「ほとけさま」は日本では亡くなった人を指しますが、語源は仏教の「ブッダ(仏陀、覚者・悟った者)」であり意味が違うんです。

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「ほとけさま」は日本では亡くなった人を指しますが、語源は仏教の「ブッダ(仏陀、覚者・悟った者)」であり意味が違うんです。

「ほとけさま」というと、日本では亡くなった人を指します。しかし、語源は仏教の「ブッダ(仏陀、覚者・悟った者)」であり意味が違います。なぜ、その違いが生まれたのか。それは浄土教(浄土宗・浄土真宗)と神仏習合、檀家制度といった日本仏教の独自性によります。

きのうから、池上本門寺は恒例の御会式(おえしき)が始まっています。

日蓮宗の開祖・日蓮の命日(10月13日)にあわせて、毎年10月11日~13日の3日間にわたり行われる伝統行事です。

クライマックスは、12日の夜、「お逮夜(たいや)」といって、全国の日蓮宗傘下のお寺の檀家が集って、「万灯練供養(まんどうねりくよう)」が実施されます。

各寺ごとに、和紙で作られた桜の花などで飾られた百数十基の万灯(まんどう)が、団扇太鼓や鉦(かね)のお囃子、そして火消し由来の「纏(まとい)」とともに、徳持会館という地元の町内集会場から池上本門寺まで、約2kmの道のりを練り歩きます。

たんなる一宗派の行事を越え、池上という町全体で盛り上げる行事で、「一晩で約30万人の参拝者」(GoogleAI)で賑わうといわれています。

何しろ、国道一号線につなかっている池上の公道は、すべて全国からやってくる檀家の臨時駐車場になります。

当然、その間は道路は通行止め。警察がチェックしています。

その道沿いに家がある人は、自家用車でも出入りできなくなります。

「追善供養」と「報恩感謝」

さて、日本でいう「ほとけ」と、仏教の「仏」は、実は意味が違います。

私たちは、「ほとけ」というと、亡くなった人全般を指します。

刑事ドラマで、亡くなった被害者を「ほとけさん」なんて言ってますよね。

私たちが、年忌法要で、亡くなった人を供養するのは「追善供養」といいます。

故人の霊を慰め、成仏へと導くための供養です。

その語源は仏教ですが、本来、仏教における「仏」とは、あくまで「覚った人」のことです、

つまり、煩悩を捨てされた人のことです。

亡くなったからと言って仏になれるわけではありません。

そして、冒頭の御会式は、日蓮の命日の行事ですが、それは後者の意味での行事です。

ですから、「追善供養」ではなく「報恩感謝」の儀式といわれています。

それは、日蓮が、たんに「亡くなった人」ではなく、生前に法華経の真理を覚知・体現した「覚った人」とされているからです。

つまり、御会式は命日ではあっても、死者の成仏を祈る法要ではありません。

すでに覚りを開き、法を遺して入滅した宗祖に対し、弟子や信徒が感謝を捧げる「報恩謝徳(ほうおんしゃとく)」の儀式です。

つまり、私たちが使う意味での「ほとけ」ではなく、仏教的な意味での「仏」という違いがあります。

先日、Facebookで、御会式を「お祭り」と書いた人に対して、「法要に対して不謹慎」なんて知ったかぶったコメントがあったのですが、「追善供養」ではなく「報恩謝徳」ですから「お祭り」でいいのです。

浄土教、神仏融合、檀家制度によって確立

ところで、どうして「仏」の意味が、「覚った人」から「亡くなった人」に変容したのでしょうか。

日本で死者を「仏(ほとけ)」と呼ぶ観念は、平安時代中期の浄土信仰を端緒とし、室町時代末期(16世紀頃)には日常語として定着、そして江戸時代の檀家制度によって国民全体に決定づけられたといわれています。

鎌倉時代、浄土教(浄土宗、浄土真宗など)が広まりましたが、浄土教では亡くなった人は「往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)」といって、「阿弥陀仏を信じて極楽浄土へ往生すれば、誰でも仏になれる」という信仰が貴族から庶民へ浸透します。

ここで、「人が死ぬこと」と「仏になること」が同義として結びつく土壌が生まれました。

一方で、鎌倉時代の新宗派である禅宗(臨済宗、曹洞宗など)の普及に伴い、遺族が法要を営んで故人を成仏へ導く「追善供養」という教えも定着します。

そうした混沌とした死後観は、日本古来の「死者は一定期間を経て清まり、家の守り神(祖霊)になる」という在来信仰(神道)と、「供養されて仏になる」という仏教の枠組みの融合で、「亡くなった人」は「ほとけ」と呼ぶ文化が浸透しました。

さらに、江戸時代になって、幕府がキリシタン禁制のために導入した寺請制度(檀家制度)により、全庶民が特定の寺院に所属することが義務づけられました。

寺院が民衆の戸籍管理と葬送を一手に担い、「人が死ねば戒名(法名)を授かり、寺の儀礼を通じて成仏して『仏』となる」というシステムが社会制度として固定化され、現在使われている「仏様=亡くなった人」という等式がここで揺るぎないものとなりました。

本来は、厳しい修行による「覚醒」を意味した概念が、日本在来の死生観(死者をいたみ、祟りを鎮め、やがて祖霊として祀る心性)を受容する過程で、「死者そのものへの尊称」へと意味を変容させたと言えます。

ただし、お会式のように、本来の仏教が意味する「覚った人」という概念が消え去ったわけではなく、2つの意味が現在は混在して使われています。

みなさんの地元の日蓮宗系寺院では、日蓮の「報恩感謝」の儀式は行われますか。

眠れないほどおもしろい「日本の仏さま」: 同じようで、一体どこが違うのか? (王様文庫 A 65-14) - 並木 伸一郎
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