学歴社会をネタにした、過激系教育バラエティYouTubeチャンネル「Wakatte.TV」によって、「学歴厨」による被害を訴える投稿が話題に

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学歴社会をネタにした、過激系教育バラエティYouTubeチャンネル「Wakatte.TV」によって、「学歴厨」による被害を訴える投稿が話題に

学歴社会をネタにした、過激系教育バラエティYouTubeチャンネル「Wakatte.TV」によって、「学歴厨」による被害を訴える投稿が話題になっています。最近X上で、政治学者の岡﨑晴輝氏が、学歴偏重の「学歴カルト」がトレンドになっているというのです。

保護者や進学校教員にまで、「大学名」で格付けをする学歴偏重の価値観が広がっているという話です。


学歴社会自体は、昔からいわれてきたことです。

しかし、内心で「うらやましい」とか「大したことない」とか思っても、公の場で直接特定の大学を叩くということはなかったと思います。

が、そんなYouTubeチャンネルが昨今ウケているというのは、結論から言うと、日本人の近年の傾向である「下をつくって叩く」ネトウヨ的な価値観の一環だと思います。

「外国人」「在日」「障害者」「生活保護受給者」「高齢者」など、ネトウヨは政治の不満の本質から目を背け、次々と無関係な生贄を作って叩いてきました。

何かを叩いてガス抜きして、自分の「下」を作って満足するという、ゲスなメンタリティです。

その「方法論」がとうとう、大学の知名度や難易度を対象とし始めたのです。

特定の大学を叩くことは、より難易度の高い大学の出身者や入学者だけでなく、大学に行ってない人にとっても自分のコンプレックスを慰めるものになっているようです。


しかし、そもそも「学歴」という言葉は、本来「どの学位を、どの分野で取得したか」を指すはずです。

つまり、大卒(〇〇学士)、大学院修士課程修了(〇〇学修士)、後期博士課程修了(〇〇学博士)というやつね。

ところが日本でいう「学歴」とは、いつの間にか「どの大学に入学したか」という「大学のブランド」にすり替わってしまっています。

なぜ、これほどまでに異様に「学校名」への執着が強いのでしょうか。

構造的な要因をマジレスで整理してみます。

なぜ日本人は学校名にこだわるのか


「メンバーシップ型雇用」と新卒一括採用
欧米を中心とする諸外国では、職務内容(ジョブ)を明確にしてそれに適したスキルや学位を持つ人を採用する「ジョブ型雇用」が主流です。そのため、専門スキルや高等教育を修めた証である「修士」や「博士」の学位が高く評価されます。

一方、日本の多くの企業は、「新卒一括採用」と「メンバーシップ型雇用」を採用してきました。

実務経験のない学生をポテンシャル(伸び代)で採用し、入社後に自社内で育成することを前提としているため、応募時点で「何ができるか(専門性・学位)」よりも、「どれだけ学習能力や努力できる素質があるか(ポテンシャル)」が判断基準になります。

その際、受験勉強という統一の試験を勝ち抜いた「大学の難易度(偏差値・ブランド)」が、もっとも分かりやすいシグナルとして使われてきた経緯があります。

学力・努力の「客観的シグナル」としての偏差値・受験制度
日本は諸外国に比べて受験制度(ペーパーテスト)の公平性と信頼性が非常に高く認知されてきました。

「難関大学に入学できた」ということ自体が、本人の意志の強さ、要領の良さ、競争を勝ち抜く能力を証明する客観的な指標として機能してきたため、取得した「学位の種類」よりも、「どの難関校に入れたか」というブランドが重視されてきた側面があります。

しかし、時代は変わりつつある

近年では、以下のような変化により「学位」や「専門性」を評価する動きも急速に広がっています。

入試の複線化によるポテンシャル評価の見直し
入学試験と言えば、本来は受験生がいっせいに同じ試験を受ける「公平」なものでした。

それが昨今は、「受験戦争緩和」や「少子化による囲い込み」などのために、一般選抜、学校推薦型選抜、総合型選抜、その他もろもろで7~8通りの選抜方法があります。

つまり、有名大学だからといって、必ずしも公平な競争を勝ち抜いた生徒が入学しているわけではないのです。

それによって、入学者に対する前述のような「ポテンシャル(学力的信用)」を必ずしも期待できなくなりました。

ジョブ型雇用への移行
終身雇用制がくずれ、大企業を中心に中途採用(キャリア採用)の比率が高まり、「どの大学か」よりも「何ができるか・どんな研究をしてきたか」が問われる機会が増加してきました。

大学難易度と入学者のポテンシャリティは必ずしもリンクしない

大学の難易度を、予備校が発表する偏差値で格付けすることは可能です。

ただし、実際の入学者のポテンシャルは、その格付とは必ずしもリンクしません。

私の知っている例でいえば、たとえば仏教学を研究したい人や、住職の息子などは、東大の印哲(インド哲学)か、宗門系の大学の2択しかありません。

しかし、宗門系の大学は一般の人はあまり行きませんから、定員割れのボーダーフリーのFラン大学もあります。

ということは、東大の入試を、たった1点でも足りなくて不合格だった人は、一気にそれより40近く偏差値の低い大学に入学する、という進路が現実にあり得るのです。

でも、宗門系の大学なら、大学院で十分な研究ができます。

立派な論文を書くほうが、知名度や難易度だけで決めた大学に入るよりも、結果的によほど社会のためにも自分のためにもなります。

もちろんこれは、他の学問分野にもいえます。

とくに、IT・先端技術分野(AI、バイオなど)での専門人材不足を考えると、理系はそれが切実であり、受験生には、「どの大学か」よりも、「何ができるか・どんな研究をしたいか」を大切にしてほしいと思います。

そして、話を戻すと、誰がどんな大学に入ろうが、「叩く」材料にするものではありません。


この長瀬智也さんのネトウヨ批判で締めたいと思います。

プロフィールの「大学名」で、人を格付けしたり比較したりすることはありませんか。

学歴狂の詩 (集英社ノンフィクション) - 佐川恭一
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