亡くなった人をAIの動画作成機能で“蘇らせる”ことを「簡単にマインドコントロールができてしまう?」と懸念するxポストバズる

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亡くなった人をAIの動画作成機能で“蘇らせる”ことを「簡単にマインドコントロールができてしまう?」と懸念するxポストバズる

最近、亡くなった人をAIの動画作成機能で“蘇らせる”ことについて、「簡単にマインドコントロールができてしまったりしないのだろうか」と懸念するxのポストがバズっています。亡くなった人の動態再生。死生観に関わる話ですが、仏教はどう考えているのでしょうか。

以前、私はこのブログで、私の曽祖父の明治時代の写真について、AIを使って複製したことをご紹介しましたが、明治時代の服装や文化を知ることが出来る、「一級品の史料」(Gemini)との評価を得ました。

私自身は、話に聞いたことがあるだけで、曽祖父との面識はないので、それで済みました。

ではそれが、思い出が尽きない亡くなった両親や祖母や親しい友人などの動画だったらどうでしょうか。

文化とか史料とか、そんなことは建前としてあったとしてもどこかにふっとんでしまい、その人との思い出が蘇り、涙無しには見ることができなくなったしまうかもしれませんね。

出川哲朗さんが、2019年3月に、NHK総合で放送された特番『復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~』で、亡き母・泰子さんと「再会」して、泣いてましたね。


身近な人との離別を経験された方なら、これはもらい泣きするんじゃないかな。

でも、これはあくまでもAIのちからであり、残念ながら、亡くなったご本人は何も関与していないんですよね。

それを、悪用することを心配しているポストが、バズっています。

どんなによく出来た動画でもAI

今日の情報源です。


どういうことかというと、カルト教団とか、霊感商法などの詐欺師がね、自分たちでコントロールするためのツールとして、これを利用するんじゃないかというポストです。

繰り返しますが、どんなによく出来た動画でも、亡くなったご本人は一切関与していません。

この一点さえ忘れなければ、そんなものには騙されないと思うんですけどね。

でも、あまりにも本人らしさにあふれていると、「もしかしたら、生きていたら本当にこう言ったかもしれない」なんて思わされてしまうわけです。

亡き人をAIで再現する技術は、単なるテクノロジーの話ではなく、「人は死とどう向き合うのか」という宗教的・哲学的な核心に触れてしまうからこそ、多くの人が揺さぶられるのだと思います。

日本人の死生観というと、やはり、その背景にあるのは仏教です。

仏教は、こうしたテクニックをどう考えるのでしょうか。

仏教的に見た「死者再現AI」の功罪

仏教では、苦しみの根源は「執着(愛着)」にあると説かれます。

愛する人を失ったときの深い悲しみは、まさに執着の痛みです。

AIが亡き人の姿や声を再現することは、

・一時的には心を慰める
・しかし執着を強め、手放す機会を奪う可能性がある

という両面を持ちます。

また、仏教では、諸行無常と言って、人も自然も1日たりとも静止することはない、と考えます。
(科学でも当たり前の話です)

なのに、死者を「そこにいるかのように」再現することは、生者の心を過去に縛りつける点で問題視されるでしょう。

その一方で、仏教は人の心の弱さを否定しません。

さきほど「もらい泣き」と書きましたが、もしAI再現が、

・故人への感謝を深める
・心の整理を助ける
・悲嘆のプロセスを支える

という方向に働くなら、仏教的にも「方便(skillful means)」として肯定されうる側面があります。

悲しみは乗り越えられるか

「では結論はいったいどっちなんだ」

ということですが、Copilotに表でまとめてもらいました。

死者再現AIに対する態度は、
「心の働きをどう捉えるか」
という宗派ごとの哲学の違いがそのまま反映されます。
• 原始仏教:執着を断つ → 否定的
• 浄土教:供養とつながり → 容認しやすい
• 禅:心の投影 → 慎重
• 密教:象徴の活用 → 条件付きで肯定
• 日蓮宗:生者の救いが中心 → 心の状態次第
こうして見ると、同じ「仏教」でも、死者再現AIへの態度はかなり多様になり得ます。

いろいろ考え方はあるということですね。

いずれにしても、亡くなった人は帰ってくるわけではないので、やはり最終的には、遺った者が、失った悲しみを「乗り越える」ことだと思います

以前もご紹介した、曹洞宗の住職の動画です。

ここでいわれているのは、遺影を作り長く飾ることは推奨されていないということです。

時間の経過とともに、亡くなった人は「その他大勢のご先祖様」にしていかなければならないのに、いつまでも生前の顔写真を残していたら、乗り越えにくくなる、ということです。

結論として、乗り越えることがうまくできていない人は、動態再生は、見ないほうがいいのかもしれませんね。

みなさんは、身近な方の動態再生は、見たいと思われますか。

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