巷間、「日本の半導体産業復権」という言葉がメディアを賑わせています。TSMCの熊本工場稼働や次世代半導体国産化を目指すラピダスへの巨額投資など、確かに話題に事欠きません。しかし、冷静に現状を分析すると、これは「復権」というより「出直し」と表現するのが適切ではないでしょうか。1980年代の栄光から転落した日本の半導体産業の現在地と、その未来への道筋を考察してみたいと思います。
失われた30年 ― 栄光から転落まで
かつての世界制覇
1980年代後半、日本の半導体産業は文字通り世界を支配していました。1988年には世界の半導体売上高に占める日本のシェアが50%を超え、日立、NEC、東芝、富士通、三菱電機といった「日の丸半導体」企業が世界市場を席巻していました。PwCの分析によれば、この時期の日本は半導体製造において圧倒的な技術力と生産力を誇っていました。
転落の要因
しかし、1990年代以降、その地位は急速に失われていきます。経済産業省の分析では、転落の主要因として以下が挙げられています:
- 日米半導体協定による影響 – 1986年の日米半導体協定により、日本は海外製半導体の輸入拡大を義務付けられ、競争力が削がれました
- 設計と製造の水平分離への対応遅れ – ファブレス・ファウンドリモデルの台頭に乗り遅れました
- デジタル産業化の遅れ – PC、スマートフォンなどの新分野での出遅れがありました
- 日の丸自前主義 – 国際連携より国内完結を重視する姿勢がありました
- 投資規模の限界 – 韓国・台湾・中国の国家的企業育成に対抗できませんでした
現在の立ち位置 ― 厳しい現実
市場シェアの劇的縮小
世界半導体市場統計(WSTS)によれば、2024年の世界半導体市場規模は6,269億ドルに達しましたが、日本のシェアはわずか7.6%(474億ドル)に留まっています。ピーク時の50%超から見ると、その落差は歴然としています。
競合他社との技術格差
JEITA半導体部会の報告書では、「Omdia社の発表によると、かつて世界半導体市場の半分以上を占めていた日本の半導体市場の2023年のシェアは6.8%」と、さらに厳しい数字が示されています。
特に先端ロジック半導体では、TSMCが世界シェアの約60%を占める一方、日本企業は事実上、競争圏外に置かれています。2nm、3nmといった最先端プロセスでは、TSMCとサムスンが寡占状態を築いており、日本企業との技術格差は10年以上に及んでいます。
政府の巨額投資戦略
「半導体・デジタル産業戦略」の野心
こうした状況を受けて、日本政府は2021年から本格的な半導体復権戦略を開始しました。経済産業省の戦略では、2020年時点で約5兆円だった半導体関連企業の国内生産合計売上高を、2030年に15兆円超とする野心的な目標を掲げています。
2つの戦略軸
政府戦略の核心は以下の2本柱です:
第1の柱:製造基盤の強化
- TSMCの熊本誘致(JASM)
- 既存技術での安定供給体制構築
- 自動車・産業機器向け半導体の国内調達率向上
第2の柱:次世代半導体の国産化
- ラピダスによる2nm世代半導体の量産化
- 2027年の量産開始目標
- 累計9,200億円の政府支援
10兆円の巨額支援
2024年11月には、石破首相が2030年度に向けて半導体・AI分野に10兆円以上の公的支援を行う「AI・半導体産業基盤強化フレーム」を発表しました。この規模は、これまでの日本の産業政策としては異例の大きさです。
ラピダスの挑戦と現実
技術的ハードル
ラピダスは2027年に2nm世代半導体の量産を目指していますが、専門家の分析では、その実現可能性に厳しい見方も多くあります。主な課題は:
- 技術格差の大きさ – 現在の日本の量産技術は40nm世代に留まり、2nmまでの技術的ジャンプは極めて困難です
- 人材不足 – 先端半導体開発に必要な専門人材の絶対的不足があります
- エコシステムの欠如 – 設計、製造、検証を含む総合的な技術基盤が不在です
- 立地の問題 – 北海道という半導体産業の集積地から離れた場所での製造となります
成功の可能性
一方で、日経の分析では、ラピダスが全く無謀な挑戦ではないとする見方もあります。IBMとの技術提携、ベルギーimecとの連携により、必ずしもTSMCとの直接競争ではない差別化路線も可能性として指摘されています。
日本の真の強み ― 装置・材料の競争力
隠れた世界王者
半導体デバイスでは劣勢の日本ですが、経済産業省の調査によれば、半導体製造に不可欠な装置・材料分野では依然として高い競争力を維持しています:
- 半導体製造装置:世界シェア約31%
- 半導体材料:世界シェア約48%
東京エレクトロン、ディスコ、アドバンテスト、信越化学工業、JSR、住友化学など、これらの企業は世界の半導体サプライチェーンで不可欠な存在となっています。
サプライチェーンでの重要性
台湾のTSMCも韓国のサムスンも、日本の装置・材料なしには最先端半導体を製造できません。この分野での優位性こそが、日本の半導体産業再生の現実的な基盤となっています。
「復権」か「出直し」か ― 現実的な展望
「復権」論の幻想
1980年代の「日の丸半導体」のような世界制覇を想像する「復権」論は、現実性に乏しいと言えます。TSMCの時価総額は約70兆円、サムスンの半導体部門の売上高は約10兆円規模であり、この差を埋めるには数十年の歳月と天文学的投資が必要でしょう。
「出直し」の現実性
むしろ日本が目指すべきは、新たな価値提案による「出直し」です:
1. 特化戦略の推進
- パワー半導体、センサー、メモリなど得意分野での世界シェア拡大
- 自動車、産業機器など日本が強い最終製品との連携強化
2. 装置・材料での優位性活用
- 次世代技術(3D積層、新材料)での先行投資
- TSMCなど海外ファウンドリとの戦略的パートナーシップ
3. 人材育成とエコシステム構築
- 大学・高専・企業連携による人材育成
- スタートアップエコシステムの活性化
2030年への展望
現実的な成功シナリオ
ジェトロの分析を踏まえ、2030年の日本半導体産業の現実的な姿は:
- 売上高15兆円の実現可能性:TSMCやマイクロンなど外資の国内投資も含めれば達成可能です
- 先端ロジックでの一定の存在感:ラピダスが成功すれば、TSMCの補完的役割を担う可能性があります
- 装置・材料での世界シェア50%超:次世代技術への先行投資で競争力維持が期待できます
克服すべき課題
しかし、以下の課題解決が前提となります:
- 人材不足の解消 – 2030年までに数万人規模の専門人材育成が必要です
- 技術格差の縮小 – 海外技術者の活用、国際連携の深化が不可欠です
- 投資規模の継続 – 10兆円規模の投資を継続的に実行する政治的意志が求められます
- 民間投資の誘発 – 政府投資だけでなく、民間資本の積極参画が必要です
おわりに ― 現実を見据えた戦略を
日本の半導体産業が直面しているのは、「復権」という華々しい言葉で飾られた政治的スローガンの誘惑と、「出直し」という地道だが現実的な道筋の選択です。
1980年代の栄光を懐かしむより、2030年代の新しい競争優位を築くことに注力すべきでしょう。TSMCとの正面勝負を避け、日本の強みを活かした差別化戦略こそが、現実的な成功への道筋となります。
政府の巨額投資も、「世界制覇」という幻想ではなく、「持続可能な競争優位の構築」という現実的目標に向けられてこそ、真の価値を発揮するでしょう。日本の半導体産業の未来は、華やかな「復権」ではなく、地に足のついた「出直し」の先にあるのかもしれません。
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