
同窓会(クラス会、同期会など含む)は、学校を卒業すると、必ずと言っていいほど誘いがあります。懐かしいという気持ちがないわけではなく、幹事のはからいに感謝しつつも、ではぜひ行ってみたいかと言うと、私は色々考えさせられる複雑な気持ちになります。
「【雑学】同窓会に行かない人の特徴」というYouTube動画には、私が考える「複雑」さがすべて枚挙されていて、なかなか興味深い内容だったので、ご紹介します。
今日の情報源です。
動画が枚挙する、「同窓会に行かない理由」をご紹介していきます。
「今」が十分に満たされているから
最も前向きな理由は、現在の生活が充実していることです。職場や趣味の仲間、ご近所付き合いなど、今の自分にはすでに心地よい人間関係が築かれています。
「昔は昔、今は今」と割り切れる人ほど、わざわざ過去の人間関係を掘り起こす必要性を感じません。 これは薄情なわけではなく、自分の中での優先順位がはっきりしている証拠でもあります。
過去の文脈に頼らなくても、現在進行形の付き合いだけで人生が十分に豊かであるなら、そこにエネルギーを注ぐ方が建設的だと感じるのは自然なことではないでしょうか。
「キャラ設定」からの解放
学生時代、クラスにはそれぞれの「役割」のようなものがありました。ムードメーカー、優等生、あるいはおとなしい子……。
大人になり、社会に出て、私たちは当時のキャラクターから解放され、全く新しい自分を生きています。
しかし、同窓会の会場に一歩足を踏み入れると、周囲は当時のイメージのまま接してきます。
成長した今の自分を見てもらいたくても、相手の記憶にある「昔の自分」とのギャップを埋める作業は想像以上に労力がいるものです。
「昔のまま」を期待される窮屈さ、あるいは変化をいちいち説明し、「変わったね」と値踏みされることへの抵抗感。 そうした「不毛な時間」を過ごすくらいなら、今の自分をありのまま受け入れてくれる人たちとの時間を大切にしたいと思うのです。
マウンティングと「比較」の疲れ
同窓会で避けられないのが近況報告です。
職業、年収、住まい、既婚か未婚か、子供の有無……。
単なる報告であれば良いのですが、そこにはどうしても「品定め」のような空気が漂います。
誰かの成功話に追従したり、教育熱心さをアピールし合う会話の裏に潜む競争心。
人の価値を肩書きや数字といった「他人の物差し」で測られることへの嫌悪感は、今の自分に自信がない場合に限らず、自分のペースで生きている人にとっても大きなストレスとなります。
表面的な成功談の下にある本当の悩みや葛藤は語られず、ただ見栄を張り合うだけの場に、わざわざ足を運ぶ意味を見出せないのです。
資源(時間とお金)のシビアな選択
現実的な視点として見逃せないのがコストの問題です。
会費、交通費、二次会まで含めれば、一回の同窓会で1万6000円ほどの出費になることも珍しくありません。
その金額があれば、家族で美味しい焼肉を食べに行けるかもしれない。
欲しかった本や参考書が買えるかもしれない。映画を3本観て、美容院にも行けるかもしれない。
「ケチ」と言われればそれまでですが、限られた収入と時間を何に使うかは、その人の価値観そのものです。
また、貴重な休日の使い道としても同様です。
往復の移動や会合の時間を含めれば、週末が丸つぶれになってしまいます。
翌日に残る疲労まで考えれば、その時間を子供と公園で遊んだり、溜まった本を読んだりする「休息」に充てたいと考えるのは、生活を守るための切実な判断と言えます。
デジタル時代の距離感
かつては、同窓会こそが旧友の消息を知る唯一の手段でした。
しかし今はSNSがあります。
InstagramやFacebookを見れば、誰がどこでどんな暮らしをしているか、なんとなく分かってしまう時代です。
結婚や転職の報告もリアルタイムで入ってきますし、コメント欄での軽いやり取りで人柄の変化も感じ取れます。
「オンラインで緩く繋がっている」くらいの距離感が、実はお互いにとってちょうどいい負担感なのかもしれません。
会いたくなれば個別に連絡を取ればいい。そうでないなら、その程度の関係で満足している。 デジタルで事足りている情報を、わざわざアナログな場で再確認する必要性を感じないというのも、現代ならではの理由でしょう。
大人数というストレス
そもそも「大勢でワイワイガヤガヤ」という場が得意ではない人にとって、同窓会は苦行になりかねません。
あちこちで会話が同時進行し、誰と話せばいいのか分からないまま笑顔を作り続ける時間は、とてつもなく消耗します。
特に、お酒が絡む場特有の「大きな声」や「無神経な会話」が苦手な人にとって、シラフでそのノリに付き合うのは想像以上の苦痛です。
本当に大切な友人とは、同窓会という形式ばった場ではなく、少人数でじっくりと語り合いたい。
「広く浅く」よりも「狭く深く」、質の高いコミュニケーションを求める人にとって、同窓会はあまりにも雑多すぎるのです。
過去より未来へ
結局のところ、同窓会に行かないという選択は、過去を否定しているわけではありません。
ただ、「過去の延長線上」ではなく、新しい人生のステージを歩んでいるという感覚が強いのだと思います。
卒業アルバムは押入れの奥にしまったままでいい。 無理に関係を復活させるのではなく、自然と続いているご縁や、今ある環境での出会いを大切にする。
後ろを振り返るよりも、未来に向かって歩きたいという前向きな意志が、「欠席」という丸印には込められているのかもしれません。
もし、手元のハガキを見て迷っている方がいたら、ご自身の心の声に耳を傾けてみてください。「義理」や「世間体」ではなく、今のあなたが心から大切にしたいものは何か。その答えが「行かない」であったとしても、それは決して後ろめたいことではないのです。



コメント