『幸運と不運には法則がある』(宮永博史著、講談社)は、世に名を馳せた成功者の人生から、幸運の法則を考察しています

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『幸運と不運には法則がある』(宮永博史著、講談社)は、世に名を馳せた成功者の人生から、幸運の法則を考察しています

『幸運と不運には法則がある』(宮永博史著、講談社)は、世に名を馳せた成功者の人生から、幸運の法則を考察しています。その「法則」を本人の心がけから見ていますが、世の中は社会情勢という偶然の「交絡因子」もあり、それによって人生は変わってきます。

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後ろ向き調査のみでは合理性は不十分

『幸運と不運には法則がある』(講談社)を読みました。

著者は宮永博史さんです。

成功者の人生を振り返って、タイトル通り幸運の法則を考察しています。

ただ、後付の後ろ向き調査ではなく、前向きで見ていかないと合理的な答えは出ないように思えますが、いかがでしょうか。

戦後史上、いまほど閉塞感に鬱々とするときはないでしょう。

「失われた○年」の○の部分は年々更新されていきます。

そんなときは、運気を変えたい、自分の今の状態をもっとよくしたい、と人々は思うようです。というか私自身そう思っています(笑)

そこで、昨今注目されているのが『幸運と不運には法則がある』(講談社)という書籍です。

「法則」などという、客観性、再現性のあるはずの言葉がタイトルに入っていると、つい期待してしまうところがあります。

『幸運と不運には法則がある』の中身は、世に名をはせた成功者の人生について、ここのときにこういう努力をしたからこういう幸運を呼び込めたのだ、と振り返って論評しているものです。

書評を見ると、おおむね好評ですが、一部には「こじつけ」というものもありました。

著者の宮永博史さんは、東京理科大学専門職大学院総合科学技術経営専攻教授とあります。

学歴は、東京大学工学部電気工学科、MIT 大学院(EE&CS)修了。

つまり理系ではありますが「エンジニア」です。

それで、でしょうか。

本のタイトルは「法則」とありますが、科学者や医学者が認める科学的検証による法則とは異なるようです。

ここに、「こじつけ」といわれる第1の理由があります。

私ごとき文系の真似事者が指摘するのはおこがましいのですが、この本の「法則」と称する根拠は、いわゆる「コホート(前向き)」ではなく「後ろ向き」なんですね。

コホートというのは、何もない集団と調べる目的を施した集団を未来に向けて観察して比較し、「施し」が有意であるなら科学的(医学的)に意味があると答えを出します。

が、「後ろ向き」というのは、結果から後付で原因を見当てるものです。

過去を振り返って、この結果はこれが原因だろうと逆算して法則を見出すのは、一見理にかなっているようですが、原因から結果に行くまでには様々な「交絡因子(数字や現象に表れないことも含めた他の要素)」が関わっているので、前向き調査に比べると、後ろ向き調査はどうしても不正確になってしまいます。

したがって、学問上、医学の一部疫学調査で適用する以外は、真理をもたらす方法であるとは考えられていません。

つまり、『幸運と不運には法則がある』は、学問上のお墨付きを得た方法で「法則」と称しているわけではありません。

「こじつけ」といわれる理由

具体例として、最初に野村克也さんが出てきますが、さっそくその弱点が見られます。

野村克也さんが母に楽をさせたいからお金を稼ぐためにプロ野球を目指した、そこでの努力や戦略があったからこそ幸運もあって名選手、名監督になったとまとめています。

つまり、野村克也さんがお金持ちになったのは野村克也氏の「心がけ」というのです。

が、そういうこと以前に、もし、プロ野球が「お金を稼げる世界」でなければ、野村克也という人物がいくら戦略家だろうが努力家だろうが親孝行だろうが野球のセンスがあろうが、現在のようなお金も名声も手に入れることができなかったはずです。

幸運は個人の能力や心がけ、発想、工夫、努力といった主観的観念だけではなく、その人の“ほしのもと”、社会情勢といった客観的実在との兼ね合いによるものです。

なのに本書は、もっぱら個人的な主観的観念と幸運に因果関係を求めるばかりで、社会情勢という「交絡因子」を無視しています。

そこに、「こじつけ」といわれる2つめの理由があると思います。

ほしのもと、ということで付け加えますが、本書はもっぱら主観的観念の書ですから、「不運」を「不幸」にするか「幸福」にするかは、その人の努力と心がけであるとしています。

が、これは無理がありすぎます。

では、生まれたときから寝たきりだったり障がいがあったりして、そもそも自分で努力できない人はどうすればいいのでしょうか。

私は昨年、消防車20台が駆けつける大きな火災を経験し、妻子は第三次救命救急患者で病院送り。

家具・什器備品・仕事の資料などにすべてが灰になりました。

この「不運」は、心がけだの解釈だの、こざかしいこじつけなど吹き飛んでしまう「不幸」です。

たしかに、何もなくなったことで仕切りなおしの再スタートをせざるを得ず、仕事も人間関係も変わり、人生がかわる可能性はあります。

やり方しだいでは、よい方向にかわるかもしれません。

しかし、だからといって、火事があってよかったんだとは絶対に思いません。

不運を幸福にかえたなどと軽々しくいう気にはなれません。

似たような話で、よく、がんになってから、がんになって自分の生き様の間違いに気づいた。がんにありがとうといいたい、というような話がありますが、私はそれも理解できません。

がんになったことで生活を改めざるをえなかった、もしくはどう改めるかに気づいたことはあったとしても、だからといって、がんという「不運」は本当に「幸福」になってしまうのでしょうか。

再発や転移の心配をし、がんの種類によっては生涯経過観察をされ、ときにはそれでも力尽きて命まで失ってしまうかもしれない現実が歴然としているのに、それでもがんを「幸福」と思えというのは、命あっての物種なのに何とも現実味のない話です。

心がけだけではどうにもならないものがある

『幸運と不運には法則がある』のような書籍を私は否定しません。

運は偶然と必然によって起こる。必然の部分をどうがんばるか、どう考えるかで運気もかわる、ということはありえることだからです。

ただし、心がけだけではどうにもならないものがあるのも事実です。

それはきちんと区別し、また別の課題とする論点の整理をきちんとすべきです。

心がけ万能のような描き方をし、しかも「法則」なんて大仰な看板まで掲げるのならば、こじつけのそしりも免れないのではないでしょうか。

幸運と不運には法則がある (講談社+α新書) - 宮永博史
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