ABEMA NEWSでは、自身の信仰を、パートナーにいつ伝えるべきかという難しい問題に焦点を当てた記事がリリースされています。

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ABEMA NEWSでは、自身の信仰を、パートナーにいつ伝えるべきかという難しい問題に焦点を当てた記事がリリースされています。

ABEMA NEWSでは、自身の信仰を、パートナーにいつ伝えるべきかという難しい問題に焦点を当てた記事がリリースされています。「宗教に入ってます」パートナーにいつ伝えるべき?義理の両親から拒絶された当事者「前もって伝えればよかった」「実際に顔色を見てしまうと難しい」というタイトルです。

記事は、自身の信仰を、パートナーにいつ伝えるべきかという難しい問題に焦点を当てています。

宗教を信仰していることで、義理の両親から結婚を拒絶された当事者の体験談を紹介し、カミングアウトのタイミングを誤ったことへの後悔が語られています。

一方で、夫が新興宗教3世であると結婚直前に知らされた側の体験談もあり、信仰を理由に義母から勧誘を受けたり、子どもへの信仰強要があったりした事例が示されています。

出演者からは、本当に信じているなら交際前に伝えるべきという意見や、カミングアウトのタイミングよりもパートナーが味方になってくれるかどうかが重要という見解が提示されています。

自分の障害をオープンにすることと同様に、知識のない人への説明コストの高さについても触れられており、宗教的なカミングアウトの困難さが浮き彫りになっています。

子や孫を「宗教II世」にされたくない

今日の情報源です。


表現をぼかしていますが、これは要するに新興宗教のことだろうと思います。

たとえば、夫側の実家が浄土真宗で、妻側が真言宗だから破談になった、ということはあまり聞きません。

では、なぜ新興宗教だと、不和や破談になるのか。

他の宗教はわかりませんが、仏教についていえば、伝統仏教と新興の違いは、やはり「宗教II世」の有無にあります。

伝統仏教の場合、少なくとも一般信徒には「宗教II世」という概念はないので、それは新興宗教によって存在する言葉です。

つまり、夫婦だけの問題ではなく、子や孫の代まで、延々とその宗教を押し付けられてしまうことを懸念されるから、新興宗教は嫌われるのです。

古代インドで仏教が生まれた、お釈迦様時代は、僧団(サンガ)といって、出家して男女別の僧同士の生活をしました。僧団のルールである「律」では、男女の関係は禁じられました。

その理由の一つは、「宗教II世」を作らないためです。

日本は、聖徳太子が、イデオロギーとして仏教を利用したかったので採り入れたため、僧団の律は導入されませんでした。

その結果、宗門は宗家(始祖から続く正嫡の家系)による世襲で、寺院もそれに倣っています。

ただ、さすがに個々の信徒の信教までは「世襲」ではなく、そもそも現在の日本国憲法ではそれは認められません。

信教は内心の自由ですから、親だろうが恩人だろうが、指図してはいけないのです。

それどころか、日本では、ひとりで、複数の宗教、宗派を掛け持ちしている人だっています。

私の亡父は、両親の墓は浄土真宗本願寺派、個人的には真言宗智山派の住職と昵懇で、私の母はその住職の命名で戸籍名を改名しています。そして、お盆とお彼岸は、曹洞宗の住職にお経を挙げていただき、学生時代はキリスト教だったようです。

もし、亡父が新興宗教に入っていたら、こういう「宗教道楽」はあり得ないことです。

何しろ、浄土真宗親鸞会員のYouTube動画では、他宗教は「外道」と唾棄し、鳥居もくぐらないから神社にもいけません。

本来の日本の伝統仏教は、神仏習合の歴史もありますから、そのような排他的な態度は取りません。

もし、他宗派に排他的な住職がいるなら、その人が勉強不足なのです。それを仏教では無明といいます。

伝統仏教にはないその教団特有のルールに辟易

それはともかくとして、新興宗教団体の多くは、伝統仏教にはない、その教団特有のルールがあり、信者でない人にとっては、それが日常生活を窮屈にされる可能性があります

結婚自体は当事者の自由ですから、親が反対しようが無視すればいいですが、親からすれば「嫌な人と縁戚関係になる」と思う権利もあります

ですから、親が賛成しない結婚をするなら、祝ってほしいとか、わかってほしいとか、自分勝手なことを思わないこと。自分が結婚するのも自由なら、親が祝福する気持ちになれないのも自由なのです。、

そして、結婚後も親はあてにしないこと。

配偶者(になる人)が、自分が信仰していない信教宗教の信者だった場合、これは人それぞれでいちがいにはいえないので、その人次第ですね。

私だったら、たぶんご縁がなかったとお別れしますけどね。面倒だから。

冷たいようですが、宗教、少なくとも仏門に帰依するなら、そういうことも覚悟しなければなりません。

信仰と、俗世的利益や幸福を引換えにするのがいやだという欲たかりは、信仰は諦めて「普通の人」として暮らすことです。

みなさんは、新興宗教者とのこうしたトラブルは経験ありますか。

新宗教を問う: 近代日本人と救いの信仰 (ちくま新書 1527) - 島薗 進
新宗教を問う: 近代日本人と救いの信仰 (ちくま新書 1527) – 島薗 進

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