御木本幸吉など、人生晩年も活躍するを紹介しているのは『人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力』(前坂俊之著、日経BP 日本経済新聞出版)

この記事は約5分で読めます。
スポンサーリンク

御木本幸吉など、人生晩年も活躍するを紹介しているのは『人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力』(前坂俊之著、日経BP 日本経済新聞出版)

御木本幸吉など、人生晩年も活躍するを紹介しているのは『人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力』(前坂俊之著、日経BP 日本経済新聞出版)です。年齢を重ねて、さらに輝きを増す生き方とはどのようなものか。偉人たちの生き方からそれを考察しています。(文中敬称略)

「人生100年時代」を迎えるにあたり、シニア世代となってから、私たちはどう良く生きるか。

本書は、老齢となっても活躍した人々のドラマを、オムニバス形式で描きます。

今回は、御木本幸吉(みきもと こうきち、1858年3月10日(安政5年1月25日) – 1954年(昭和29年)9月21日[1])にフォーカスします。

俳優のような名前ですが、江戸時代から昭和まで、長きにわたって活躍した実業家です。

世界で初めて養殖真珠の生産に成功し、そのブランド化(ミキモトパール)などで成功した人物です。

スポンサーリンク

45歳で真珠の養殖に成功


御木本幸吉は、志摩国答志郡鳥羽城下の大里町(現在の三重県鳥羽市鳥羽一丁目)で。代々うどんの製造・販売を営む「阿波幸」の長男として生まれました。幼名は吉松。

小さい頃から両親の苦労を見て育ったので、1杯8厘のうどんで財産を築くのは無理とさとり、14歳で家業の傍ら青物の行商を始め、商売において常に新しいアイデアを模索していました。

1878年(明治11年)には20歳で家督を相続、御木本幸吉と改名します。

ちょうどその歳の3月、東京、横浜への旅により、天然真珠など志摩の特産物が中国人向けの有力な貿易商品になりうることを確信、海産物商人に転身したことが、後の真珠王へのスタートとなります。

幸吉の住む伊勢志摩地方は、古くから真珠の産地として知られており、天然真珠が特産品です。

しかし、天然真珠は、文字通り自然の産物ですから供給が不安定でした。

そこで幸吉は、真珠を人工的に生産する方法があれば、より多くの人々がその美しさを楽しめると考えました。

1888年、30歳になった幸吉は、20歳の時に結婚した妻のうめと共に、本格的に真珠養殖の研究を開始しました。

うめは、鳥羽藩士族・久米盛蔵の娘で才女であり、頭脳面でも起業家・幸吉の良きパートナーだったそうです。

時代は明治になったため、公然としていた身分格差が緩み、結婚できるようになったのです。

1890年(明治23年)、幸吉は東京帝国大学の箕作佳吉教授と当時大学院生だった岸上鎌吉をに訪ね、学理的には養殖が可能なことを教えられ、試行錯誤を繰り返しながらも前向きに取り組みました。

絶滅寸前だった真珠を作るアコヤガイを養殖し、1893年には半球状の養殖真珠の生産に成功しました。

その後も研究を続けた幸吉は、1905年には、真円真珠の養殖にも成功します。

さらに幸吉は、真珠を国内外で広めることに注力しました。

1904年にはパリ万国博覧会に真珠を出品し、その美しさと品質が世界的に評価されました。

以後、「ミキモト」の名前は真珠の代名詞となり、国際的なブランドへと成長していきました。

ミキモトパールは、世界の真珠市場の、なんと6割を占めるまでになったといいます。

それだけでなく、真珠養殖は伊勢志摩地方の重要な産業となり、地域経済の発展に大きく寄与しました。

また、彼の活動は、日本の他の沿岸地域でも真珠養殖が広がるきっかけとなりました。

御木本幸吉が築いた真珠養殖業は、現在も日本を代表する産業の一つです。

また、彼の経営理念や挑戦の精神は、後進の企業家や技術者に多くの影響を与えています。

「ミキモト」の名は、世界の宝飾業界で今も輝き続けており、幸吉の生き様と功績は永遠に記憶されるべきものです。

キーワードは改名、アイデンティティの否定ではない


御木本幸吉の転機は20歳で、キーワードは改名であると思いました。

何しろ、「身分違い」の妻と結婚したのも、家督を相続したのも、真珠をビジネスの対象と意識したのも、すべてその歳に改名してからですから。

御木本幸吉はたぶん、家督を相続した時、両親が一所懸命働いても暮らしが楽にならなかった今までの貧乏な御木本家を、結婚した自分が家長として変えるんだという決意のあらわれとして改名し、そこから「真珠をビジネスに」というひらめきにつながったのです。

私がこれまでご紹介してきた人生の成功者は、事情は様々ですが、数十年の人生の間に、たいてい苗字か下の名前が変わっています。

そして、成功者たちの多くは、本人の意図や自覚に関わらず、改名は人生のステップアップや、もしくは再スタートの象徴になっています。

字画が悪いからとか、そういう姓名判断ではないんですよ。

「自分が生まれ変わるんだ。人生の潮目を変えるんだ」というぐらいの大胆な決意表明として改名しているわけです。

私の経験ですが、読みだけですが改姓したことで、新しい人生が始まるような気になりましたが、以来祖先が少し明らかになって人生観が変わったり、40年遅れで学業復帰したりと、「前期高齢者」寸前の遅きに失したヨワイではありますが、いままで欲求不満だった人生が、自分なりに良い方向に開ける実感を得ています。

しかし、これからは戸籍にも「読み」が入るため、私のような「読み」の変更すら容易にできなくなります。

現在では、婚姻こそが唯一、姓を変えられる人生のビッグチャンスです。

クドいようですが、そんな素晴らしい機会を、「人格を否定」などと言い募る夫婦別姓推進者は、家制度を否定している私にすら理解できません。

1月には、立憲民主党が法案を出すそうですが、それがどうなろうとも、改名で人生や人格が失われるとか、そんなココロザシの低い話なんかしていないで、改姓を人生の飛躍の契機にしてやろう、ぐらいの前向きな気持ちを持たれてはどうかと思う次第です。

ミキモト真珠、お持ちですか。

人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力 (日本経済新聞出版) - 前坂俊之
人生、晩節に輝く 長寿逆転突破力 (日本経済新聞出版) – 前坂俊之

社会
スポンサーリンク
スポンサーリンク
シェアする
スポンサーリンク
市井の話題書厳選

コメント