勝海舟記念館(大田区南千束)は、勝海舟の生涯や業績を紹介する展示や、使用した品物や書簡などの資料を紹介しています。

この記事は約5分で読めます。

勝海舟記念館(大田区南千束)は、勝海舟の生涯や業績を紹介する展示や、使用した品物や書簡などの資料を紹介しています。

勝海舟記念館(大田区南千束)は、勝海舟の生涯や業績を紹介する展示や、使用した品物や書簡などの資料を紹介しています。江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍したことを確認できます。隣の洗足池公園内には勝海舟夫妻の墓もあります。

勝海舟ってどんな人?

勝海舟(かつかいしゅう、1804年~1859年)は、江戸時代末期から明治時代初期にかけて活躍した、士族であり政治家であり外交官でもあった人物です。

大河ドラマ化もされましたよね。

渡哲也さんの配役でしたが、途中で病気になってしまい、松方弘樹さんに交代していました。

それはともかくとして、勝海舟は幕末の動乱の中で、幕府と新政府の和平交渉を主導。

江戸開城と江戸城無血開城を実現しました。

これにより、日本の近代化と国際化に大きく貢献した人物です。

勝海舟はまた、日本海軍の創設者としても知られています。

幕府の海軍総裁として、西洋式の艦隊を整備。

海軍教育を推進しました。

勝海舟は自らも海外に渡り、アメリカやイギリスなどの先進国との交流を深めました。

勝海舟は、大政奉還後も明治政府の要職に就き、外交や教育などの分野で活躍しました。

勝海舟は、日本の近代化における重要な人物として、多くの人々から尊敬されています。

勝海舟の業績は以下のようなものがあります。

  1. 蕃書調所の設立
  2. 勝海舟は、日本が外国との交流を深めるために西洋の知識を研究し、必要な情報を収集するために蕃書調所を設立しました。蕃書調所は、外国の書物や資料を研究し、日本の技術や知識の向上に寄与しました。

  3. 平戸警備と対外交渉
  4. 勝海舟は、平戸における対外交渉や国際関係の調整を担当しました。また、幕府の指示に基づいて外国船の監視や警備を行い、その間に西洋の知識や技術を学びました。

  5. 日米和親条約の交渉
  6. 勝海舟は、アメリカとの間で日米和親条約(日米修好通商条約)の交渉を行いました。この条約により、日本は幕末の封鎖政策を転換し、外国との通商を開始することになりました。

  7. 日米修好通商条約の締結
  8. 1854年、勝海舟はアメリカのマシュー・ペリー提督との交渉を通じて、日米修好通商条約を締結しました。この条約により、日本は幕末の封鎖政策を転換し、外国との交流や通商を始めることとなりました。

  9. 横浜港の開港
  10. 日米修好通商条約に基づき、横浜港が外国船の寄港地として開かれることになりました。勝海舟はこの地域の整備や外国人居留地の管理を行い、日本と外国との交流の拠点を築きました。

勝海舟は、幕末の日本が外国との交流を始め、近代化に向けた基盤を築く一翼を担った人物として評価されています。

その業績は、日本の歴史における重要な転換点である幕末維新の過程において大きな影響を与えました。

咸臨丸で渡米した様子を動画で解説

勝海舟記念館は、大田区の洗足池公園近くにある歴史博物館です。

大田区の洗足池公園近くにある歴史博物館

勝海舟の生涯や業績を紹介する展示や、彼が使用した品物や書簡などの資料を展示しています。

勝海舟の生涯や業績を紹介する展示や、彼が使用した品物や書簡などの資料を展示

勝海舟記念餤は、勝海舟が晩年に住んだ「翁草庵」という別荘の跡地に建てられました。

この別荘は、明治政府から贈られたもので、勝海舟はここで多くの著作や回想録を執筆しました。

勝海舟記念館は1985年に開館。開館にあたっては、勝海舟の子孫や関係者から多くの寄贈品や協力がありました。

その後、リニューアルされました。

1985年時点での記念館がわからないので断言できませんが、展示物が増えて建て増しを行ったような作りです。

1階は撮影禁止ですが、2階は撮影が可能です。

記念館の中

記念館内の雰囲気は記録できるわけです。

1階では、三方を画面に使ったワイドな動画で、勝海舟が渡米したことが解説されています。

勝海舟は、1860年に日本初の遣米使節団の一員として、咸臨丸でアメリカに渡りました。

この使節団の目的は、日米修好通商条約の批准と、アメリカの政治や文化を視察することでした。

勝海舟は、この渡米の際に、多くの経験と知識を得ました。

  1. アメリカの首都ワシントンD.C.で、大統領ジェームズ・ブキャナンと会見し、条約の批准書を交換しました。
  2. アメリカの主要都市や名所を巡り、鉄道や電信などの近代技術に触れました。
  3. アメリカの海軍士官学校を訪問し、海軍教育や艦船の構造などについて学びました。
  4. アメリカの海軍艦ポーハタン号に乗り込み、太平洋を横断し、サンフランシスコから日本に帰国しました。

勝海舟は、この渡米で得た知見をもとに、日本の近代化と海軍建設に貢献しました。

彼は日本初の洋式軍艦開陽丸を建造し、幕府海軍総裁として西洋式の艦隊を整備しました。

また、彼は自らが創設した開成所で、多くの人材を育成しました。

勝海舟記念館は、火曜日と年末年始を除いて、午前10時から午後4時まで開館しています。

入館料は一般300円、高校生以下無料です。

勝海舟記念館では、定期的に特別展示やイベントを開催しています。

また、勝海舟に関する書籍やグッズも販売しています。

洗足池公園に勝海舟夫妻の墓

勝海舟縁の地

勝海舟記念館の向かいは、大田区立大森第六中学校。

勝海舟の別邸跡地に建てられた中学校です。

そして、お隣は、洗足池公園です。

洗足池公園内に、勝海舟夫妻の墓があります。

さらに、公園内には、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像、大田区立洗足池図書館、池月橋、水生植物園などがあります。

洗足池公園では、カルガモや鯉、亀なども生息していますが、人に慣れたカルガモは、平気で池から上がってきて生えている草を食べています。

もちろん、野鳥ですから、勝手に捕獲してはいけません。

くつろげるゆったりとした場所です。

ただ、今は暑いから、白鳥型のボートを漕ぐのは難しいかもしれませんね。

画像はあるのですが、紹介に使うには許可がいるとのことなので、今回は公開を見合わせます。

以上、勝海舟記念館(大田区南千束)は、勝海舟の生涯や業績を紹介する展示や、使用した品物や書簡などの資料を紹介しています。でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました