
早稲田大学を卒業しながらも、東京大学文科一類への合格を目指して9回にわたって受験を続けた男性の半生を描いた記事が、いま話題になっています。週刊SPA!の記事がYahoo!トピックスに取り上げられ、多くの反響を呼びました。
記事で紹介されているのは、楊木田英輝(よのきだ・ひでき)さんという45歳の男性です。世間一般の感覚でいえば、早稲田大学卒というだけで十分に「高学歴」に分類されるでしょう。しかし、彼はそれでもなお「東大」にこだわり続け、9浪という選択をしました。なぜそこまで特定の大学に執着したのか。その理由として語られたのが、自身の「家柄」と「家族史」でした。
あらかじめお断りしておきますが、自分の人生を決めるのは、最終的には自分しかいません。
ですから、ここで楊木田さんの生き方を◯か×かで採点するつもりはありません。この文章は、あくまで私自身がこの記事を読んで感じたこと、人生観や社会の現実についての個人的な考察です。どうか、その前提で読んでいただければと思います。
楊木田さんが語った「東大にこだわった理由」
今日の情報源です。
東大文Ⅰに「9度」挑み、敗れた男を直撃。早稲田卒の45歳男性が学歴に固執した“まさかの理由” https://t.co/htYuokADyu #SPA!
— 週刊SPA!・日刊SPA!・MySPA! (@weekly_SPA) January 8, 2026
楊木田英輝さんが、なぜ東大にこだわったのか。
楊木田さんが東大に強くこだわった理由は、親族の過去にありました。
祖父は、教員から学業の才能を高く評価されながらも、「農家に学問は不要だ」という親族の反対に遭い、進学を断念。結果として精神科の看護師として働いたといいます。
母親は関西大学に進学できる学力を持っていながら、「自宅から通える大学」という理由で別の進路を選びました。
父親もまた、経済的事情により和歌山大学への進学を諦めざるを得ませんでした。
楊木田さんは、自分には勉学の才能があり、努力できる環境にも恵まれていた。そのため、「親族が果たせなかった分まで、自分が東大に行かなければならない」という強い使命感を抱くようになったそうです。
さらに彼は、「楊木田」という姓が平家の末裔である可能性が高く、日本に数名しかいない希少な名字であることにも言及しています。
つまり、「家柄」と「親族の無念」を背負い、自分は立身出世すべき存在なのだと考えた、というわけです。
親族の無念を自分の原動力にする。そうした生き方そのものを否定するつもりはありません。それもまた、一つの人生の選び方でしょう。
ただ正直に言えば、精神科の看護師という仕事に就いた祖父の話を聞いた当事者が、「人の職業を、まるで滑り止めのように扱うな」と感じたとしても不思議ではない、とも思いました。
また、母親が「自宅から通える大学」に進学した事実を、いつまでも「関西大学に行けたはずなのに」という未完の物語として語り続ける感覚にも、私は少し違和感を覚えました。
その背景にあるのは、やはり根深い学歴のブランド信仰ではないでしょうか。
失われた時間と機会
もちろん、学歴を人生の生きがいにすること自体を否定するつもりはありません。
ただ、9浪という選択によって、社会人として社会に関わり、経験を積み、何かを生み出すはずだった時間と機会が、確実に失われているのも事実です。
浪人した分だけ、定年や老い、寿命が延びるわけではありません。
時間は誰にとっても等しく有限です。
もしそこまで「家柄」を大切に考えるのであれば、早く大学を卒業し、仕事を通じて実績を積み重ねる方が、結果的に「家」の名に資するのではないか。そんなふうにも思えてしまいます。
失礼ながら、この記事を読んで私には、楊木田さんが「家制度」と「日本型学歴社会」の双方に縛られた犠牲者のようにも見えました。
日本人の特異な「学歴」主義
学歴社会そのものは、日本に限った話ではありません。
ただし、日本とアメリカでは、その意味合いが大きく異なります。
アメリカでは、高校、大学、大学院と進むごとに、学修段階が上がり、能力や専門性を高めていく「学位のキャリアアップ」として捉えられます。
より高い教育環境へ進むことは、自己研鑽の延長線上にあります。
一方、日本では「学歴」という言葉が、しばしば学位ではなく「学校名のブランド」を指します。極端に言えば、
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有名高校卒 > 無名大学卒
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有名大学卒 > 無名大学院修了
といった倒錯した価値観が、今なお根強く残っています。
しかし、日本の高等教育も確実に変わりつつあります。
かつては「大学は入るのが大変で、出るのは簡単」と言われましたが、現在は授業数も増え、出席や参加態度も厳しく評価されるようになりました。
少子化によって、学生一人あたりの教員数も増え、大学名に関わらず、学位に応じた能力を身につけやすい環境が整いつつあります。
すべてを犠牲にして難関大学に入っても、燃え尽き症候群や歪んだプライドを抱えたまま、精神年齢が19歳で止まり、社会に適応できない人も現実には存在します。
人生は、大学合格で終わりではありません。
だからこそ、私は時間と機会をどう使うかを、大切にしたいと思うのです。
人生色々ですが、みなさんは、志望校への大学受験合格のために、9年間時間を使いますか。


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