池田清彦著『正直者ばかりバカを見る』(角川新書)は、生物学者である著者が社会に対して率直な意見を述べるエッセイです。

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池田清彦著『正直者ばかりバカを見る』(角川新書)は、生物学者である著者が社会に対して率直な意見を述べるエッセイです。

池田清彦著『正直者ばかりバカを見る』(角川新書)は、生物学者である著者が社会に対して率直な意見を述べるエッセイです。本書では、原発問題、大麻、ガン治療、沖縄問題など、現代社会で議論の的となるテーマについて、著者独自の視点から鋭く切り込んでいます。

本書は、社会評論的エッセイですが、要するに、ずるくてギスギスした現代社会の不寛容さ、SNSの一部投稿のバカさ加減さを嘆いています。

それらは、感覚や価値判断で書いているのではなく、科学者として、データや実際の事件など、ファクトを根拠にしているのか特徴です。

Amazon販売ページに、目次の主な部分が公開されています。

あらゆる形の入院が認知症を作っている
イヤイヤやらされるボランティアは迷惑である
大麻取締法は憲法違反の悪法である
種の保存法は標本破壊促進法である
原発がなくても電力は不足しない
風力と太陽光は全くエコではない
むやみな理解や共感は平和にとって逆効果である
この世に絶対的な価値基準など存在しない
etc.

著者の池田清彦さんは、以前もご紹介したことがあります。


私にとって同意できる点が多かったのて、またご紹介します。

その中から、とくに印象深いものをご紹介します。

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小保方晴子騒動


小保方晴子著「あの日』(講談社)がベストセラーになったことを受けて、「小保方氏を擁護する人々」について述べています。まずは本書から……

「小保方氏が作成したと称する細胞がインチキだったことは、科学的にははっきりしているわけで、細胞を作成してみせない限り、何を言っても科学的にはゴミに等しいのだ。インチキをしたのは自分ではなくて、若山教授だとも主張しているらしいが、もし本当にそうであれは、裁判を起こして身の潔白を証明すればいいわけで、一方的な手記など何の意味もない」

全くそのとおりです。

が、ここまでなら、見識ある人なら誰でも言えるわけで、ここから先、なぜそのような「オボちゃんがかわいそう、オボちゃんを信じる」という「世論」が生まれたかを、現代政治と結んで考察しています。

内容を要約します。
————————-
20世紀半ばまで、科学技術は人々の憧れと賞賛の対象であり、生活を豊かにし経済成長の原動力となった。

そのため、科学的正当性が権力の道具となり、事実と矛盾しても政策が撤回されにくい構造が生まれた。

例えば、ダイオキシン問題では科学的に安全と判明した後も規制が撤廃されず、特定の企業が利益を得る結果となった。

地球温暖化や原発推進も、科学的根拠が疑問視されながらも、利権と結びつき政策が継続された。福島原発事故は「安全神話」の崩壊を示したが、再稼働が進んだ。

こうした背景の中で、科学者への信頼が低下し、世論が直感や感情論に流されやすくなった。
————————————-
本書では、「オボちゃん」擁護をこう結んでいます。

「専門家の意見など無視しても自分の直感を信じたいという人々の一部が、小保方氏の肩を持っことに躊躇しなくなったのである。小谷野敦は「ネット社会の最大の間題はバカが意見を言うようになったことだ」と喝破したが、この風潮が科学的言説にまで広がってきた背景には、科学(科学技術)の権威が地に堕ちて、科学的事実を装ったウソが横行していることが大いに関係している。バカな人はキッチュなコトパもてあそを弄んで「バカと言う奴が一番バカ」などと言って気取っているが、バカと言っても言わなくてもバカはバカなのだよ。」

STAP細胞に関しては、アメリカで特許が取得されたという情報をネット上で取り沙汰され、それを真に受けている人もいるようですが、特許は特定の技術の独占権を主張するためのものであり、STAP細胞の存在を証明するものではありません


それにしても、

「ネット社会の最大の間題はバカが意見を言うようになったことだ」

まさにこれは、昨今の諸問題に対する、SNSの感情的な投稿につながっていますね。

もちろん、言論の自由はありますが、法律も道徳も論理も無視して、自分の都合の良い「言説の切り抜き」をどこからかコピペしてきて、思い込みだけで突っ走っちゃう投稿が後を絶ちません。

では、せっかくいろいろな意見を戦わせることができるネットで、なぜ異論反論から学ばないのか。

事実と向き合えないのか、打たれ弱いのか、批判を受け入れられないのか。

池田さんは、その点にも触れています。

付和雷同に逃げ込むネット民

「世界中の人々が戦争を起こさずに平和で暮らすためには、お互いに相手のことをよく理解する必要があるといった言説が、あたかも自明であるかのように語られることが多いが、こういうことを言っているうちは、戦争はなくならない」

「あなたの言うことは理解できないが、私に危害を加えない限り、共存するに吝かではないよ」という態度こそ、紛争や戦争を起こさない最も効果的な方法だと思う。むやみに共感して付和雷同することの、真逆の能力だ。」

自分を否定されるぐらいなら、いい加減な付和雷同に逃げ込んでしまおう。

それがだめだということです。

つまり、意見が違うなら違うでいい。

自分も相手も否定せず、お互いの見識を尊重しあい、他者を受け入れる心の広さが、真の知力だと言っています。

もちろん、自分のためになることなら、ありがたく受け入れたほうがいいですよ。

しかし、現代のネット民は、異論反論のコメントが入ると、すぐ自分の人格が否定されたように過剰に受け止める。

だから、こういうブログでも、自分を絶賛するコメントしか受け付けない。

それではバカのままだというわけです。

なお著者は、「本当の意味での国力は、国民の知的能力の高さによって決まる」といいます。

軍備をするとかしないとか、憲法を守るとか改憲するとか、そういう議論のためにはまずもっと賢くなれよ、という意味が込められているのかなと思いました。

ということで、最近は彼女の「第二の人生」や結婚報道まであり、未だにファン=擁護者の多い小保方晴子さん騒動ですが、いかが思われますか。

私は、「バカ」が騒ぐ限り、彼女の不祥事は不祥事として科学的にははっきりさせておくべきと思いますが(シ人も出ますからね)、私生活については、いつまでも追いかけないでそっとしとけよ、と思っています。

正直者ばかりバカを見る (角川新書) - 池田 清彦
正直者ばかりバカを見る (角川新書) – 池田 清彦

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