋭の設備を誇る球場で、当初は「野球専用スタジアム」として設計されました。
永田は、このスタジアムを通じてプロ野球の新たな時代を切り開こうとしました。
スタジアムを本拠地とした、東京オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)は、他球団が親会社名をいれるところに「東京」という地域名を入れ、自前の球場とともに、地域球団を目指したのです。
当時は、セ・リーグの広島ぐらいしか市民球団がないときですが、現在のプロ野球は、ほとんどの球団が地域名を入れており、その先見性はすばらしいものだと思います。
しかし、経営的困難や都市開発の波に押され、東京スタジアムは1972年に閉鎖されることになります。
晩年は、野球以外の興行にも開放しました。
たとえば、あのアブドーラ・ザ・ブッチャーの初来日時、ジャイアント馬場とインターナショナル選手権を行ったのも東京球場です。
球場なら、万単位、少なくとも何千人もの観客を収容できます。
プロレスのメッカ、後楽園ホール(収容1600人)では、入りきれないドル箱カードだったのでしょう。
※ブッチャーの日本マットデビュー戦。ジャイアント馬場に横蹴り、回し蹴り、返し蹴り、目つぶし、そして最後は、毒針エルボードロップで何とピンフォールしたのだ。まさに鮮烈デビューだった。まだ白いステテコを履き、スリムだった(笑)この試合を報じた東スポである。 pic.twitter.com/C2KXaaekxE
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「殺人台風」という異名がすごいですね。
池上本門寺の墓閥
日蓮宗総本山・東京大田区の池上本門寺は親しかった著名人同士の墓が集中的に建っている。力道山、永田雅一、児玉誉士夫、町井久之、大野伴睦、東スポ社長立川家。保守政治家・右翼・裏社会・マスコミのつながりが公然としており永田雅一もその一人だと墓閥を以て自ら証明。https://t.co/1SYn2aUPB1 pic.twitter.com/7mNkRAAtrU
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Wikiの「永田雅一」によると、永田雅一は、「戦後、河野一郎や岸信介との交流から、一時政界のフィクサーとなっていた時期があった。特に警職法改正で閣内が分裂した際に当時の岸首相が大野伴睦に対してされたとする政権禅譲の密約を交わした際に萩原吉太郎、児玉誉士夫とともに立会人になったとされている。」と書かれています。
日蓮宗総本山・東京大田区の池上本門寺には、親しかった著名人同士の墓が集中的に建っています。
力道山、永田雅一、児玉誉士夫、町井久之、大野伴睦、東スポ社長立川家……。
つまり、ヒーローレスラー力道山を含め、保守政治家・右翼・裏社会・マスコミという、“裏で支配層を支え動かす人々”のつながりがすでに公然としており、永田雅一もその一人であると墓閥をもって自ら証明しているのです。
では、永田雅一が、根っからの右翼・反動思想だったかというと、そうではなく、Wikiには、青年期には「英雄主義的な気持ちから次第に社会主義にかぶれていった」とあります。
もちろん、英雄主義=社会主義者ではありません。
ただ、読売の渡辺恒雄さんも、かつては日本共産党党員であったように、「英雄主義」のあらわれとして、青春時代に「反体制」に憧れるパターンはよくある話なのです。
大映がつぶれる直前、永田は、関根恵子と篠田三郎のコンビを売り出そうと、お互いが好きなのに結婚できない「家制度」に翻弄される男女高校生の苦悩を描く革新的な作品を作っています。
以前ご紹介しましたが、『成熟』という映画です。
結局、永田は社会主義者の思想はまっとうしなかったわけですが、歴史に爪痕を残すような人は、社会を変えたいという大きな夢を持って生きていることがよくわかります。
大映が制作・配給した有名な作品をいくつか挙げると、
羅生門(1950年)雨月物語・地獄門(1953年)山椒大夫(1954年)蝶々夫人(1954年)赤線地帯(1956年)雪国(1957年)鍵(1959年)悪名・釈迦(1961年)しとやかな獣(1962年)大怪獣ガメラ(1965年)白い巨塔(1966年)盲獣(1969年)座頭市シリーズ(1962年~)大魔神シリーズ(1966年~)、制作会社になってからは、『ダイナマイトどんどん』(1978年)などなど。
京マチ子、若尾文子、山本富士子、市川雷蔵、勝新太郎、田宮二郎、川口浩、川崎敬三、本郷功次郎……
私は東宝ファンですが、こうしてみると大映も随分見ています。
大映映画は、ごらんになったことありますか。



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