「選択的夫婦別姓」の慎重論、もしくは反対論の根拠の一つとして「フリーライダー」を心配する意見があることを先日ご紹介しました。

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「選択的夫婦別姓」の慎重論、もしくは反対論の根拠の一つとして、国防上の不安、つまり、外国人が名前を変えず結婚でき、かつ「簡易帰化」により、年金や健康保険、「日本のパスポート」を簡単に手に入れられる「フリーライダー」を心配するヤフコメがあることを、先日ご紹介しました。

選択的夫婦別姓制度を通して、改めてセーフティネットについて考える

「選択的夫婦別姓」の慎重論、もしくは反対論の根拠の一つとして、国防上の不安、つまり、外国人が名前を変えず結婚でき、かつ「簡易帰化」により、年金や健康保険、「日本のパスポート」を簡単に手に入れられる「フリーライダー」を心配するヤフコメがあることを、先日ご紹介しました。

このコメントについて、「論理が飛躍している」とのご指摘があったので、私の意見を補足したいと思います。

「排外主義」と唾棄できることでしょうか

これが、前回の記事です。

夫婦別姓問題に動きがありました。政府は夫婦同姓の原則を維持し、旧姓を使用することも認めることを法制化する方針を固めました
夫婦別姓問題に動きがありました。政府は夫婦同姓の原則を維持し、旧姓を使用することも認めることを法制化する方針を固めました。来年の通常国会に、関連法案を提出する方向といいます。これによって、夫婦別姓の法制化議論は決着を見ることになるでしょうか...

なぜ、日本では「夫婦別姓」のハードルが高いか。

ひとつには、日本の福祉や国籍が国際的に信用が高いからこそ、それらを利用しようする目的で結婚する「フリーライダー」に対する警戒感から、「選択的夫婦別姓」には慎重論があるということを、当該コメントでは述べていました。

ところが、「選択的夫婦別姓」の推進者は、「国際化社会の多様性」という抽象的な大義のもとに、それを「排外主義」と唾棄して、これまで一顧だにしてこなったことが対立を招いていると私は思っています。

まあたしかに、「フリーライダー」は、あったとしても、たぶん件数的にも金額的にも、それほど深刻ではないとは思います。

ですが、問題は、少数でもそうしたことが起こることで、生活保護や年金などの「セーフティネット不要論」につながってしまうことなんです。

タレントの河本準一が、母親の生活保護受給で叩かれて、それが生活保護減額の遠因となったことがありましたね。

それと同じように、外国人がセーフィネット目的の「別姓による戦略的結婚」選択することで、「少数の不心得な外国人(あるいはそのように見える存在)」への警戒感が、結果として「本当に困っている日本人」へのセーフティネットまでなくしてしまうという懸念は、社会心理学的に見ても非常にリアリティがあります。

年金の「セーフティネット」とは

たとえば、現在の年金制度では、基礎年金は、支払いが困難な人はそれを届ければ免除する制度がありますし、住民税非課税世帯の人には、年金に上乗せ(年金生活舎支援給付金)する制度もあります。それは、大切なセーフティネットなんです。

これ、要らないものでしょうか?

誰も、子供の頃、「将来は支払いを免除して年金をもらい、生活保護も受ける生活がしたい」なんて将来の夢を語る人はいないでしょう。

でも、日本社会に生きて、様々な不運や紆余曲折の中で、結果として援助が必要になったから、日本政府が国民に対する責任として救う。

それがセーフティネットだと思うのです。

それを、同じ事情を抱えた(元)外国人のセーフティネットに利用されてしまうことに、抵抗感のある日本人がいたとしても、私は全否定はできないように思うのですが、いかがでしょうか。

制度の持続可能性は、統計上の数字だけでなく、納税者の『納得感(公平感)』によって支えられているわけですから、不正を「大した数字ではない」とスルーしてしまったら、「ズルをしている人が得をしている」と思われ、真面目に保険料や年金を払っている人々の支払い意欲を著しく削ぐことになるでしょう。

「簡易帰化」と国防・治安へのリンク

「選択的夫婦別姓」と「国防・移民問題」を結びつける議論には、論理の飛躍があるという指摘もわからないではないですが、反対派が懸念しているのは、制度変更の先にある、「日本の家族観や国籍のハードルが下がることによって、なし崩し的に境界線が曖昧になること」への生理的な不安感ではないかと思います。

福祉や年金は、「同じコミュニティのメンバーである」という連帯感(ナショナリズムの肯定的な側面)があるからこそ、現役世代が高齢者を支えたり、富める者が貧しい者を支えたりすることに納得できます。

そのコミュニティの境界線が、制度変更によって曖昧になり、負担だけが増えて、「他所の国に育った、価値観の違う人」にリソースが流れると感じれば、支える側が「嫌気が差す(制度拒否)」ことを選択するのは、ある意味で合理的な反応です。

なのに、「選択的夫婦別姓」の推進勢力は、その不安と向き合う「挙証責任」を果たしてこなかったのではないでしょうか。

「制度への信頼」が一度損なわれれば、最も割を食うのは「将来、不運に見舞われてセーフティネットを必要とする日本人(かつての子供たち)」です。

その意味で、「悪用されるリスク」に対して、たとえ発生確率が低くても敏感に反応し、アレルギーを示す人々の感情を「偏狭だ」と全否定することはできません。

むしろ、「性善説に基づいた制度設計は、悪用された時に制度そのものを崩壊させる」というリアリズムを持つべきだと私は思います。

別姓運動の「そもそも」論は

もともと「夫婦別姓」問題というのは、内縁関係が婚姻関係に比べて相続などで不利になるので、それを是正する運動が始まりだったんです。

つまり、(未婚姻による)別姓でも差別されないようにという運動だったのです。

それが、法律が整備されて、内縁関係の不利が少しずつ解消されていくと、その勢力は、いつのまにか「婚姻関係にある夫婦でも別姓に」という運動にすりかわっていったのが約30年前です。

どうしてそうなったのかは、私も専門家ではないのでわからないのですが、そのうち調べておきます。

そして、このほど政府は、旧姓を法制化する見通しとなった。

今度こそ、瑕疵のない制度設計で実りある議論をするのか、それとも、別姓は諦めて、また別の運動に移っていくのか、興味はつきません。

みなさんは、セーフティネットについて、「選択的夫婦別姓」導入によって影響があると思われますか、いやそんな心配はないと思われますか。

選択的夫婦別姓問題 背景と論点: なんでそんなに揉めてるの?が、この一冊で理解できる - 芦田 みらい
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