
2022年10月14日に、インターネットテレビ局ABEMAの「#アベプラ」で放送された“挨拶強要はアリ? ナシ?”の一部が現在もXで話題になっています。「挨拶しない自由があるんじゃないか」とする20代の男性が、多くのポストで叩かれまくっているのです。
ことの発端は、「報道リアリティーショー ABEMA Prime(#アベプラ)」で、“挨拶強要はアリ? ナシ?”をテーマに議論したことです。
20代の男性が、「挨拶するかしないかの基準も人によってバラついていると思っていて、挨拶しない自由があるんじゃないかと思っています」とし、職場ですれ違うだけの人や、ドアを開ける際などの、形式だけの気持ちのこもっていないような挨拶は意味がないので、する必要がないと発言。
すると、この男性の動画が、今になってとあるユーザーによってポストされ、なんと2700万インプレッションを超えるほどの大バズに。
今も、そのポストが流れてきます。
その大半は、発言者を「挨拶もできない非常識者」呼ばわりするポストです。
そこで、集英社オンラインが、月々さん(@tkdk_moon)という発言者を探し出して、真意をただすという展開になっています。
そもそも私は、何年も前の番組内の一発言を切り取って、叩いて溜飲下げているネット民こそ、ロクナモンじやないと思ってますけどね。
だって、テレビ番組の発言なんて、盛り上げるために、わざと言わせている「仕込み」かもしれないでしょ。
普段「マスゴミ」とかエラソーにケナしている連中が、そんなときだけ番組を真に受けてさ、説教垂れるなんておかしいじゃない?
まあ、それはともかくとして、挨拶は必要か、というテーマ自体は、興味深いと思うので、それについて一言します。
月々さんの言い分
今日の情報源です。
20代男性「挨拶しない自由があるんじゃないかと思っています」 好きにしたらいいpic.twitter.com/WQQk9LJe5Q
— エックス速報 (@tsuisoku777) December 9, 2025
「挨拶しない自由があるんじゃないか」大炎上してしまった渦中の20代男性を直撃! ネットでの批判に「私は挨拶をします」 | 集英社オンライン https://t.co/y7kRdltPei
— 赤べコム (@akabecom) December 10, 2025
月々さんの挨拶に関する言い分を、
1.彼の釈明
2.挨拶の意義
3.強要すべきではない
という考えの3点に分けて整理します。
1. 挨拶に関する基本的なスタンス(釈明と本意)
実際のスタンス: 彼は挨拶をするべきだと考えており、実際にも挨拶をします。
強要の是非: 挨拶は必要だと思っているものの、強要するものではないと考えており、この考えに基づいてインタビューに答えたとしています。
炎上のきっかけとなった意見: かつての番組出演時には、「挨拶するかしないかの基準は人によってバラついている」とし、「挨拶しない自由があるんじゃないか」と発言していました。また、職場ですれ違うだけの人や、形式的で気持ちのこもっていない挨拶は意味がないため、する必要がないとも指摘し、若い世代が挨拶不要と考えればそれが次の時代の常識になるという見解を示していました。
2. 挨拶がもつ2つの大きな意義
月々さんは、挨拶には以下の2点の大きな意義があることを主張しています。
1. 相互監視システムの維持
田舎では、近所の人々が知らない人にまで挨拶をし、不審者がいれば知らせてくれるというシステムがあります。
このシステムは、犯罪をしようと考える者にとっては困りものであり、犯罪の発生を予防する上で非常に重要だと捉えられています。
また、挨拶の返答の声の大きさなどから、相手の体調を把握すること(体調管理)も可能であり、健全な社会生活を営む上で重要です。
2. コミュニケーションの円滑化
挨拶は、理由なくどんな人にも話しかけられる行為であり、職場などで挨拶を積み重ねることによって、いざというときにスムーズに協力することができるという点です。月々さんもこの意見に同意しています。
3. 挨拶を「強要すべきではない」とする論拠
挨拶に多くのメリットを認めつつも、「強要するべきものではない」というのが月々さんの本来の意見です。これは、「道徳や礼儀とは内発的なものであって外発的なものではない」という考えに基づいています。
月々さんの主張は、挨拶そのものの重要性を認めつつも、その本質が内発的な思いやり(徳)にあるため、外から強制されるべきではない、という点に集約されます。
彼自身は挨拶を実践していますが、強要しない環境をより評価しているということです。
この発言の、何が間違っているのでしょうか。
相手が挨拶しなくてもこちらかにできるか?
私は、挨拶反対派というわけではありませんが、たとえば、こっちが挨拶しても、相手からされないと寂しくなってしまうから、「それならはじめからお互い挨拶はない方がいい」と考えたとしても、その意見を責める気にはなれません。
挨拶は、「私はあなたを認識しています」という相互確認の行為です。
これが片方だけだと、関係性が否定されたような気持ちになり、寂しさや不安を感じるのは自然なことです。
ただ、むずかしいのは、そういう場面で「挨拶を返してくれない」のは、相手なりの理由があるからかもしれません。
極度の内気や社交不安
その時の精神状態(落ち込み、疲労)
単に気づいていなかった(没頭している、考え事をしている)
つまり、「無視」が必ずしも「否定する意図」ではない場合もあるということです。
いちばんいいのは、「挨拶はするが、相手が返さなくても過度に気にしない」というスタンスをとれることですが、それを続けるには、精神的に多少タフでなければならないでしょう。
もし私なら、そんなときは、仏教の精神(修行)を思い出すことにしています。
八正道(はっしょうどう) の中の「正見(しょうけん)」と「正精進(しょうしょうじん)」、そして六波羅蜜(ろくはらみつ) の中の「忍辱(にんにく)」と「般若(はんにゃ)」というのが、それにあたります。
その具体的なご説明は割愛しますが、要するに、
自分の側から挨拶することは、相手への礼儀や人への気持ちの表れであり、見返りは期待しない。
相手が反応しなくても、それは相手の自由や事情に委ねる。
ということです。
みなさんは、挨拶は、「絶対にすべき派」ですか、「自分はするが相手には強制しない派」ですか、それとも、挨拶なんて要らない派ですか。

出会いと別れ―「あいさつ」をめぐる相互行為論 – 木村 大治, 花村 俊吉


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