給食の「いただきます」廃止の声があるらしい、というSNSのポスは関連投稿が2026年3月現在、11万以上のいいねと580万ビューを集める

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給食の「いただきます」廃止の声があるらしい、というSNSのポスは関連投稿が2026年3月現在、11万以上のいいねと580万ビューを集める

給食の「いただきます」廃止の声があるらしい、というSNSのポストを見たことがありますか。関連投稿は2026年3月現在、11万以上のいいねと580万ビューを集め、議論を呼んでいます。さて、「いただきます」というのは特定の宗教的儀式でしょうか、礼儀文化でしょうか。

「いただきます」廃止の声自体は、移民増加に伴う文化摩擦の誤情報や都市伝説として、SNSで繰り返し炎上するパターンです。

背景として、2023年に一部地域(主に千葉県内とされる)で、宗教的理由から「いただきます」を任意化した事例が報じられたように見えます。


しかし、実際の調査では、千葉県教育委員会や千葉市教育委員会が「事実として把握していません」と否定しています。

最近の調査では、福岡市教育委員会が「事実無根」と否定しており、移民増加に伴う文化摩擦の都市伝説として繰り返し炎上しています。


全体として、こうした噂は多文化共生の文脈で広がりやすいですが、公式には根拠のないものが多いのが実情です。(Grok)

結論から言うと、
「給食の『いただきます』が全国的に廃止される」という事実は確認されていません。
多くの場合、SNSなどで広がった“噂”や誤解が元です。(ChatGTP)

文部科学省の学校給食指導の手引きでは、給食指導の例として、むしろ

「いただきますのあいさつをする」

という指導が示されています。

だから、ネトウヨの無根拠で無責任な、ポストやYouTube動画を真に受けて感情的になってはいけない、と私は何度も何度も書いているのです。

ただし、前出のChatGTPによると、次のような理由で 「強制しない」「任意にする」 という議論は一部にあるそうです。

・宗教的配慮(祈りと受け取る人がいる可能性)
・発達障害・吃音などで声を出すのが苦手な子への配慮
・コロナ禍での飛沫防止の名残
・「給食費を払っているのに言わせるのは変」という保護者の意見

ただし、これも 制度として全国で導入されたわけではありません。

つまり、結論は、

・全国的に「いただきます」が廃止された事実はない
・「禁止」はSNS発の噂や誤解
・文科省の指導では今も給食の挨拶は普通に紹介されている

ということです。

「宗教か文化か」という3つの議論

今回、この話を取り上げたのは、そもそも「いただきます」は、「宗教か文化か」という哲学的な議論があることを示したかったのです。

1.「宗教ではない」という立場(文化・礼儀説)
多くの教育現場や研究者は、こちらの立場です。
理由は主に3つあります。

① 特定の神を想定していない
「いただきます」は、神、仏、教祖など、特定の信仰対象に祈る言葉ではありません。

意味は本来、「命をいただきます。作ってくれた人に感謝します」という 社会的な感謝表現です。

英語の“Let’s eat.”“Thank you for the meal.”のような 食事のマナーに近いものと理解されます。

② 日本の生活習慣として定着している

宗教儀礼というより、箸をそろえる、手を合わせる、「ごちそうさま」と言う、といった 生活文化の一部です。

このため教育現場では、食育(食文化教育)の一環として扱われます。

③ 文部科学省の食育思想

文科省の食育では、食べ物の命、生産者、調理する人、への感謝を教えることが重視されています。

この文脈で、「いただきます」「ごちそうさま」が使われます。

2.「宗教的ではないか」という立場

一方で、少数ですが次のような意見があります。

① 祈りに見える

手を合わせて言うため、仏教の合掌、キリスト教の食前の祈りに似ている、という指摘です。

そのため、学校(公立)は宗教的中立であるべき、という観点から問題視する人もいます。

② 家庭によって価値観が違う

一部の保護者は、宗教的にやりたくない、家庭で教えること、と考えることがあります。

そのため、「強制すべきではない」という意見になります。

③ 「給食費を払っているのに」という主張

これは宗教というより社会観の問題ですが、お金を払っているのに感謝するのはおかしい、という意見もあります。

ただしこの考えは、日本ではあまり多数派ではありません。

3.憲法との関係(実はここが論点)

日本国憲法の、日本国憲法第20条は「政教分離」を定めています。

つまり、学校が特定の宗教を押しつけてはいけない、という原則です。

しかし判例では、社会的習慣レベルの行為は宗教とは見なさない、ことが多いです。

日本特有の問題(宗教と文化が混ざる社会)

この議論がややこしいのは、日本では、宗教、習俗、礼儀が分かれていないことにあります。

とくに神道と仏教は、日本の道徳の「原作」ともいえるからです。

いくら、「自分は信仰がない」とツッパッたって、日本の文化が宗教の影響を受けている以上、私たち日本人は、宗教の世話になっているんです。

初詣やお盆や七五三を、どういうつもりでヤッているんですか?

といっても、仏教には、食事の前に、手を合わせて「いただきます」と感謝する習慣はありません

釈迦仏教は、コツジキ(今で言う托鉢)と言って、各家庭から飯のあまりをもらい下げるのですが、むしろそれ(感謝の気持を表すこと)を禁じています。

もらえた → 喜ぶ、もらえない → 不満、という態度を取ると、食物への執着(貪り)が生まれてしまいます。

執着を断つ修行という観点から、心の平静を保つことを求めるのです。

かりに、僧が感謝の意を表したら、布施者は意気に感じて、次もその料理を作るかもしれません。

それは、僧の欲で作られた飯になってしまうので、修行は台無しなのです。

何を言いたいかというと、おそらくは「いただきます」という行為には、様々な宗教的儀礼や民俗的な礼儀や感謝の表現が「ちゃんぽん」になっているのではないかと思われます。

したがって、そこには、仏教でも神道でもキリスト教でもない、でもなんとなく宗教っぽい「道徳」として成立しているのではないかと思います。

ですから、むしろどんな宗教を信仰しようがしまいが、誰でも受け入れられる、言語で言えばエスペラント語みたいなものではないかと思うんですけどね。

ちなみに私は、より神道っぽく、お食事は二拍手してからいただきます。

みなさんは、「いただきます」について、いかが思われますか。

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