ざんねんな偉人伝それでも愛すべき人々(真山知幸著、学研プラス)は偉人でも聖人君子ではなく残念な欠点や誤謬があったという話

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ざんねんな偉人伝それでも愛すべき人々(真山知幸著、学研プラス)は偉人でも聖人君子ではなく残念な欠点や誤謬があったという話

ざんねんな偉人伝それでも愛すべき人々(真山知幸著、学研プラス)をご紹介します。タイトル通りの書籍です。偉人だからといって聖人君子ではなく、残念な欠点や誤謬があった。功績と人格は別である。ただし、その点も実は愛すべき人々であるという話です。(文中敬称略)

本書は、偉人の立派さを伝えるのではなく、やらかし、欠点、変わった性格などを挙げている書籍です。

エジソン、モーツァルト、野口英世、豊臣秀吉、坂本龍馬などが取り上げられています。

本書の狙いは、

1.人は功績があるからと言って、人格も優れているとは限らない。
2.成功に邁進すればするほど、実は愚か者と紙一重になり得る
3.人間は、無謬でも万能でもない、ということを明らかにすることで、だから偉人・成功者になるチャンスは誰にでもある

などなど、かなり深い意図があると思います。

私たちはよく、「この人はいい人だが、酒が入ると別人になる」といいますよね。

いや、決して「別人」ではなくて、酒の醜態も含めて「この人」なんです。

むしろ、日常的な能力や人当たりの良さなどの反動として、それがあるとみたほうがいいでしょう。

こうして、私もエラソーに書いてますが、若い頃は、功績と人格を混同する過ちをオカしていました。

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人格と功績は別の話

私は、日本でも有数の金管楽器奏者と、縁あって一時期お付き合いさせていただいたことがあります。

その人は、ありふれた県立高校の小さな吹奏楽部出身で、初めて金管楽器を経験してから頭角を現し、なんと3人しか入れない東京芸大の博士課程まで進み、その世界では権威ある大会で賞を取り、あるオケに入りました。

私とすれば、音楽家としては非の打ち所のない経歴だから、さぞ人間的にも素晴らしいのだろうと本気で思っていたわけです。

何しろ、学校を出て何年もなるのに、上野公園をその人が通ると、たぶん芸大生だと思いますが、みんないっせいに会釈するんですよ。すげーと思いましたよ。

ただ、実際にお付き合いしてみると、自分としては当初の幻想とはちょっと違うかな、と思いました。

結論としては、いいところも、合わないなと思うところもある、普通の人だったと思います。

その人は、公演の日と、前日にそれを「さらう」(リハーサルする)日だけは楽器に携わっているようですが、それ以外、自己研鑽しているという様子はなく、いつも「ご飯食べに行こうよ」というおねだりばかり私にしている、ともすれば怠惰な印象を受けました。

そして、その人がそうであるかどうかはともかくとして、オケは地方巡業が多く、当然泊まりがあるわけですが、宿代節約もあって、団員同士でカップルができることがあると。

それはいいのですが、かつてのトレンディドラマのように、その組み合わせが団員内でチェンジされると聞いて、「おいおい」と。

もちろん、これはその人の話に過ぎません。当時それとは全く無縁の団員もいました。

それだけに、そういうことに疑いを持たない、その人の男女観は、当時の私には理解できませんでした。

その人が言うには、音楽家として大きくなるためには、人を好きになることが大切だというのですが、うーん、ちょっと私のような保守的な男女観の人間にはついていけないな、と思いました。

だって、もしそういう人と結婚したら、巡業に出るたびに、「あいつはまた団の誰かと……」と気を揉めなければならないでしょう。

でも今考えると、会社とか、ひとつのコミュニティにおいては、あるある話だったんでしょうけどね。

その一方で、その人は自分の立場を自慢したり、マウントを取ったり、人と比較したりすることはまったくなかったですね。

本当の成功者だったんでしょうね。

私は当時、学士入学で入った三田にある私立大学を病気(結核)で挫折し、復学も就職もせず、何の取り柄もない奴だったんです。当時の音楽界のてっぺんに到達した人が、私なんか関わっても何ら得るものはなかったんじゃないかな。

来年からの自分は……?

それは30年以上も前の話ですが、当時は若気の至りで、その人を軽蔑すらしていたけど、心の何処かで、自分のモデルとしていたのかもしれません。

私も今頃になって、1名しか募集していない大学院博士後期課程に「当たって砕けろ」でチャレンジして、合格してしまいました。

2年前の時点で、還暦過ぎた自分が、まさか学者の道に踏み出すとは思わなかったです。

まあ、難易度とか競争率とか、その人とは比べ物にならないですから、私が歩いていても、誰も会釈はしてくれないでしょうけどね

だから、私ごときでは世間的にはマウントを取りようがないですが、その世界(学界とか仏門)では、評価は多少変わってくると思います。←どこの宗門にも帰依してないんですけどね。

そのとき、実績を作る前に勘違いして天狗になってしまうか、その人のように自分を見失わずいられるか、男女観は別として(笑)

来年は、そんな自分の方向性を我がことながら楽しみにしています。

ひとさまとの付き合いで、能力と人格のギャップに、困惑した経験はありますか。

ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々 (新しい伝記シリーズ) - 真山 知幸
ざんねんな偉人伝 それでも愛すべき人々 (新しい伝記シリーズ) – 真山 知幸

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