京都大学の研究室で発覚した「論文のデータ改ざん」を内部告発した若手研究員が、その直後に「雇い止め」の通知を受けた問題が話題

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京都大学の研究室で発覚した「論文のデータ改ざん」を内部告発した若手研究員が、その直後に「雇い止め」の通知を受けた問題が話題

京都大学の研究室で発覚した「論文のデータ改ざん」を内部告発した若手研究員が、その直後に「雇い止め」の通知を受けた問題が話題です。今回のケースが他の不正事案と一線を画す問題なのは、「不正が発覚した後の組織の振る舞い」にあります。

まず、確認できる事実としては、小田裕香子教授について、京都大学や日本医療研究開発機構が「改ざん」を認定しています。

にもかかわらず、不正を内部告発した研究員が契約を更新されず(雇い止め)、一方で調査対象であった小田さんが教授へと昇進したという経緯は、文部科学省のガイドラインが定める、「通報者に対する不利益な扱いの禁止」に抵触する疑いがあり、研究コミュニティに強い萎縮効果を与えました。

大学側は、昇進は不正発覚前の決定である、あるいは雇い止めは任期満了による正当な手続きであると主張していますが、世論や他の研究者からは、「不正を軽視し、隠蔽・放置する体質」の表れと見なされています。

小保方事件との比較

ネットでは、小保方晴子さんのケース(STAP細胞事案)と比較されることが多いですが、以下の点で性質が異なると指摘されます。

責任の所在:
小保方さんは最終的に博士号を取り消され、理化学研究所を去るという形で個人の責任が明確化されました。

組織の加担:
今回の件では、不正が認定された後も当事者が地位を維持、あるいは向上させている点が「組織的な不正の追認」ではないかという疑念を生んでいます。

その意味で、小保方事件よりもよほど深刻ですね。

行き過ぎたSDGsか、「女性だから下駄を履かせた」論


女性登用を優先するあまり、資質や倫理観を度外視したのではないか」という視点は、SNSや一部のアカデミア評でも議論の対象となっています。

数値目標の弊害:
多くの大学が、「女性教授の比率」を数値目標として掲げる中、採用や昇進の審査が甘くなっているのではないか、という疑念が生じやすい状況にあります。

SDGsの歪曲:
ジェンダー平等は、本来「機会の平等」や「バイアスの排除」を指しますが、それが単なる「数合わせ」や「問題のある人物の免罪符」として機能してしまった場合、SDGsの理念そのものを毀損することになります。

逆差別と質の低下:
もし、「女性であること」が不正の免責や不当な昇進の理由になっているのであれば、それは真面目に取り組んでいる他の女性研究者にとっても、研究全体の信頼性にとっても大きなマイナスとなります。

ただ、「女性だから下駄を履かせた」「SDGsや女性活躍政策が原因だ」と断定するのは、現時点ではかなり慎重であるべきだという意見もあります。

問題の核心

問題の核心は、私は日本の大学・研究機関に長く存在する、

閉鎖的な研究室文化
教授への権力集中
ポスドクの弱い立場
“業績がある人”を守ろうとする組織防衛
外部資金獲得能力を重視する大学経営

といった構造ではないかと思います。

実際、研究不正そのものより、
「内部告発者が守られない」
「組織が reputational risk(評判リスク)を最小化しようとする」
という点は、日本の研究不正事件で繰り返し指摘されてきました。

そして、ここに「女性活躍推進」が絡むと、話がさらに複雑になります。

近年、理工系・医学系で女性研究者比率を増やそうという政策は実際にありますし、大学側が「女性教授の輩出」を重視しているのも事実です。ですが、それ自体は本来必要な是正でもあります。日本の女性教授比率は国際的に見てもかなり低かったからです。

問題は、
「女性研究者を増やす」
ことと、
「不正や不適切対応を免責する」
ことは全く別だ、という点です。

もし仮に、

組織が「女性活躍の象徴」を守ろうとして甘い対応をした
批判を“女性差別”として処理しようとした

のであれば、それはジェンダー平等政策そのものを傷つける話です。

ただし逆に、
「女性だから優遇されたに違いない」
と短絡すると、
本来問うべき

研究倫理
告発者保護
大学ガバナンス
の問題が、「男女対立」にすり替わってしまう危険もあります。

現状の懸念点


この問題がこのまま幕引きとなった場合、日本の科学研究における「公正性(インテグリティ)」が根底から揺らぐことになります。

若手研究者へのメッセージ:
「不正を告発すれば職を失い、不正をしても隠し通せば出世できる」という前例が定着すれば、日本の科学界から、優秀で誠実な若手が離れていくリスクがあります。

公的研究費の妥当性:
多額の税金(科研費など)が投入されている研究において、不正認定後もその体制が維持されることは、納税者に対する説明責任を果たしているとは言えません。

いずれにしても、今回の件は、

「大学組織の内部統治」
「研究不正への甘い処分」
「告発者保護の欠如」

という、日本のアカデミアの構造的な誤謬であるということはいえると思います。

ま、しょせん人間の世界なので、最高学府でもこういうことはあるのだ、ということです。

ただ、こんなことがあると、ますます学者を目指す人がいなくなり、つまり博士課程進学者が減り、イノベーションへの期待が下がっていき、日本はさらに沈没することになりますね。

この件は、一大学の問題に留まらず、日本のアカデミアが、「実力主義と倫理」を「政治的・組織的な都合」よりも優先できるかどうかの試金石となっていると言えるでしょう。

今回の件で特に懸念されているのは、組織の隠蔽体質でしょうか、それとも研究倫理の崩壊そのものでしょうか?

ある作家が目の当たりにした日本大学の闇 - 牧野 新
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